第13話 自然に触れて

 耳が聞こえない状態なら早く眠れると思ったけど、実際はそうでもなかった。

 布団に縛られているような感覚になったり、聞こえないはずの音が脳内で再生されたり。とにかく気になって仕方なかった。


 後者に関しては、もともと聞こえる状態からはじまったわたしだからというのがあると思うけど、前者に関しては想像もしてなかったから驚いた。

 無音の中で布団にくるまると、軽くてふわふわにもかかわらず圧力を感じたのだ。正直に言って、布団に入るのが怖いとさえ思ってしまう。


 ただ、恐怖よりも体の疲れのほうが感覚的には上回っていたようで、気づけばもう朝になっていた。

 昨日の疲れはなくなっている。一応は熟睡ということでよさそうだ。


「……痛い、痛いって」


 ティーユが目覚まし代わりに尻尾ビンタをくらわしてきた。そこまで強いものではなかったけど、軽くイラッとする痛さだった。


『起きろ。朝だ』

「わかってるよ」


 カーテンの隙間から入った光でビンタされる前には目が覚めてたから、ただただ叩かれ損だ。

 目が覚めた時点で起き上がらなかったわたしが悪いと思って、ティーユの行動には目をつぶっておく。わたしは優しいから。


「それで、博士はなんて言ってた?」

『各感覚の実験の開始と終了に関しては博士が俺に連絡するってさ。内容まで細かくは見ないけど、お前の脳の動きは俺を通してちくいち博士に送られてるから、異常があったらすぐ止めるし、問題なければ続行する。あとは、ある程度やっても進展がないとわかったときも次に進めるってよ。時間の無駄とか、負担がどうとか言ってたな』

「ふーん。実験内容以外は視覚のときと同じってことか。それで、なんで最後のほうは曖昧になってるの?」

『ロボットにも休息は必要だ』

「要するに、寝落ちしたってこと?」

『寝落ちじゃねぇ。戦略的休息だ』

「はいはい」


 ロボットの休息とはいったいなんだろう。充電のことだろうか。

 そういえば充電している姿を見たことがない。電力供給はどこでやっているのだろう。まさかこれも遠隔でできるのだろうか。

 興味はないから聞かないけど。


『そうだ、思い出した。今日はちょっと遠くに行って自然を感じるのがいいとも言ってたぞ』


 ロボットが何かを思い出すことがあるのか気にはなったけど、高性能だからできると言われそうだから流しておく。

 それより……。


「実験内容に口出ししてるじゃん」

『いいじゃねぇか。どうせ何するか考えてなかっただろ?』

「まあそうだけど……」

『よし決まりだ。準備ができたらさっさと行こうぜ』

「なんでそんな張り切ってるの?」

『そんなつもりはまったくないんだが、どうしてそう思った?』

「なんか顔が……いや、なんでもない」

『顔がなんだよ、気になるだろ』

「いや、ワクワクしてるように見えたんだけど、カメレオンだし、ロボットだし、ちがうなって。それだけ」

『蔑みを感じるんだが』

「気のせいだよ」


 さて、四感実験——開始三日目の今日は、博士の提案で遠出することになった。といっても、ティーユの情報だとそんなに遠くへ行く必要はないとのこと。ここから電車で二時間弱くらいのところに山林があるらしいのだ。

 はたして電車で二時間というのは遠くないのだろうか。わたしは時間だけ聞いたら遠いと感じるけど、ロボットからすればそんな感覚にはならないのかもしれない。


「遠くに行くのってなんか怖い。てっきり近場で全部の実験をやると思ってたから、まだ心の準備ができてない」

『お前に何かあっても俺がいるから安心しろって』

「頼もしいね」

『俺は高性能ロボットだからな』

「その返し以外にないの? もう見飽きたよ」

『じゃあ見るな』

「はいはい」


 どうでもいいやりとりを終えたあと、わたしたちはホテルを出て昨日の駅に向かった。

 耳が聞こえないと死角からのアクションにまったく反応できない。とにかく周りを見ながら歩かないといけないから、駅に到着するまでに首が疲れてしまう。

 聴覚の実験が終わるころには、首が少しだけ太くなっている可能性もある。ちょっと嫌だな。



 駅に到着してホームで電車を待っている間、わたしはワクワクしていた。電車に乗った記憶がないからだと思う。


『楽しみだな』

「ティーユは電車はじめて?」

『俺は外出自体、昨日がはじめてだよ』

「えっ!? よくそれで安心しろなんて言えるね」

『外の情報はお前よりあるし、事前に何万通りもシミュレーションしたからな』

「あぁ……さすがは高性能ロボットだね」


 電車が到着した。

 車内にはそこまで人がおらず、わたしたちは座席に着いた。

 発車するまでに時間はかからず、すぐにドアが閉まって電車が動き出した。


「けっこう体がもってかれる」

『だな』


 しばらくは電車について話していたけど、周りの目が気になってしゃべるのをやめた。わたし以外にはティーユのことが見えていないから、ひとりでぶつぶつ言っている危ない人だと思われたかも。


 人がいなくなるまではずっと外を眺めていた。

 風景の変化がめまぐるしくて気分が悪くなることもあった。

 ただ、だんだんと家が少なくなって緑のほうが多くなったとき、気分の悪さは気にならなくなっていた。


『そろそろ降りる駅だな』

「結局ずっと黙っちゃったね」

『俺はそのほうがありがたいからよかったけどな』

「それどういう意味?」

『なんでもない』


 目的の駅に到着し、電車から降りると、あまりの空気の清々しさに驚いた。


「空気ってこんなに変わるんだね。ここのは肺から全身に通っていく感じがする」

『俺はわからないけど、空気がキレイなのは数値的にも一目瞭然だ』

「そんな機能もあるんだ」

『高性能ロボットだからな』

「ぷふっ……」


 駅から出たあと、わたしたちはバスに乗って山の中腹まで来た。

 バスに乗っている間は景色の変化も少なく、気持ち悪くなることはないと思っていた。

 ただ、上下にぐわんぐわん揺れたことで首から上も同じように波打ち、降りるときには口から何かが出そうな感覚に襲われた。

 なんとか耐えることはできたけど、わたしは乗り物が苦手なのかもしれない。もしくは、音が聞こえないことによってどれくらい揺れるか想像できないからかも。

 どちらにしても、帰るときも乗らないといけないことがわかっている今、わたしは素直に自然を楽しめるのか不安になった。


「ここから入っていいんだよね?」

『ああ。危険だからハイキングルートの外には出るなよ』

「うん、ありがと」


 歩きはじめてからすぐ、世界が変わるのがわかった。

 ハイキングルートに入る前から自然に囲まれてはいたけど、舗装された道をはずれただけでこんなにも変わるとは思わなかった。


「すごい……」


 何も聞こえないけど、こちらを見つめる木々たちが何かを語りかけているような気がした。

 そのまま山道を進んでいくと、人がひとり座れる大きさの石を見つけた。せっかくだからと、わたしはその石に座ってみた。


「目線が低くなっただけでも雰囲気が変わるんだ……」


 わたしは両手を上に伸ばして深呼吸した。

 とにかく空気がおいしい。


 しばらくここに座っていると、わずかに風が吹いた。

 草木が少しだけ揺れている。


「今はどんな音が鳴ってる?」

『しゃー、さわさわ、かさかさ。こんな感じだな』

「なんかちょっとわかるかも」

『あとは近くで鳥の鳴き声が聞こえるな』

「えっ、どんな感じ?」

『ピヨピヨ、チュンチュン、ピロピロ。おそらく小鳥だな』

「へー、かわいいんだろうなぁ……」


 ここにはいろいろな種類の動植物がいて、それぞれが個性を持って強く生きている。

 何も聞こえなくても、目で見て手で触れることで自然は感じられる。そして自然を感じることで、心身ともに癒されていく。


「ティーユは今どんな気持ち? 自然に帰りたいみたいな感覚にはなった?」

『そんな感覚にはならない。だがまあ、俺が人間だとしたらさぞかし気分がいいだろうなとは思った』

「なにそれ」

『お前の表情が最初に会ったときよりも明るくて優しい感じになってたからそう思ったんだよ』

「あっ、なんだいい意味か。てっきり悪い意味かと思った」

『なんでだよ』

「さぞかし気分がいいだろうはちょっと悪者っぽいなって」

『そうか。俺もまだまだ勉強が必要だな』


 このあとは歩いて止まってを何度か繰り返した。

 そして帰る時間のことも考えて、わたしたちは頂上には向かわず来た道を戻っていった。


 バス停に着くと、ドッと疲れを感じた。こんなに歩いたのは記憶にないから、体がびっくりしているのかもしれない。

 時刻表を確認すると、次のバスが来るまではあと十分ほど。特にやることもないということで、近くにあるベンチに座って待つことにした。


「耳が聞こえる状態でまた来たいな」

『どうぞご勝手に』

「あっ……」

『あ?』


 ベンチに座ってすぐ、頭の中にすうっと詩が流れ込んできた。そしてそのままわたしの口が自然に動き出した。



 *

 籠の中の鳥は自由の扉の前

 音を失い外界へと放たれる


 天才が生みし奇怪な機械

 ぎょろ目光らせ魔法使い


 人が作る川の流れ

 車が作るまことの秩序


 目にした者にしばしの圧倒

 されど歩みは止められない


 日常に溢れる旋律が

 頭の中でこだまする


 声と弦の相互作用

 聴衆味わい反作用


 雑踏の中の小さき旅人

 無を楽しみ音楽とする


 鼻歌まじりの雨浴びに

 束縛ふわりと畏怖の念


 体ゆらゆら心むかむか

 道ゆく未知の波に酔う


 精霊に呼ばれし個

 昇華を経て仙人へ


 風が吹き

 林が泣き

 火が立ち

 山が鳴る


 小鳥のさえずりが響くと

 石は転がることを忘れる


 目に見えた言葉の数々

 少女の心に安らぎあり

 *



「はぁ……終わった」

『今のが例の詩か。俺には理解できそうにないな』

「わたしもよくわかってない」

『だろうな。今のは明らかにお前じゃないし』

「やっぱりそうだよね。口も勝手に動くし、意識も薄い感じするし」

『ついでに目も光ってるしな』

「えっ、そうなの!?」

『なんだ知らなかったのか。両目とも灰色に光ってるぞ』

「へぇ……」


 あのとき博士は見ていたはずなのに、どうして教えてくれなかったのか。

 それにしても灰色に光るってどういう感じなんだろう。次は写真に残してもらおうかな。


「あっ、そうだ。一応これがトリガーになってるからもう聴覚は戻せると思うけど、博士は何か言ってた?」

『このまま続けても効果はなさそうだからもういいそうだ。今ここで戻すか?』

「うん、お願い」

『終わったぞ』

「はやっ!」

『近いからな。それで、聴覚実験はどうだったよ?』

「いやなんでまだそれ使ってんの。もう聞こえるよ」

「おっとそうだった。やっと声出せるぜ。ふぃぃぃふぉぉぉ!」

「うるさい」

「これが叫ばずにいられるか。お前も一緒にどうだ? ストレス吹き飛ぶぞ」

「ふーん。わたしとの実験は相当ストレスが溜まるんだね」

「この際はっきり言わせてもらう。めちゃくちゃ溜まる」

「はいはいそうですか!」


 このあとすぐにバスが到着し、わたしたちはバスに乗り込んだ。

 耳が聞こえる状態でのバスはドキドキでいっぱいだったけど、それ以上に疲労がすごかったからすぐに寝落ちしてしまった。

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