1話

 誰かに「戻ってこい!」と囁かれた気がして、私はぱちりと目を覚まして、はっと息をした。そして目線の先を見て、ため息をつく。


 またか、と。


 私はベッドをそっと降り、近くの鏡の前へと歩み寄った。その鏡に映る波打つオレンジ色の髪と澄んだ青い瞳、そしてまだ幼さの残る顔の七歳の私。


「……また、戻った」


 名前は公爵令嬢ルルーナ・ダルダニオン。

 いま、十度目の人生が始まった。


 私の最初の死から幾度となく、毒に蝕まれ命を落としてきた。そのたび七歳の頃まで巻き戻る理由も、その意味もいまだに分からない。


 ――ただ、もう一度はじめから、始めなくてはならない。


 ⭐︎


 一度目の人生で私はローリング伯爵家の長子、カサロ・ローリングに恋をした。彼との出会いは七歳の私の誕生日会だった。黒髪の彼に一瞬で目を奪われ、気づけば私は、まっすぐ彼のもとへ歩み寄っていた。


 私を見て、彼は柔らかく微笑んだ。

 その表情に、五歳の頃、王城で出会い一目惚れした黒髪の男の子の面影を、私は勝手に重ねてしまったのだ。


 ――違う人だと、わかっていたはずなのに。


 それでも私は、カサロ様にのめり込んだ。


『カサロ様。好きです、愛しています』

『ルルーナ嬢、僕も愛しているよ』


 彼を愛せば愛すほど、カサロ様は、初恋のあの子に重なっていく。私はどんどん愛に溺れ、持てるものすべてを彼に差し出した。


 学園を卒業し、結婚式を控えた午後のお茶会。

 カサロ様が持ってきてくれたクッキーを、私は何の疑いもなく口にした。


 次の瞬間――胸が、焼けつくように苦しくなる。


『あぁ苦しい……助けて、カサロ様……』


 床に崩れ落ちる私を見て彼は笑った『はぁ、やっと効いたか』その目は、いつもの優しいものではなかった。感情のない冷たい視線。


『カサロ様……? どうして……?』


『もう、お前は死ぬから教えてやるよ。君が初恋の人に勘違いしてくれて、実にやりやすかった。ハハ……今までありがとう』


 耳鳴りの中でも、その言葉だけははっきりと聞こえた。


『君のおかげで、君の両親は僕を息子だと言って、公爵家のすべてをくれた。もらったら――用済みだから、消えてもらったよ』


 ――まさか。


『地位と金があるって、本当に便利だね。全部、バカな君のおかげだ。そのおかげで、僕たちは幸せになれる』


 倒れ伏す私を見下ろし、目を細めて笑うカサロ様。そして、その腕に寄り添うように立っていたのは幼馴染の、リボンだった。


 裏切りを知ったまま、私は喀血し、そのまま命を落とした。……その、はずだったのに。


 誰かの呼ぶ声に、私は目を覚ました。


『うそ。どうして……?』


 すぐにメイドを呼び、状況を確かめる。

 返ってきた答えは七歳。カサロ様を婚約者に選んだ、誕生会の翌日。


 死の感触が、まだ身体に残っている。

 けれど、この時点で両親に「婚約を破棄したい」と告げる勇気は、私にはなかった。


 ――彼を愛すれば、私は殺される。


 衝動のまま屋敷を飛び出し、公爵家近くの森へ。迷い、彷徨い、三日三晩歩き続け、空腹に耐えきれず、手近に生えていたキノコを口にした。


 それが毒キノコだと気づいたのは、吐き気とともに意識が薄れていく、その最中だった。


 これが、バカな私の二度目の死。

 

 ⭐︎


 それで、終わったと思ったのに。『どうして……? また、戻ったの?』目を覚ますと、私はまた七歳だった。


 三度目の人生では、慎重に、慎重に行動した。

 カサロ様と、男爵令嬢リボン――二人には近づかない。彼の言葉にも視線にも、一切耳を貸さないと決めた。


 その選択は、正しかったはずだ。


 私は無事に学園を卒業し、結婚の話も「体調が優れない」という理由で先延ばしにした。

 このまま距離を保てば、生き延びられる。そう、信じていた。


 十九歳の誕生日を一週間後に控えた日に、配達人から手渡された水色の花束。何気なく受け取り、添えられたカードを見た瞬間、視界が霞んだ。これはカサロ様から贈られた花だった。


 油断していた。次の瞬間、意識は闇に沈んだ。

 これが、三度目の死。


 四度目は、十五歳。

 学園に入学するはずの年、体調不良を理由に領地で休養することになった。


 馬車の中。潜んでいた毒蛇、ジャージャーに噛まれ命を落とした。


 カサロ様から、離れたい。

 もう、死にたくない。


 しかし――五度目、六度目、七度目、八度目。私は十八歳の誕生日を迎える前か、あるいはその途中で、必ず毒によって命を落とし、七歳へと巻き戻った。


 私が足掻けば足掻くほど、すべてが、おかしな方向へ歪んでいく。何度の生で、お父様にこの婚約は間違いだと訴えた。けれど、返ってくる答えはいつも同じだった。

 

 婚約の書類はすでに王家へ送られていて、取り消しはできない。


 それでも、諦めきれなかった。


 九度目。ついに私は、カサロ様とリボンさんの浮気の証拠を掴み婚約を破棄した。


 これでようやく毒から逃れ、生きられる。

 そう信じて、屋敷のテラスでお茶を飲んでいた、そのとき。喉を、焼き尽くすような感覚。


 ――うそ、また毒? 専属メイドが淹れたお茶に? どうして? なぜ? だと、疑問を抱いたまま私は命を落とした。


 ずっと、死の原因はカサロ様だと思っていたのに、彼と婚約を破棄してもなお私は毒で死に、七歳へと巻き戻る。


 逃げ道はまだ、どこにもなかった。

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