第12話 無音楽
わたしはどうして音を覚えていないんだろう。
歴史上の人物や出来事、日常的に使うものや食べるもの。それらは覚えていたり言われれば思い出せたりする。
それなのに、どうして日常的な音でさえ覚えていないんだろう。
「ねぇ、ティーユ」
『なんだ?』
「どうしてわたしは音を覚えていないの?」
『知るか』
「高性能ロボットでしょ? ちょっとは考えてよ」
『んなこと言ったって、俺はお前の脳がどうなってるかなんて知らないんだよ』
「えっ……じゃあどうやって電磁波を的確な領域に流してるの?」
『博士から伝えられたところに流してるだけだよ』
「へー、そうなんだ」
『お前いま使えないなって思っただろ?』
「思ってないよ」
『ほんとか?』
「ほんとほんと」
わたしの頭の中で情報がどのようにまとめられているのか。それがわかれば何かがわかるかもしれない。そう思ったけど、よく考えればそんなことがわかるとは思えない。
未来はどうかは知らないけど、現代の技術で特定の情報がどの部分に記憶されているのかがわかっていれば、そもそもこんな実験をやる必要がない。
博士はわたしの状況に対応できる医者が存在しないと言っていた。天才である博士でも記憶の戻し方はわかっていない。
つまり、今このことについて考えても何も進まないし意味もないのだ。
「変なこと聞いてごめん。今のは忘れて」
『気にするな。ただ、少し思いついたことがある。聞くだけ聞くか?』
意味はないかもしれないけど、聞けることがあるなら聞いておいて損はないか。
「うん、教えて」
『音を覚えていないというよりは、そもそもその音を知らないんじゃないか?』
「音を知らない、か……。そう言われても、わたしにはわからないな」
『まあそうだろうな。ただ、その音を一度でも聞いたことがあるなら、なんとなくこんな感じの音だろうってのはわかるはずだ』
「たしかに……」
『これはひとつの可能性でしかない。脳は複雑だからな。だがもしそうだとしたら、お前はかなり長いこと眠っていたと言える』
「言えるって……わたしがどれくらい眠ってたかほんとに覚えてなかったの?」
『そう言っただろ』
「そうだけど……」
てっきりはぐらかされたと思っていたけど、どうやらそうではなかったらしい。いくらティーユが高性能ロボットでも、知らないことはあるってことか。
『思いついたことはもうひとつある。ちなみにこっちはもっとシンプルだ』
「どういうの?」
『特定の音の記憶だけが脳から消えたってことだ』
「……それってつまり、考えることを放棄したってことでいい?」
『んなわけねぇだろ』
「じゃあどういうこと?」
『確認だが、自転車とか電車の音は覚えてないんだろ?』
「うん」
『ならクラシックはどうだ?』
「クラシックか……」
『別にクラシックに限定しなくても、なんかの曲とかでもいい。それは覚えてるか?』
「なんとなくこんな感じのメロディーだったかなってのは、パッと出てきたものもある」
『そうか。ならこっちの考えのほうが合ってるかもな』
「言われてみればそうかも。音に限らず、他の記憶もそんな感じだし」
『これもひとつの可能性でしかないから、絶対にこれだとは思うなよ』
「わかってる」
結局はわたしたちが考えても仕方ないってこと。こういうので頭を使ってもあまりいい刺激にはならなそうだから、やっぱり気にせず気楽でいたほうがいいか。
『おっ、なんか歌が聞こえるぞ』
「え、どこから?」
『これは……時計塔の下だな』
「時計塔……あっ、あれか」
『行くのか?』
「一応ね」
『そうか』
ティーユが歌を聞いたということで、わたしたちは時計塔の下のほうに移動した。
そこには少しだけ人が集まっていて、目線はひとりの歌手に向いている。
その歌手は小柄な女性で、肩にはギターがかかっている。弾き語りというものだろうか。
『ほう、いい声してるな』
「そうなんだ」
ティーユや周りの反応を見ればちゃんと歌っているんだなとは思うけど、その声が今のわたしに届くことはない。いったいどんな歌声なんだろう。
『どんな声か聞かないのか?』
「説明するの難しいでしょ。わたしは自分の声でも無理だよ」
『たしかに』
声は他の音とは性質が異なっている気がする。厳密にどうなのかは知らないけど、声そのものを誰かに伝えるために表現するのは無理だと思う。
『だが、俺だけ楽しむのは少し気分が悪い』
「ロボットにもそんな気持ちあるんだ」
『俺は高性能だからな』
「ふーん。でも少しなんだ」
『揚げ足を取るな』
「ふふっ、ごめん。でも大丈夫。わたしも楽しんでるから」
『ふぇー』
これは嘘じゃない。
声を聞くことはできないけど、楽しそうに歌っているのを見ると、なんだかわたしも心が躍る。内側からキレイになっていくような、そんな感覚を味わえた。
それに、ギターの奏でる音色は聞こえないけど、スピーカーから出る音の振動を肌に感じることはできる。わたしはリズム感があるみたいだから、その振動から少しだけメロディーを楽しむこともできた。
音を楽しむと書いて音楽ではあるけど、その場の雰囲気や振動を感じることができれば、音は聞こえなくても楽しむことができると知った。
わたしは音楽に精通していないからできないけど、詳しい人なら脳内で音楽を作ることもできるだろうから、なかなか奥が深いなと思った。
『終わったぞ』
「みたいだね」
『ほんとに楽しめたのか?』
「まあそれなりに。今のわたしの脳を見たら、部分的に活性化してると思うよ」
『ならよかった。ちなみに、記憶に影響は?』
「特に何も」
『そうか』
博士がいたら脳の状態をちくいち確認できただろうけど、それはそれで変なプレッシャーになると思う。その精神的重圧によって脳の働きが妨げられないように、博士はわたしを外に出したのかもしれない。
いや、あの人がそこまで考えているとは思えないな。
『なんで笑ってんだ?』
「ううん、なんでもない」
『変なヤツだな』
「今日はもう帰ろっか」
『もういいのか?』
「うん。ちょっと疲れたから」
『そうか』
今日の実験はここまでにして、わたしたちはホテルに戻ることにした。
その道中で空に飛行機が飛んでいたようで、ティーユが音を教えてくれた。
『ギューグォーン』と聞こえたらしいけど、それがなんだかおかしかった。目で見た感じだと「スゥー」が妥当だと思ったから。いや、むしろ無音でもいい。ほんとにゆっくり進んでいただけで、まったく音を想像できなかったから。
ホテルに到着してすぐ、わたしはお風呂に入った。
音のないシャワーは新鮮で、ひとりでワクワクした。もしかしたら体を揺らしながら鼻歌も歌っていたかもしれない。ティーユに聞かれていたらと思うと、ちょっと恥ずかしい。
まあでも、一日の疲れを癒すことができてよかった。
「ティーユはお風呂入る?」
『入るわけないだろ』
「防水加工されてないとか?」
『なめんなよ。そんなの最大レベルであるわ』
「じゃあ入ればいいのに。すっきりするよ」
『俺にその感情は必要ない』
「あっそ」
汚いから入ってと言いたくなったけど、自動でキレイになる仕組みだからとかなんとか言われそうで、面倒だからやめた。
「そういえば思ったんだけど、この実験の終わりって誰が決めるの? 視覚のときは博士が決めてたと思うけど、今はわたしとティーユしかいないし」
『ああ、たしかにそれは聞いてなかったな』
「えぇ……」
『お前が寝たあとに博士に聞いておくよ』
「あっ、そんなことできるんだ」
『だから俺をなめんなって』
「ごめんごめん。じゃあ明日の朝に教えてね」
『おう。ゆっくり休めよ』
「うん。おやすみ」
わたしはふわふわの布団の中で丸くなり、ゆっくりと目を閉じた。
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