49 閑話 十二 神との遭遇 2
十二 神との遭遇 2
「んあ?」
濱野がぼんやりと納豆をかき込んでいる。
細く割いた焼き海苔が乗った贅沢なあさごはん。
「んー、最高だよねえ、…。ごはん、…」
「はい」
どこか遠くをみながらいう濱野のぼんやりとした表情とあやうい箸運びを前にしてもまったく動じることなく。
むしろ、まったく視界にも入らずに。
藤堂もまたぼんやりとしながら。
――玉子かけごはんに、納豆と焼き海苔、…―――。
日本に生まれたしあわせですね、と。
しみじみと朝ごはんを食べていたりとしたのだ。
処は、滝岡総合病院敷地内にある研究室。
尤も、病院からは公園のような中庭といくつかの建物を隔てている為に直接はみえないのだが。
その一室で、ぼんやりと。
土鍋で炊かれた美味しいご飯は炊きたてで。
焼き海苔と玉子かけご飯がしあわせである。
――無事、終わってよかった、…納品、…。
そう考えて、意識して仕事のことは外に追い出す。
セキュリティ・チェックという名目で始まったあれやこれやは、あまり記憶に留めたくない一連の作業であった。作業というか、…―――。
「おいしいごはんって、最高ですね」
「だよねー、とうどーくん、…。ジャスミン、お茶ある?」
「はい、用意してあります。こちらをどうぞ」
「ありがとー、ジャスミン-」
壁に取り付けられた小さな窓がひらき、そこにセットされているポットからカップにお茶が注がれる。
「おいしいー」
マニピュレータが濱野の前にお茶の入ったカップをおいてくれて。
それを手に取った濱野がとろん、としたまなこのままお茶をのんでいる。
徹夜が続き、健康なんてどこ?という切羽詰まった仕事生活を続けて三日。
――よく、終わったな、…。
藤堂が考える。
どうやって三日で終わらせたのか理解できないくらい記憶が飛んでいるが。
最終便で、鷹城さんが何やら報告書というものを回収していったのは記憶にあるが。それを首を振って忘れることにすると、焼き魚を箸にとる。
「…うまいですね、…」
しみじみという藤堂に、無言で濱野がうなずく。
この朝食は、誰かが運んで来てくれたものだ。
半分、寝ながら藤堂はおもう。
――さけが美味い。…
焼き鮭の紅がとてもきれいだ。塩加減も絶妙で、うまい。
食事をして、お茶をのんで。
仕事が終わった余韻をすべて遠くへ捨てて。
仕事自体を頭の中から放りすてて、しばしくつろぐ。
手にはお茶の入った湯呑み。
最高である。
ぼんやりしみじみしている藤堂。
おなじくぼーっと遠くをみている濱野。
少なくとも、人間として食事をして。
それまでの仕事環境から離れているいま、二人は人間だった。
サーバとかセキュリティとか。
そんなことは、いま遠い彼方にある。
「しあわせですね」
玉子かけご飯に納豆にしかも焼き海苔つき。
さらに、焼き鮭まである。
これをしあわせといわずに何といおうか?
日本に生まれたしあわせをかみしめて。
「あ、そーいえば、とうどーくん」
ぼんやりとお茶を手にしたまま濱野がいう。
半分眠りながら、藤堂が応える。
「はい、なんでしょう?」
「あのねー」
「はい」
「…―――うん、あのねー」
「はい、はまのさん」
「…―――あとーで、はなそーかー、…」
「はい、そうですね、…」
徹夜続きで掃討戦を。
セキュリティ的には焼け野原となった戦場を後にして。
半分以上睡眠に突っ込みつつ、なんとか歯はみがいてねむった藤堂達である。―――
「おはよう、藤堂くん」
「おはようございます、濱野さん」
食事をとり睡眠に突入し。いまが何時かはまだわからなかったが、目が醒めて顔を見合わせて、まず挨拶に入った藤堂と濱野である。
処は、研究室。
睡眠は、研究室でとった。
寝袋はないが、室温調整は万全であり、人をダメにするソファは睡眠にも最適である。通常は壁際に一つの人をダメにするソファが、このときは藤堂の分もあわせて二つ稼働していた。
その人をダメにするソファ(ロング)も壁に収納されて。
顔を洗ってきます、とあいさつの後、改めて各自の部屋に戻り。
あらためて。
「おはようございます、濱野さん」
「おはよ、藤堂くん。今日はもう帰ってもらっても大丈夫だからね。昨日までと今日の午前まで仕事にして、明日、明後日まで臨時におやすみにするから、安心して休んで」
「ありがとうございます。」
礼をいう藤堂に、濱野がまだどこかぼんやりとした顔でいう。
「おれさ、藤堂くんの仕事チェックたのまれてたんだけどさ」
「…はい?」
驚いてみる藤堂に、座るよううながす。
「―――はい」
一応上司となる濱野と対面で、それぞれジャスミンが出した椅子に座っていたりとするが。
「うちはさー、いろいろ特殊で、今回みたいに政府がらみの案件は一番多かったりするのよ。」
「はい」
手にジャスミンに出してもらったココアをもって、濱野が唐突に話し始める。
「政府っていうかー。秀一くん?あの子からくる仕事って、えげつないの多いんだよね、…。今回も、えげつなかったでしょ?」
「…―――コメントは差し控えさせていただきます」
「その暗い表情とコメントがすべてだって、…。そりゃね?あちらさんからのお仕事じゃなければ、こんな特急で、いきなりセキュリティ・ホール中の人がぶちまけちゃいました、なんて焼け野原必須の火事場案件なんて、誰も引受けたくなかったりするのよ」
「…―――」
濱野の言葉に藤堂が無言をつらぬく。そうでなければ、延々と―――色々な愚痴とか諸々が湧いてでるのは必須なのだが。
「…今回は中の人がやらかしたんだけどね、…。でも、契約してる以上、請け負わないわけにいかないし」
とおくをみながらさらに遠くへいってしまいそうな濱野に、引き留める為に声を掛ける。
「濱野さん、…その、――おれの仕事をチェックされていた、というのは、…」
「ああ、とーどーくん、…うん。その話だったよね?」
「それで、…どうだったんでしょうか?」
真剣にきく藤堂に。
「んあ?」
「…室長?濱野さん?」
「室長はいらないっていってるでしょー?ここ、ぼくときみ以外は常設の人っていないもんー、…あ、人間は常設っていわない?いうのかな、…あれ?」
「室長、濱野さん、戻ってきてください。濱野さんとお呼びしますから」
ぼけぼけといいはじめる濱野に、真摯に藤堂がくちにする。
それに、半眼でぼけーっとしながらむきあって。
「うん。…つまりね?えーと、へやでぷろぐらむ書いてもらってたでしょ?」
「はい」
あくまで真面目で真剣な藤堂に対して、ぼんやりとしたままの濱野。
「うん、…。合格ね?」
「合格、…ですか。」
「そう、ごうかく。ごかっけいだから、合格なのか、六角形なのか、…」
「遠くにいかないでください、濱野さん。」
「あ、ごめん。…まだねむくてさ、そういうわけだから、藤堂くんには、これからもああいう面倒くさい案件にも巻き込まれて付き合ってもらうからよろしくね?もちろん、その分の休みとかあげるし、…―――すぐに終わればだけど、…今回運が良かったからね、…」
また遠くなりかけた濱野を、藤堂が留めようとしてため息をつく。
「そうですね、…。運は良かったと思います、…」
セキュリティ・ホールを突いて攻撃された政府系のサーバ。
要は、政府関連の大事な情報をしまってある警備も厳重なはずのコンピュータとかが置いてある設置場所に、リアルに物理で人間が中からセキュリティ・ゲートを開放したのだ。勤める人間のチェックくらい、きちんとしておいてほしいというものである。いや、それはともかく。
物理で本来なら秘匿されているはずの情報を置いたサーバのある場所に侵入された上に、中から攻撃が入りやすいように門を開けた。
目に見えないサイバーセキュリティの世界ではあるけれど。
それは、いってしまえば簡単にリアルの世界でもある鍵開け案件だ。
家中の鍵を開けてオープンにされたら、一体どのようにして護ればいいというのか?そうして、家を護る筈の鍵を開けられて、攻撃受け放題だったサーバを何とか保守したのである。これを保守といっていいのかどうかはともかくとして。
少なくとも、情報漏洩をさせず、攻撃側を逆に潰すことが出来たのは確かだ。
もう遣りたくはないが。
とても運の良い条件が幾つか重ならなければ、そんなことはとても出来なかっただろう。
「とーどーくんもごくろうさまー。でさ、橿原さんに藤堂くんがこの世界で働いてもだいじょーぶかってきかれてたから、チェックしてたの」
「はい」
緊張して見返す藤堂に、あちこち話が飛びながら、のんびりとおくをみてお茶を手にした濱野がつぶやく。
「とーどーくんはすくなくとも、おれがみたかぎりでは大丈夫。プログラム言語なんて、世界が異なれば別になるけど、それなんて、いってみればこの世界限定でも色々あるからね?言葉なんて、多種多様じゃん」
「そのようですね、…。学習させていただいただけでも、多様な言語がありました。」
「そうそう。言語なんていくつも発明していくもんじゃん?それで、どうせバージョンとかもかわっていったら、文法ちがって、また大変だったりするしー。橿原さんの懸念は、世界が違う処で、プログラムしても大丈夫かってことだけど」
「いくつか、学習させていただきましたが、…それを基本にすれば大丈夫なんでしょうか?」
「藤堂くんの元々知ってる言語とも殆ど一緒でしょ?」
「はい。バージョンの違いとか、…いくつか知らない言語もありましたけどね」
藤堂の言葉に濱野がうんうんとうなずく。
「それに、チェックはジャスミン達にもしてもらったから、細かいとことかは」
「そうなんですか。それは安心ですね。…そういえば、こちらの世界では、深層学習を発展させた言語がありましたが、…――――あのプログラム言語を作られたのはどなたなんですか?あれだけ美しい言語には初めて逢いました」
「あ、わかる?とーどーくん!」
ジャスミン達、AI。そして、そのAIを発達させる為のブレイク――発展させる為の契機となった言語に対して藤堂がいうのに。
「あの言語は、とうどうくんの処にはなかったの?」
「おれは知りませんでした。…唯、あったのなら、もっと違った発展をしていたと思います。…こちらのようなAIはいなかったですから」
「え、そうなの?ごりごりハード押しで成り立ってた?もしかして?」
「それがどうかは、…。ですが、あのプログラム言語が生まれて広まってから、深層学習の精度が段違いで発展していっているのは、学習の過程でわかりましたよ」
藤堂はこの世界にきてこの研究室で、プログラムの歴史とかを最初に学習していたのだが。その後、独自に課題として与えられたものをプログラムして解決する、といった仕事――この場合、テストになるのか――を受けていたのだが。
うんうん、と濱野が深くうなずく。
「だろ?あの言語、――あれだけ美しい、人工知能を実現させた天才の生み出した言語だよ!ジャスミン達AIも、すべて!この世界に生み出された人工知能の総ては、あの言語を生み出してくださった神によって成り立っているといっても過言ではない!」
「確かにそうですね、…―――何より、その言語のもつ美しさが…」
つい言葉にした藤堂に、濱野が深くうなずく。
「うんうん、とーどーくん!きみはよくわかってるね!…神だよ!神!」
こぶしを握り、天を仰いで感動している濱野を前に。
否定はできないな、と。
濱野を止める処か、同じく深く頷いている藤堂がいるのだった。
そして。
処は、食堂。―――
「やっぱりな、…――」
肩を落とす関がいるのである。
食堂にいるのは、濱野と、…。
「―――…」
言葉を無くして、濱野の隣で固まっている藤堂。
別の世界とか、そんなことは遠くにおいて。
藤堂は、神と遭遇していたのだった。――――
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