52 閑話 十五 異界から渡る鳥
十五 異界から渡る鳥
「仕方ないですね。…でも」
篠原守が少しばかりくちごもる。それに対して、平然と返すのは橿原だ。
「あら、でもそれは仕方がないのですから、もう少し割り切られた方がよろしいかとおもいますよ?篠原さん」
「その通りだな、おまえはいつも相手に同情しすぎる。そもそも、藤堂に関しては既にその記憶の混濁は始まっているんだから、おまえが何といおうとかわりはないぞ?」
「…――――っ、ふっちゃん、非情っ、…!非情のライセンスっ、…!」
よよよ、と大袈裟にくちもとに手をあてて、のけぞって嘆いてみせる篠原守だが。
「ま、でもな。仕方ないというもんだろう。きみもいう通り。…長期観察はしてフォローしていくしか方法はないだろうな」
淡々という関に、ショックを受けた表情を作って篠原守がよよよ、とハンカチを引き絞ってみせながらなげく。
「ひどいっ、…!関さん!そんな風に、リアクションなしで会話を続けられるのが一番ダメージが大きいんですけど?!」
くっ、と引き絞ったハンカチに、ボクの演技が通用しないなんてっ、…と続けているのを関が綺麗に無視する。
処は、橿原邸。
藤堂と濱野を研究室へと送ってから、戻ってきたかれらだ。
「それで、対策はどうするんです?これからは?」
「そうですねえ、…。篠原さんの呪で藤堂さんの記憶に干渉して今回の記憶は消せましたけど」
「…抗議します。呪じゃないです、唯の御経です。般若心経です」
手をあげて会話に参加してきた篠原守に、藤沢紀志が嘆息する。
「おまえな。…それにしても、唯の御経でそうした効果を持たせる辺りが、おまえはへんだというんだ。経文を唱えて、何故、対象に効果を及ぼせる?異界からの存在がもつ精神に干渉する力など、普通は考えられん」
「ええっ、…!?それ、寿詞を唱えて呪言にしちゃうふっちゃんがいいます?ボクのやってるのは、単なる御経を唱えることで、どうにかなってるとしたら、それは御仏の御力です!ボクの力じゃありません!」
「…――――」
「ど、どうしたの?」
無言で、藤沢紀志が篠原守を見返す。
「…いや、御尊父達が、坊主にしたがるわけだと思ってな、…。あきらめて佛教大学受けないか?御本山もおよろこびになるだろう」
「い、いやですっ、…!ぼくは、坊主にはなりません、…!!!医者になるんです!」
こぶしを握っている篠原守を眇めた視線でみてから、溜息を吐いて藤沢紀志が橿原をみる。
「いずれにしろ、いつかは接触する。それに対する対策は?どうするつもりだ」
「そうですねえ、…。記憶の混濁といいましても、藤堂さんのようにはっきりと異なる世界から訪れた場合は、その記憶が完全に混ざり合ってしまうことはないとされています。いずれ、元の世界がどのようであったか、本当にこの世界にずっと生きてきたのではないのか、といった点についてはあやふやになっていくものなのですがね。…」
「現実かまぼろしか、…。世界を渡るものがその自我について悩み存立する世界についての疑いを持つのは当り前のことだからな、…」
「下手をすると、その時点で適応できずに、生涯隔離とかになっちゃうことも多いものねえ、…」
藤沢紀志の言葉に、篠原守も腕組みをしてうなずいていう。
「…藤堂さん、いまの様子なら何とか乗り切れそうではあるんですけどね?濱野さんとか、理解もあって良い上司ですし」
「まあさ、現実が何かなんて悩んでいる暇もないくらいきつーい仕事ばっかり振ってくるっていう点では、良い上司になるんじゃないかな?先輩は」
「…―――誰がそれおっしゃってるんですか、秀一さん、…」
突然、会話に入ってきた麗しい容姿の人物――鷹城秀一を振り仰いで、篠原守が情けない顔でいう。
「こんにちは。藤堂さんのご協力もあって、事件が早く解決したので。濱野さん一人だと厳しかったですし、僕としては今後とも藤堂さんを戦力に数えておきたいと思うんですけど」
にこやかにいいながら、何か包みを橿原に渡す鷹城に関が眉をしかめる。
「おまえ、それは何だ?」
「うん?おみやげ。橿原さんには、是非藤堂さんに対して甘い判定をしていただいて、今後も戦力に数えたいから」
「…―――おまえな、…だからって、」
額を押さえてがっくりと肩を落とす関に構わず、鷹城が橿原に包みを手渡す。
「これ、ぼくからのお土産です。本多からも、是非よろしくと」
「―――あら、お土産ですの?しかも、本多さんからも?」
「はい」
にこやかに微笑む美貌が何やら正視に耐えないほど麗しい。
何というか、…精神的な圧が微笑みから物理的に漏れ出ているようで。
尤も。
「ああ、鳩聖堂の懐かし菓子箱か。良い趣味をしているな。…本多は本多でも、お嬢さんの方だろう、これを選んだのは?」
穏やかな表情になっていう藤沢紀志には、まったく圧など通じてはいないようだが。
いや、むしろ、この圧も他ではともかくもこの場で通じる相手はまったくいないといっていいようだが。
鷹城秀一が振り向いていう。
「よくわかりましたね?これ、本多の真ん中のお嬢さんが選んでくれたんですよ。橿原さんにワイロを贈るなら何がいいかきいてみたんです。的確ですよね?」
「…――的確なのが困りものですよねえ」
「やはりそうか」
包みを受け取って困り顔の橿原と、得心がいって微笑んでいる藤沢紀志。
そして。
「藤堂さんは、精神的にも安定する方へ動いていると思いますし、この世界でも有用ですから。是非、戦力として此方で正式に雇用契約を結びたいと考えているんですが」
「秀一くん、…ぼくは委員会に諮る権限があるだけであって、けして、結論を決められる訳ではないんですよ?」
「存じ上げております。…今回のセキュリティ・ハザードに関する緊急対応のレポートをお渡ししましょうか?僕はいつでも、世界の破壊を防げるんでしたら、何でも利用したいと考えているんですよ」
にこやかにいう美貌に、困った顔で橿原が見返す。
「…鳩聖堂の懐かし菓子箱なんて、卑怯です」
「本多が、お嬢さんのアドバイスをもらう許可を出してくれる程ですからね?」
「それだけ、使えるということでしょうけど、…。」
橿原が頬に手をあてて困り切ったという風にしてみせる。
「…安定の方向に進んでいるというのは、完全に安定することがあるということではないのですよ?…――それは、この世界に適応したと思われていても、何かのきっかけで、世界の澱を溜め排除されなくてはならない異界渦になってしまうかもしれないということです。そうしたときには、処分しなくてはなりませんが?」
橿原の冷酷な言葉に鷹城が微笑む。
「無論、承知しています。その際は戦力外として処分に賛成いたしますので。それに」
言葉を切り、鷹城が篠原守と藤沢紀志をみる。
「だからこそ、この二人が監視役として傍についているのでしょう?世界に馴染むことが出来るかどうか。此の世界に害を為さず、…―――適応し順応して
「世界を破壊せずに」
生き延びることが出来るかどうかについて。もし、それが叶わないなら」
篠原守と鷹城秀一が視線を合わせる。
そっと、微笑んで。
「きみたちが、藤堂さんを処分する。その為についているのでしょう」
玲瓏とした白皙の美貌に感情の色はみえない。
藤堂は。
「そうなんですよね、…。ぼくたち、藤堂さんの世話係とかいわれてますけど、…」
篠原守が落ち込むようにしてつぶやくように。
それに、藤沢紀志が。
「無論だ。”それも”あわせての世話係だろうに。おまえは、いつまでも甘い。しかも、常に相手に同情して仏の慈悲とやらを垂れようとするからな、…。こちらの身にもなれ。おまえの甘い同情心の不始末をいつも片付けているんだぞ」
「…―――ふ、ふっちゃん、…非情の黙示録、…」
「何がだ。唯の事実だろう」
「僕からのコメントは控えますけど」
篠原守と藤沢紀志の夫婦漫才な会話に、鷹城がすらりとさしこんで。
「ですから、僕は信頼していますよ。此の世界が存続する為に、異分子であり異界から渡ってきた鳥である藤堂さんを」
そっとしずかに鷹城秀一が告げる。
「異界から渡る鳥が空を飛ぶときに、―――。もし、その鳥が世界を壊すのなら、鳥を必ず撃ち落としてくれる、と」
薄く微笑むその美しさに。
「それが、篠原守さんと藤沢紀志さんの役割であり、…―――」
鷹城秀一に篠原守が困ったような顔をして。
「橿原さんのおられる組織の役割だとおもっていますからね?」
「あら、こわい釘刺しですこと。」
「一ミリも怖いと思っておられないでしょ?そーいう顔してもうそくさいですよ?」
「あら、ぼくなんて、篠原くんに演技指導できるくらいに演技はうまいんですのよ?」
「…だからか、…篠原がこんなに棒なのは、…」
「あら、藤沢さん。聞き捨てなりませんね?」
何だか段々ずれ始めた連中の会話を聞きながら、視線を外して関が遠くをみる。
そして、ぼそりと。
「なにかしらんが、…つまりは、藤堂さんは現状維持でいいんだな?」
関の言葉に、篠原守が無言で橿原をみる。
藤沢紀志も、そして鷹城秀一もまた橿原を無言で見つめるのに。
「いやですねえ、…そんなに注目しなくても」
橿原が少しばかりすねてみせて、間を置こうとするが。
「それで?結論は?」
藤沢紀志の鋭い視線に橿原が天を仰ぐ。
その頃。
藤堂は、濱野とジャスミンとお茶をしていた。
「美味しいですね、ジャスミンさん」
「ありがとうございます。」
マニピュレータを使って淹れた茶を給仕してくれるジャスミンに藤堂が礼をいう。それに、AIであるジャスミンが礼を返して。
ほのぼのと、お茶をしている藤堂達である。
研究室のメインフロアには、人をダメにするソファと白い丸テーブル。
お茶請けは、芋花林糖。
芋を細切りにして干したものに、砂糖を蜜にして掛けたお菓子である。
濱野のお気に入りのお菓子だ。
「食堂で神に逢うなんて、やっぱり心臓に悪いからごはん食べにはいけないよねー」
「ですね、…。本当に」
濱野がのんびりというのに、藤堂も湯呑みを手にしみじみと頷く。
「…本当に、神、ですよね…」
「そうだよね、うん」
実にしみじみと実感がこもる二人の会話だが。
これに関して、一般の理解を得ようとしても無理だというのは真実だろう。
そもそも、コンピュータ関連で、しかも、プログラム言語関連となれば。
普通に会話していても、同じ言語を話していても。
○○語を話せ、と正面からいわれるのが通常の業界である。
同じ日本語を話してるのに。…
いや、それはともかく。
コンピュータ関連の世界。
それも、人工知能関連の言語を創造した、という事実。
それだけで、見事に濱野や藤堂からは、他、もれなく業界に生きるものから神認定されるのは当然なのだが。
…神、ですよね、…滝岡先生―――。
ある人工知能を生み出す原形となるプログラム言語。
深層学習を段違いに進化させた切っ掛けとなったプログラム言語というものがあるのだが。
ちなみに、プログラム言語というのは、コンピュータを動かす為にその背後で動いている仕組みを動かす為の言葉をいうのだが。
それらは、いまもコンピュータの世界を動かしているのだけれど。
当り前だが、それらの言語すべてに、それを考えた人間が存在するのだ。
どうやってそんなもの考えたの?と問い詰めたくなるとしても。
その言語にも幾つもの種類があって、進化していたり、色々とするのだけれど。
基本となる言語が生み出されて、プログラムされたコンピュータが世界に生まれ動き出して。いまそれらなくして、どうやって世界を動かせばいいのかといったほどのものだが。
ベーシックな言語が幾つもあり、常に改良されて、改良されたものがバージョンアップとして流布していき、また、…といった繰り返しの中にあるのだが。
たまに、新しい言語が生み出されて、世界の潮流に流されていく。
それらの中には、すぐに廃れるものもあれば、定着して世界のスタンダードになる言語もある。
プログラム言語の進化により、コンピュータができることは増えていき、改良された言語もまた増えていく。
そうした中で、新たにプログラム言語を生み出すというのはとんでもないことだ。
何故なら、言語というように。
プログラムに必要なワンセット――普通に人間が話す言語と同じように、完結する一式――を、新たに生み出さなくてはならないからだ。
命令式を持ち、それがループせずに完結して完了し、命令を遂行できるというのがどういったことか。
その言語を一式新しく生み出すという知性が、…―――どれほどのものか。
普段、言語に触れそれを使うことを仕事としていれば、その凄さが身に迫ってくる。
ましてや、世界に溢れる言語に新しいものを付け加えるという意味が。
「…人工知能を真に生み出したようなものですよね、…」
「それはマジ。神があの言語を生み出さなかったら、おれ、できてねーもん。ジャスミンは少なくともこの世にいない」
藤堂の嘆息に濱野が同意してうなずく。
「でも、公表しておられないんでしょう?」
「そうなんだよ、…。あくまで、フリーの言語として公開されてるからね、…。これで特許とってたらすごいことになってるのに、…ノーベル賞だって、何だって取り放題なのに!」
「もったいないですね、…」
「でも、それが神の御意志だしっ、…」
両手を組んで天を仰いでいう濱野に、藤堂も溜息を吐く。
「本当に勿体ない、…。世界を変えた言語ですよね、…」
「フリーで放流した言語だけどね、…。神はなんでもない言語だとおもっておられるらしいよ、…」
「どうしてその認識になるんですか?」
「…――神、だから、…?」
世間では、というか。そもそもプログラム言語というものを知っている層がいる狭い世間ではだが。
その狭い世間でも、人工知能と深層学習を飛躍的に高めた新しい言語を創造したのが誰か、ということはわかっていない。
一人ではないのではないか、少なくともチームでは?といわれていたり。
いや、言語の癖からしても最初に作られたのは一人で、その後、公開された後に多くの手が入っているのは確かだ、とか。
色々いわれているが、世間では当該言語の開発者は匿名のままだ。
そして、真面目に本人は特に大したことをしているとは思っていない、のが真実なのだが。―――それはおいて。
「まあでもさ、神に逢えてよかったよねー」
「はい、…感動しました」
あこがれのアイドル以上に、何というべきだろうか。
かれらの世界にとっての神――といえる存在である滝岡に出逢って。
実は、滝岡本人は濱野の反応を(そこから、藤堂に関してもある程度類推して)。
白衣が苦手だから、固まっている、とかいう理解をしていたりとするのだが。…
しみじみと、芋花林糖をかみしめつつ、お茶を飲む二人である。―――
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