50 閑話 十三 神との遭遇 3

十三 神との遭遇 3






 食堂。

 そこは、神との遭遇率が非常に高い空間である。――――




 滝岡総合病院、職員食堂とは。

 医療職に事務職をあわせて約三千人。

 かれらの食を満たす為に、滝岡総合病院職員食堂は設けられている。


 場所は第一と第二、そして総合に各一カ所。

 中でも、総合に設けられている食堂がメインといえる。

 食堂では、外科医長であり院長代理の滝岡がスカウトしてきたという元日本料理の料理人が中心となり大変美味な和食を中心に提供している。

 こだわりの料理は、実に評判がいい。

 栄養バランスが考えられた上に、非常に美味な日本の家庭料理をコンセプトとした定食は、もし星で評価されたら星三つがつくとまでいわれている。

 身体に良く、美味しく。

 夜勤明けに染み入るような美味な料理は、緊急手術をした外科医や、夜勤明けの看護師、検査技師他、医療職の疲労を解きほぐし、明日への活力をあたえてくれるといわれている。

 院長と院長代理、そしてもう一人の代表により。

「食は大事だ」という信念の元、職員の福利厚生の為、予算を注ぎ込まれて成立している食堂でもある。

 そして、この食堂はそうした理由で夜勤明けの医師や看護師等がよく利用している空間でもある。

 ちなみに、総合病院の食堂であるここが一番のメインでもある。

 第一と第二と呼ばれる他の専門的な医療を提供する小児専門病棟と婦人科等を診る為の病棟の食堂は比較すると職員数も少ないこともあり、メインの此方よりは小規模である。



 そして、いま。


 

「やっぱりな、…――」

関が肩を落とす。その隣で、その肩をかるく叩いてなぐさめるのは篠原守だ。

「仕方ないですよ、うん」

藤沢紀志もまた遠くを見ている。

「あいつは、…何だってまた、」

額に手を置いていう関と、かれら三人を包んでいるのはあきらめモードだ。

 処は、食堂。―――


「―――…」

 言葉を無くして、濱野の隣で固まっている藤堂。

 濱野は無論、固まっている。

 その二人に気付いて歩み寄るのは。



 少し離れた場所から、関が声を掛けようとはするが。

「おい、…」

 関の声が届く前に、その声かけは行われてしまっていた。

「お久し振りです。濱野さん、…?大丈夫ですか?」

 平常通り、首を傾げると手がするりと白衣のポケットに入って、いつのまにか聴診器を手にして濱野に対して診察モードになっているのは。

「…―――滝岡、…」

 関の小声はもう届いていない。

 それに構わず、固まって動かない濱野の前で、滝岡が心配そうに顔を覗き込んでいる。手首を取り脈を数えながら、顔色を観察して話かけて。

「…少し脈が速いですね。聞こえていますか?」

食堂の片隅で立ったまま固まっている濱野に対して、滝岡が脈をとり話かけながら、右手の人差し指を立てて濱野の顔の前で振る。

 固まっている濱野の視線がそれでも動きを追うのに、滝岡が少しうなずいて。

「緊張されていますか?…――椅子がありますから、座りましょうか」

穏やかに話かけて、濱野が倒れないように椅子に誘導しようとする、―――。

「滝岡」

「…――関、どうしたんだ?」

その背に、ようやく近付いて肩に手をおいて、関は軽くため息を吐いていた。

 滝岡に、悪気は無い。

 ないのだが、しかし。

「濱野さん、藤堂さん、…――藤堂さんもか、…座ってください」

「そうそう!座ってすわって!たおれちゃったら大変だものね!」

半分強引に篠原守が椅子を引き、藤堂を引き寄せて椅子に座らせる。同じく、関が濱野を座らせて。

 その二人と、関と篠原守を不思議そうにみて。

「一体どうしたんだ?…関、それに、―――守くんも?」

「お久し振りです」

そこへ、ゆったりと歩いてきた藤沢紀志があいさつを。

「ああ、藤沢さん。お久し振りです。光は最近、迷惑をお掛けしていませんか?」

「光くんはいつでも光くんだからな、いつもの通りだ」

「それは、…迷惑をお掛けしています」

「いや、そうでもない。いまの処は、こちらの藤堂を雇ってもらっているから、面倒をかけているのはこちらだな」

「そうなんですか?こちらが?」

藤沢紀志と滝岡が会話する前で、固まって座っている藤堂と濱野。

それぞれ、その二人の斜め少し後に立って、あきらめの境地にいる関と篠原守。

 藤堂と濱野の二人は、完全に滝岡と藤沢紀志が会話するのを前に固まっていた。

 正確にいうなら、その一人に。

「こちらが藤堂だ。将来的にはわたしが起こした会社で働いてもらうが、わたしがまだ未成年だから光くんに世話をかけている。濱野さんの下で働いてもらっているんだ」

「そうなんですか。…光がお世話になっています。光のいとこの滝岡です。藤堂さん、よろしくお願いします」

微笑んで自己紹介する滝岡に、藤堂が。

「…――――――は、はい」

完全にあがりきった小声で応えるが。

そのまま無言でうなずく藤堂に。

かるく首を傾げて、濱野と見比べてから。

 にっこりと微笑って滝岡がいう。

「よろしくお願いします、藤堂さん。」

「―――は、はいっ、…!」

緊張して固まっているのがよくわかる藤堂の反応に滝岡が関をみる。

無言で関が視線を逸らすのに、首を傾げながらも滝岡が藤沢をみて。

「それでは、こちらの食堂でお食事を?」

「そうだ。案内した処なんだ。これから逢うこともあるかもしれないが、そのときはよろしく頼む」

「わかりました。――藤堂さん、濱野さんも」

「…は、…はいっ、」

「はい」

濱野と藤堂が滝岡の声掛けに固まりながら返事を。

 そして。

「ゆっくりされてください。こちらの食堂の定食は美味しいと評判ですから」

微笑んでいうと、それでは、と。

 礼をして背を向けて。

 その白衣の背を見送って。

 いや、同じ空間にまだいるのだけれど、…。

 滝岡が定食を受取りにいく背。

 食事のトレイを手に席に就く姿。

 そんなこんなを、ぼーっと固まったままながめている藤堂と濱野。

「…―――どうにもならないな、…」

こっそり、と小声で関がいうのに。

「ですよね、…」

あきらめモードで篠原守が応える。

 我関せず、と。

 いつのまにか、手にもらってきたお茶を片手に飲みくつろいでいる藤沢紀志と。

 結局、滝岡が食事をすっかり満足して終えて。

 滝岡が食堂を出るその背を濱野藤堂の固まった二人組が見送るまで。

 声も無いまま動けずにいる二人組を、あきらめの視線で関が、天を仰いで篠原守が。そして、我関せずと食堂のおじさんから甘味などいただいて楽しんだ藤沢紀志。

「…やっぱり、こうなるんだな、…」

 藤堂の食生活を改善する為の食堂問題。

 その解決は遠そうだと。

 視線を遠くに逃がす関と篠原守がいるのだった。



「まあ、仕方あるまい」

「えー、ふっちゃんー、でもー」

「何がでもだ」

「だってでも、それじゃ解決から遠のいてしまうしー」

「それはそうだが」

藤沢紀志が冷静な表情でいい、それに篠原守が抗議して。

いつもながらの夫婦漫才に。

「いやでも、…さ?不可抗力というか、ね?藤堂くん?だよね?うん」

ようやく固まりから解けた濱野がいう隣で。

「…はい、…。本物は違いますね」

深刻な表情で藤堂がぼそり、という。

 その前に腕組みをして。

「そうか、藤堂、…。おまえも、濱野さんの同類だったか、…」

しみじみという藤沢紀志。

「だって、いまさらそれいっても、ふっちゃん」

「いうが、認識を新たにした処だ。…濱野さんが重度の滝岡さんフリークなのは知っていたんだが、…。藤堂さんまで同類だったとはな、…」

遠くをみる藤沢紀志の手には湯呑み。

「あ、玄米茶?こちらの食堂はお茶もおいしいよね、…ぼくももらってこよ」

「いってこい」

「はいなー」

片手をひらりと振って、篠原守がお茶をもらいにいくと。

藤沢紀志が二人に向き合いしみじみという。

「つまりは、食事に関しては、例えば、滝岡さんのシフトを教えてもらって、…―――例外もあるだろうが、…。そこで、いない隙をついて食事に来るというのはどうだ?」

「…おい、それは、――」

関がその提案に眉を寄せて留めようと話かけるが。

「う、…」

藤堂が手で鼻とくちもとを覆い。

「――――い、いやそれは、…神のスケジュール、…」

遠くをみながら濱野が両手を組んで何かつぶやいているから。

無言で藤沢紀志が関を見て、それに関も無言でうなずく。

 仕切り直すように藤沢紀志が藤堂と濱野に向き直って。

「わたしが悪かった。その提案は取り下げよう」

「そもそも、あいつはスケジュールあってないようなものだからな、…。いないと安心した処に、突発的に夜勤とか変更になって入ってきてみろ。心臓がとまるんじゃないか?下手すると」

険しい顔で関が二人をみていうのに、藤沢紀志が腕組みをしてうなずく。

「わたしが浅慮だった、…すまない。二人とも、帰還したか?」

「…――――」

無言で、こくこくと藤堂がうなずき。

ぶんぶん、と濱野が大きく頷いて両手を組んだまま藤沢紀志を見返す。

「そうか、…。しかし、本人だけでなく、スケジュールまで、…影響があるとはな、…」

「そりゃ、そうでしょー。アイドルのスケジュールがわかるようなもんよ?はい、お茶。二人とも、喉うるおしてね?関さん、緑茶でよかったですか?」

「ああ、有り難う、篠原くん」

人数分のお茶をとって戻ってきた篠原守が、トレイからお茶を各自に渡す。

それをありがたく受け取って関が息を吐く。

「しかし、…わからんのは、あいつが、…―――なんで、こうも神扱いなんてされるんだ?」

ちら、と嫌そうな視線を関が向けるのは、二人。

 濱野と藤堂の二人だ。

「え、と、…その、」

戸惑いながら関を見返すのは藤堂。

「関さんは、…あの方のお知り合い、…でしたか?」

「あの方ってな、…いや、ああ、一応、幼なじみってことになるな、…?」

「…幼なじみ、さん、ですか」

「――…おい?これ?」

途端に反応がかわった藤堂に、関が思わず身を引いて篠原守に視線を送る。

「…仕方ないですよ、関さん」

「何が仕方ないんだ?」

眉を大きく寄せて険相が一層強くなる関に。

うんうん、と悟りにうなずき湯呑みを手に篠原守が。

「神に逢ってしまったら、そういうものです。…滝岡先生は、迷える衆生にとり、救い主のような方ですからね。…あの素晴らしい患者さんへの献身。さらにいうなら、常に穏やかで人としての模範といえる素晴らしい人格に医療者としての素晴らしい技量。さらに、統率者としての人望の凄さ。滝岡先生は社会の善、人類に奉仕されるその寛大な御心。まるで本当に御仏のご来臨をこの世で体験させていただいているような心地になります」

「…―――藤沢さん、…これは、…」

不意に滔々と語り始めた篠原守に、関が完全に引いて藤沢紀志に助けを求める。

 それに、うなずいて。

「すまん。こいつは、別方向の滝岡先生の重度すぎるフリークでな、…。」

「いや、だが、…。先まで本人がいたろ?それで、この二人と違って固まったりしてなかったじゃないか?」

訊ねる関に無言でひとつ、湯呑みを手に重々しく藤沢紀志がうなずく。

「こいつの場合は、滝岡先生がいるときよりもこうして語り出すときの方がうるさい」

「当り前じゃないですか、ふっちゃん。ボクは、将来滝岡先生に師事するのが目標なんですよ?研修医になって、競争を勝ち抜いてこの病院での勤務を勝ち取って、将来、滝岡先生が指示してくれるのを隣りできいたり、滝岡先生の隣でお手伝いをさせていただくのが夢なんです、…!そんなとき、御本人がおられるというのに、手足が動けずにどうしますか、…!ですから、ぼくは普段から、滝岡先生が目の前におられるときは、気持ちを抑え、平常心で仕事ができるように訓練をしているのです、…!」

「落ち着け、篠原」

こぶしを握って力説する篠原守に、淡々と藤沢紀志がいう。

ぐっ、とこぶしを握って目を閉じてひとりうなずいている篠原守に。

「…おい、これは、…」

「ああ、…」

関が距離を二人から取る。眉をひそめてみる関に、藤沢紀志もうなずく。

感心した視線を篠原守に送るのは、藤堂。

「…凄いですね、…その訓練は、イメージトレーニングですか?」

「はい、藤堂さん。その通りです。常日頃から、滝岡総合病院で働く日をイメトレし、平常心で対応する為に日々訓練です。まずは、医学部に合格して、その間もできるだけこの病院に顔を出させていただき、…――来たるべき日に備えています!」

こぶしを握る篠原守の暑苦しいようすに――姿形はひょろっとしているが――深く藤堂が頷く。

「素晴らしい心がけですね」

「…――――どこが、すばらしいんだ、…?」

真剣にいう藤堂に、ぼそり、と関がいう。

その声は届いていないのか。

「応援します、篠原さん」

しっかりと肩に手を置いて、本気で藤堂がいう隣りで、無言で濱野も頷いている。

何故か、無言で何度もうなずいている濱野と。

深くうなずいていう藤堂。

「もし、おれにできることがあればなんでもいってください」

「ありがと、藤堂さん!」

「おれもできることするから!」

「濱野さんも、有り難うございます!…おれ、受験戦争をくぐり抜けて、それ以上の激戦区であるこの滝岡総合病院での研修医登録を勝ち取り!必ず!」

感極まったように篠原守が言葉を切る。

 そして、一拍おいて。

「…必ず、この篠原守!かならず、この滝岡総合病院に研修医として帰ってまいります、…!!!」

「がんばって!しのはらくん!」

「篠原さん、応援しています」

濱野と藤堂の熱い応援と。

「…―――――」

そこから完全に引いて、別のテーブルに背を向けて座り関がいう。

「…どうして、こうなるんだ?」

「わかりません。ですが、関さん、あなたの幼なじみが、ある世界では神で」

「…――――」

がっくりと、関が藤沢紀志の言葉に肩を落とす。

「医療者の世界では、…光くんのように派手なファンが多くはないのですが」

「篠原くんは充分、派手じゃ無いか?」

「いえ、あれでも、御本人がいる場所では騒ぎませんから、…」

「そういや、光のファンは派手なのが多いか、…。でも、日本にはそう来ないだろ」

「なんていいますか、滝岡先生のファンは先生が医療者として患者さん優先で動いておられるので、その評価を得る為にも、」

「邪魔にならない、影として将来滝岡先生を支えるのがボクの目標なんです!」

「…―――篠原」

「わかった、篠原くん、」

途中で熱くこぶしを握って割って入った篠原守に、淡々としてはいるが多少つかれた視線を送る藤沢紀志と、あきらめと共に見返す関。

「しかし、篠原くんまでフリーク、…こういうのだとは知らなかったな」

横を向いて関がいうと。

「普段は話題に出さなければおとなしいですからね」

「…それにしても、久し振りに御本人をみました、…」

つぶやきながら遠くをみるようにしている篠原守を、いやそうに目を眇めて藤沢紀志がみる。

「本当に、現実に御本人が御光臨なさるときに居合わせるとは、…」

藤堂がそれに同調するように目を閉じてつぶやくから。

「落ち着いてくれ、藤堂さん、…?藤沢さん、御光臨って」

関が藤堂の反応に、どうしたらいいんだ、と藤沢紀志をみる。

それに、ため息を吐いて。

「まあ、…放っておきましょう、…他に方法がありません」

「…だな」

より重度らしい濱野に至っては、先程から同じく目を閉じて、――多分、何かを回想している。考えたくないが、おそらく。

 ――滝岡との遭遇を思い返してたり、するのか、…。

 関が額を押さえて、大きくためいきを。

「…藤沢さん、食堂を使うのはあきらめよう」

「はい」

 そして、つまり。

 藤堂と濱野、二人の食生活改善に食堂を使うという案は、テスト段階で破棄されたのだった。

 ―――神との遭遇、ならぬ、滝岡との遭遇。

 濱野と藤堂は、その専門分野の神として。

 篠原守は、医者を目指す上での神として。

 神として尊敬するあまりに、どこか別の世界にいってしまっているようなかれらだが。

 ともあれ。

 その神=滝岡が、頻繁に使用する食堂。

 神と遭遇する度に、こうした異常事態になってしまうからには。

 喩え、食生活が危機に瀕していても。

 藤堂と濱野の二人が食堂を使うことは不可能なのであった。――――


 ちなみに、滝岡本人といる際は良い子で平常心を装備している篠原守は、将来的に食堂をきちんと使えるようになる為にも、時々、実地訓練などをしているようである。


 神との遭遇。

 神とも仰ぐ尊敬する存在との邂逅。

 それが頻繁にある可能性が高い食堂。


 かれらにとって、食堂は聖域といってもいいものであるのかもしれない。――――




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る