第24話 霧の巨獣を討つ
アルスは粉を体に振りまいた。薬粉が肌を覆い、体にまとわりつく毒素や粘液を弾いていく。このわずかな時間が勝負だと判断したアルスは、剣を握り直し、深く息を吸い込む。湿原のぬかるんだ地面に足を踏みしめ、剣を両手で構えた。
「ここで決める……!」
その声には、これまでの戦いの疲労を感じさせない鋭い決意が宿っていた。彼の筋肉が全力で収縮し、肩から腕、そして剣を握る指先に至るまで力がみなぎる。その膨れ上がった筋肉が力を解放する瞬間――アルスは剣を全力で横に振り抜いた。
剣の一撃は湿原の空気を切り裂き、周囲に強烈な風圧を生み出した。その風圧が濃密な霧を吹き飛ばし、視界が一瞬だけ開ける。その刹那、アルスは周囲を素早く見渡し、霧蛙の巨体が霧の向こうにうずくまっているのを視認した。
「いた……!」
アルスはすかさず地面に剣を突き立て、体を反転させると再び剣を振りかぶった。筋肉が張り詰める感覚を全身で感じながら、再び霧蛙に向かって全力の一撃を放つ。
霧蛙は反応し、その巨大な舌を伸ばしてアルスに応戦しようとする。湿原を切り裂くように飛び出す舌の勢いは凄まじく、彼の体を捕らえようと狙い定められていた。だが、アルスの剣はその舌を正確に捉え、弾き飛ばした。
「これで終わりだ……!」
舌を弾かれた霧蛙の巨体が一瞬怯む。アルスはその隙を逃さず、一気に間合いを詰めた。霧蛙の皮膚は分厚いが、その腹部は比較的薄い――直感でそう判断したアルスは、剣を力強く振り下ろす。
剣は見事に霧蛙の腹部を貫き、霧蛙は鈍い声で唸りを上げながら後ろ向きに倒れ込んだ。その巨体が湿原に響く音と共に倒れると、地面が震え、水面に波紋が広がる。霧蛙は最後の抵抗とばかりに粘液を全身から噴き出すが、その眼は次第に光を失い、動かなくなった。
アルスは一歩後ずさりしながら、息を整えた。
「……ふぅ。これで終わりだな」
彼の声は冷静さを保っていたが、その瞳には戦いの緊張感がまだ残っていた。
周囲の霧が再び濃くなる中、アルスはすぐに別の心配に気を向けた。
「……マルタ!」
彼は剣をしまいながら辺りを見回した。霧蛙との戦闘に集中していたため、マルタの存在を完全に見失っていた。
「どこだ……!」
湿原の中に声を響かせるが、返事はない。不安が胸を過ぎる中、しばらくすると霧の向こうから小さな声が聞こえてきた。
「ここだよー!」
アルスはその声の方に足を向け、泥に足を取られながら急いだ。そこには、なんとも信じられない光景が広がっていた。
マルタは湿原の中で膝をつき、孵化したばかりの霧蛙の子供たちと戯れていた。彼女の手には小さな霧蛙の子供が乗せられており、その口からは毒素が出ているはずなのに、マルタに害を与える様子はまったくなかった。それどころか、彼女が撫でるたびにおたまじゃくしのような体を気持ちよさそうに揺らしている。
「……どういうことだ……」
アルスは眉をひそめながらその光景を見つめた。霧蛙の子供たちは周囲に多数おり、通常であれば人間に襲いかかるはずのモンスターだ。しかし、マルタに対しては何の敵意も見せていない。それどころか、彼女に甘えているようにすら見える。
「モンスターが……心を開くなんてことがあるのか……?」
アルスの胸には不思議な感情が湧き上がった。それはマルタの存在に対する疑問だった。なぜ彼女にはモンスターがこうも友好的になるのか。彼女の出生や、その不思議な力が次第に彼の中で謎を深めていく。
「アルスおじさん、もう倒したの?」
マルタが笑顔で手を振りながら問いかけてきた。アルスは短く頷くと、彼女に手を差し出した。
「ここはもう危険だ。行くぞ」
「うん!」
マルタは霧蛙の子供をそっと地面に置き、アルスの差し出した手を握った。二人は濃霧に包まれた湿原を後にし、湿原の出口に向かって歩き出した。
アルスの中には、霧蛙との戦いを終えた達成感とは別に、マルタという存在への謎が新たな火種となって残ったままだった――
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