第17話 家での決まり事

 ファリダット町の静かな夜、アルスとマルタは雨に濡れたまま家へと戻った。家の中に足を踏み入れると、暖かな空気が二人を迎えた。アルスは黙ってランタンを灯し、濡れたマントを脱ぐと、タンスからタオルを二つ取り出し、自分の髪をタオルで拭きながら、マルタの濡れた髪を雑ながらも拭きあげる。そして、服を着替えさせたあと、椅子を引いてマルタに座るよう促した。


「座れ。話がある」


「え? 何の話?」


 マルタは首をかしげながら椅子に腰を下ろした。その目は少し不安げだったが、アルスの真剣な顔を見て、何か大事な話があるのだと悟った様子だった。


 アルスは目の前のテーブルに手を置き、低い声で言葉を切り出した。


「これからお前がここで暮らすにあたって、三つの条件がある。それを守れなければ、この家にいることは許さない」


「ええーっ! そんな厳しいの?」


 マルタは目を丸くして驚くが、アルスは表情を崩さずに続けた。


「まず一つ目だ。夜は遅く寝るな」


「えっ、それだけ? なんだ、簡単じゃん!」


「簡単だと思うか? お前はまだ幼い。成長するためには早く寝るのが大事だ。夜更かしして体調を崩せば、俺が面倒を見る羽目になる」


「うーん、確かにそれは嫌かも……わかった! 早寝早起きね!」


 アルスは軽く頷くと、二つ目を続けた。


「二つ目。ナイフは振り回すな」


 これを聞いた瞬間、マルタは頬を膨らませた。


「振り回してないもん! さっきもちゃんと持ってただけだよ!」


「違う。振り回すなというのは、俺がいない時に無駄に使うなという意味だ。ナイフは護身用だ。それ以上でも以下でもない。扱う技術がなければ、ただの危険物だ」


「じゃあ、扱えるだけの技術を覚えればいいってこと?」


「その通りだ。自分で磨け。それができないなら、ただの飾りとして持っておけ」


 マルタは少し考え込んだ後、笑顔で頷いた。


「じゃあ、ちゃんと練習する! アルスおじさんが教えてくれるんでしょ?」


「勝手に決めるな。自分で腕を磨け。わざわざ危険な道を教えるわけが無いだろう」


「えぇ~……自分でかぁ」


 アルスは最後に、少しだけ間を置いて三つ目を伝えた。


「三つ目……危なくなったら、自分の命を優先しろ」


 その言葉を聞いた瞬間、マルタの表情が少し曇った。


「自分の命……?」


「ああ。お前はまだ未来がある。俺とは違う。危険なことに首を突っ込むな。逃げられるなら、全力で逃げろ。それが一番大事なことだ」


 アルスの真剣な目がマルタを見据える。彼の声には、どこか悲しげな響きが混じっていた。だが、マルタはその視線にじっと応えた後、明るい声で返事をした。


「うん、わかった! 絶対守るよ!」


 その笑顔はどこまでも無邪気で、アルスの胸を締め付けた。


 三つの条件を無事に伝え終えると、アルスは食事の準備を始めた。簡単なスープと焼きたてのパンをテーブルに並べると、マルタは嬉しそうに手を叩いた。


「わあ、美味しそう! アルスおじさん、ありがとう!」


「黙って食え。味は期待するな」


 そう言いながらも、アルスはどこか柔らかい表情を浮かべていた。マルタの元気な声が家中に響き渡り、その音は雨音を忘れさせるほどだった。


 食事を終えた後、マルタは布団に潜り込んだ。アルスがそっと彼女の頭を撫でると、マルタはくすぐったそうに笑いながら目を閉じた。


「おやすみ、アルスおじさん……」


「……ああ、さっさと寝ろ」


 アルスは短く答え、ランタンの明かりを落とした。部屋が静かになると、マルタの穏やかな寝息が聞こえてきた。


 アルスは自分の剣を手に取り、外の庭に出た。雨は止み、空には星が瞬いていた。彼は剣を握りしめ、静かに振り始めた。


「守るためには……もっと強くならなければならない」


 剣が風を切る音が夜空に響く。彼はマルタとの約束を胸に、さらなる力を求めていた。守るべき存在ができたことで、彼の剣はこれまで以上に鋭く、力強いものとなっていた。


 夜が更ける中、アルスの剣は止まることなく振られ続けていた――マルタを守るため、そして自分自身の迷いを振り払うために。

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