53 閑話 十六 鳥の飛ぶこの世界で  ENDE

十六 鳥の飛ぶこの世界で  ENDE





 世界が何でできているのかを、しらない。



 藤堂は、平和な日々を送っていた。

 異世界に来たとか。

 この世界は現実なのか、とか。

 そんなことは常にあたまの片隅くらいにはあるが、常に考える巨大なテーマではなくなった。人間、暇だと碌な事を考えないという。

 実際、あまりに忙しければものを考える暇などないのである。

 そして、藤堂は見事に世話人達と他諸々が予測したとおりに忙しさの海に呑み込まれる日常に突入していた。

 デス・マーチである。

 監視業務である。

 本来、監視業務――つまり、サーバとか何とかを護る為に異常が起きないか監視する業務は、普段はあくまで暇なはずだ。

 多分。

 しかし、政府関連のやらかしが多いサーバを集中的に管理する役割を室長の濱野が兼任している以上、それは無理な相談だった。

 24時間、異常が無いかを交代制で見張る。

 それは、地道な上に人間には本来向かない業務である。

 故に、濱野はそれを人工知能――AIであるジャスミン達に基本任せている。巡回という、異常検知システムを自動で動かした上で、ジャスミン達にも見張らせているのだ。

 サイバーセキュリティ。

 コンピュータ関連の空間に異常がないかを確認して、穴が出来ていたり何だりすれば片付ける。或いは、予測といって、セキュリティの穴を検証して防ぐ為の更新プログラム等を作成する。まあ、もっともそうした作成は専門家がやることなので、通常の見回り業務、つまり監視業務には関わりのないことだ。本来なら、だが。

 本来なら、それでいい、―――しかし、である。

 濱野が異常にできすぎる為に、研究室の一員となった藤堂にも、考えられないくらいハードな案件が転がり込んでいた。

 例えば、巡回して見つかったセキュリティ・ホールへの警告があったとき。

 何故か、時間単位で締め切りが切られ、それに対応しなくてはいけなくなる。

 穴を塞ぎ、敵を撃退しカウンター・アタックを仕込んで、セキュリティ・レポートをあげて。そこまで、しめきりに10時間ないとか。

 同時多発的にセキュリティが突破される案件が発生して、24時間以内の時限装置が仕込まれて、その対応に睡眠時間が消えてなくなり、いつのまにか朝を迎えていたりなんて。

 デス・マーチより性質が悪いかもしれない。

 少なくとも、デス・マーチは、終わる。繰り返すかもしれないが。

 セキュリティ案件は突発的な上に時間を選ばず、さらに「常に起こり続けて」いる。そう、「常に起こり続けて」いるのだ。

 終わることはない。

 対応は永遠に、続く。

 よくいわれる、いたちごっこだ。

 対応なんてしてたら、人間らしい生活とは確実におさらばである。

 かくして。


 藤堂は、現実が何か、とかいう哲学に悩まされることはなくなった。


 かわりに、サイバーセキュリティという沼に落ちた。

 沼である。いや、ブラックホールか?

 あるいは、既に世界は暗闇に落ちたのか。


 般若心経にいわれる、一切が無であり、有は無で在る精神で。

 すべてを忘れられたらいいのだろうが。

 無を念じる精神はあっても、其処に現実で在ろうとなかろうと、対応を迫られる案件があるのである。


 今日も、アラートがあがる。

「藤堂さん、システム・クライシスです。起動時に異常発見、現在、メインサーバが起動せず、ループに入っています」

「…―――濱野さん、寝たのいつ?」

「ハマノが眠りに入ったのは、2時間12分前です」

「わかった、…―――ジャスミンさんと、ネモフィラさんで協力して、攻撃がないか周回を頼みます。ループ上の異常チェックはこちらで回します。プログラム作成投下に13分、報告の代理をヘレネ、かわりにお願いできますか?」

濱野に睡眠を取らせる為に、起きるまで自身でこのアラートに対応することを決めた藤堂が矢継ぎ早にジャスミン達に指示を出していく。

「了解しました。対策方法と時間経過を代理で報告します」

「ありがとう、ヘレネ。ジャスミン、担当官はだれ?」

しばし、キーボードを藤堂が叩く音だけが響く。既存の異常探索プログラムに修正を加えて保存するまで、12秒。さらに、動作検証をして、必要な部分に叩き込む為にカバーをつけるのに、3分。稼働させて、ルートに放り込むのに、5秒。

 ここまでに3分17秒。

 そして、―――。

「臨時の担当、――分析官が他の任務に就いている為、いま、臨時に担当官を任命したようです」

「いまだって?」

そんな?と藤堂が眉を寄せる。そうしながらも、手は休めない。

 担当官に説明する時間も惜しい為、とにかく先手をとって対策を実行していく。

 報告が必要なのは、もし藤堂に与えられている対応権限を越える事態が起きた際のみだ。後は、最後の報告か。

 いまの処、通常対応のみで緊急に報告が必要な案件はみえない為、事態を収拾する為の準備をしていく。

 既に異常検知する為のプログラムは出来ているが、異常を起こしているサーバに接続しその内部に送り込む為にコンパイルする必要があり、それに一番時間がかかる。要は、そのサーバが理解できる言葉にして、送り込んでやる必要だ。

 その翻訳が一番時間を食う。

 最初から理解できる言語で作ればいいというかもしれないが、それをしていると膨大な量の同じ用途であるのに、違う言語で書かれたプログラムが必要になる。

 それを作成する手間と時間、「翻訳」の時間をくらべれば結局は多少の時間を犠牲にした方がいいということに傾く。

 尤も、その時間が惜しいものなのだが。

 ループの異常チェックをしている間に破壊が進んでしまえば取り返しはつかない。事前に準備した防護策や、復帰させる為のデータ保存の予備等は当然あるが、それだけではどうにもならないものもあるからだ。

 かくして、十数分処か、数分、あるいは数秒の単位での短縮は常に求められている現状だ。とんでもない戦場が、このサイバー空間の中にはあるのだが。

 対するに、絵面はとんでもなく地味である。

 モニタに向かって座り、キーボードを叩いているだけ。

 たまに、極まれにキーボードだけでなく、マウスというものが動くときも存在するが。結局はキーボードを叩く方がはやいというなんともな理由によって、打ち込む音だけが空間に響いていくこととなる。

 とんでもなく地味だ。

 内容を解説した処で、まだ地味の極地なのだが。

 それはともかく。

「ループ異常検知プログラム作動開始、――――」

ジャスミンが異常検知プログラムの作動開始を告げる。ようやく、サーバ内部の必要な空間でそのプログラムが走り始める。後は、それが異常を検知してくれるのを待つだけだ。

 さてと。

「お茶をどうぞ、藤堂さん」

「ありがとう、ジャスミン」

マニピュレータが藤堂の前にお茶を出してくれるのに礼をいう。

 もうしばらくして、異常が検知されたら忙しくなる。その隙をついて休憩したり、お茶を飲んだり。あるいは、食事をとって栄養を補給したりと。

 そうしたことを、自動的にジャスミンは気にかけてくれる為、藤堂はとても感謝している。後は、すきまをついてすこし運動をする必要があるだろう。

 離席して、少し身体を後で動かしておこう。

そんなことを藤堂は思いつつ、モニタに展開されている幾つものウィンドウをみる。背景はすべて黒、文字色も同一で、中に流れている高速の文字が動いているプログラムだ。その表示を藤堂が見て、必要な修正と新たな命令を入力していく。

 必要なプログラムを呼び出して、仕掛ける。

「ループの原因がわかりました」

「ありがとう、ジャスミン、ネモフィラさんは警戒巡視に戻って、――ヘレネさんは臨時担当官に連絡を、―――」

 権限を越える命令を出す必要ができた場合に備えて、藤堂がヘレネに担当官呼出しを依頼して、対応を進めていく。


 そんなこんなで。

「濱野さん、…―――おはようございます、…」

寝ぼけた顔で藤堂がお茶をすすっている。手にしているのは、ジャスミンがいれてくれた身体に良いジャスミン茶である。良い香りがして神経がやすまる。

「うん―――?あ、とうどーくん、ありがと」

「はいー」

ぼけぼけとジャスミン茶をのんでいる藤堂に、寝ていた時間に起きていたことをチェックしていた濱野が礼をいう。

「なにかありましたー?」

「うん、このサーバ起動エラー、対応おわってるのな?たすかったわ、ありがとー、とうどーくん」

「いえいえ、…。濱野さんもちゃんと寝てくださいね?」

「まあなー、ありがとなー。とうどーくんも、これからちゃんとねなよ?」

「はいー」

間延びした返事がすでにねむりかけている藤堂から濱野にかえる。

「そーだ、あとで起きたら、ごはん食べにいこー」

「はいー、…ごはんですか?」

「うん、連絡きてる。せきくんがごはんつくってくれるって!」

「たのしみにします。はい!」

関がごはんをつくってくれる、という濱野の言葉に藤堂がそのときだけぱっちり目をひらいて返事をする。

 そして、次の瞬間沈没している藤堂をみて。

「…ヘレネ、藤堂くん運んでくれる?」

「了解しました。藤堂さんを運びます」

藤堂の座っていた人をダメにするソファがのびてベッドになり、自走して藤堂の個室へと動き始める。

「うん、とうどーくんもちゃんとやすんでね?」

それから、濱野が天井を仰ぐ。

 白い天井と壁に、青空と雲が投影され周囲には緑の樹々が葉を風にそよがせて揺れている光景も映し出される。

 かなしいのは各所に浮かび上がるように映されたモニタ――異常検知等のプログラムが動く、全世界の状況と濱野達が請け負っている監視先の状態を映し出しているそれらがあるということだが。

 モニタに向き合うだけよりは、いいのかもしれない?

「さてと、…――藤堂君のしごとはいつもきれいだよねー、うん」

感心しながら対応に開いた穴に手をくわえていく。

 そんな風にして。

 忙しい仕事の海に溺れて、現実とか異世界とか考える暇なんて何処にもなくなった藤堂。

 これもまた、平和といえるのかもしれない。

 まあ、ひまで考えても仕方ないことを考えてしまうより。

 忙しくしている方がいいのかもしれない。

 多分だが。


 かくして、藤堂は。

 現実が何かなんて悩むこともなく。

 サイバーセキュリティという沼に嵌まり込んで生きているのである。


 そこが別の世界かもしれなくても。

 或いは一期の夢であっても。

 目の前にある仕事はこなさなくてはならない、という。


 そして、美味しいご飯をモチベーションにしながら、働く藤堂がいるのだった。


 なやみなんて、そんなものなのである、――――。

 小人閑居して不善を為す。

 暇がなければ、悩むこともなく。

 美味しいご飯には、誰もそして勝てないのである。


 そして、今日もまた、藤堂は鳥の飛ぶこの世界で。

 鳥の飛ばない天地の狭間ではなく。

 鳥が飛ぶ刻に、生きている―――。


 藤堂という異界より来たりし鳥も。

 いつかは、大きく羽ばたくことがあるのかもしれない。

 

 いまがその刻でなくとも。

 いずれは、―――。


 異界よりの鳥が飛ぶ刻が。


 その刻を、―――。


 鳥の飛ぶ刻を。

 いつかを。


 異界より来たしり鳥が飛ぶ刻を。

 その刻を迎えるまで。

 



 鳥が飛ぶ刻に、いきている。


 滅びを迎えたその世界から生き延びて。

 鳥の飛ばない世界から、―――。


 それが善きことでも、悪しきことでも。

 鳥の飛ぶ刻に、生きている。


 唯、それだけの、――――。










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鳥の飛ばない天地の挟間 御厨つかさ @TSUKASA-T

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