42 閑話 五 吹き寄せの地 1

五 吹き寄せの地 1




 世界は、いくつもあるのだという。

 多重世界、パラレル・ワールド、あるいはおとぎ話に出てくる隠り世のような異界。此処とは異なる世界が存在して、その世界の住人と交流する、といった形式の昔話は沢山あり、そうした伝説が言い伝えられてもいる。

 それは、例えば、藤堂が生きていた世界――住んでいた、とも存在していた世界、ともいえるが――でも同じことではあった。

 或いは、こちらの世界でも藤堂の世界でもある程度の発達はしていた科学でも、量子論的な必然として、世界はひとつではありえないとされている。

「その辺りは、理解はしているんだが、…」

藤堂がつぶやいて、手許に置いたタブレットをみる。

素粒子に関する理論物理学や何かについて互いの知識を摺り合せて勉強する会が、篠原守の家である寺で行われていた。

 メンバーは今回、藤堂と、藤沢紀志に篠原守。

 いつもの面子ともいう。

 この世界とは異なる世界から、藤堂が現れたときにかかわった二人は、その世話係としてこうした面倒もみているのだが。と、いうのは建前で。

「うむ、藤堂。おまえの世界は月基地を常設として既に設けていたくらいだ。こちらの世界より理論や応用が進んでいて、実にいいな」

に、と性質が悪い薄い微笑を刷いていうのは、藤沢紀志だ。

 手許にメモをとり、実に悪いことを考えていそうな顔でいう藤沢紀志を、あきれながら篠原守が止める。

「あのね?ふっちゃん、…いくら最初に接触したものの特権とはいえ、あんまり違ったパズルピースをこっちに嵌め込んじゃいけませんからね?オーパーツ扱いや歴史の結節点なんて、あんまり沢山造っちゃいけないんですから」

あきれながらも、止められないことを知っているのか。それほど言い方が真剣でもないのは、それでいいのかどうか。

「かまわん。医学の発展の為だ。光くんもいっていたろう。医者のいらない世界を目指すのが、私達の究極の目標だからな」

「ああ、もうそれは知ってますけどね、…ふっちゃんったら、…」

いいんですけど、うん、といいながら篠原守が眺めているのは受験関連の参考書である。実をいうと、篠原守に真面目にこの藤堂との世界概念の摺り合せ――特に理論物理学関連に関しての――に参加する気はまったくなかった。

 寺を場所として提供はしているけれど、それはいつものことともいう。

「いずれにしても、研究の参考になる。実に良い」

「…――それなんだが、…。本来は、篠原くんもいっている通り、きみたちはおれの世話係でもあるけど、いわゆるお目付役でもあるんじゃなかったのか?前に説明してもらったが?」

藤堂の疑問に、藤沢紀志がさらりと。

「そんなもの、苦労してことを納めた報酬だ。役得ともいうな?要はこの世界はおまえのように流れ着くものが多い吹きだまりのような場所だからな。この世界に吹き寄せられた異なる世界からの知識や技術を、或いはなにかそうしたものを、奇貨として生かしてきたのがこの世界だからな」

実に楽しげに考えているのは、おそらく藤堂との会話から得られた知識をどう生かすか、とそうした方面で悪巧みをしているからに違いないとわかる微笑みをみせて藤沢紀志がいう。

 「まあね、――この世界が、吹き寄せの地って、随分前からいわれてるもんねー」

篠原守がその言葉を問題集をみながら肯定する。

「…――吹き寄せの地、か、…」

以前、それで粗大ゴミ扱いされたことがあったような、と思い出して藤堂が微妙な顔をするが。それにかまわず、藤沢紀志が実に良い笑顔でいう。

「藤堂、おまえは本当に役に立つ。この世界には太古の昔から他の世界からきた客人が辿り着いていたんだ。それらの知識は、時代にそぐわないほど発達していれば、あるいはオーパーツとして残り、または特異な天才として、突然現れた様に歴史上みえたりしていたんだ」

藤沢紀志の言葉に藤堂が考え込む。

「オーパーツか、…」

「その概念はあるんだな?」

「例えば、古代遺跡からその時代の文明では造れないはずの遺物として残されていたような、…半分オカルトみたいなものって認識だな。こちらでもそうなのか?」

「大概そうだよね?オカルトって、陰陽師とか、そういうやつ?それとか、えーと、…何か予言とか、そんな感じのやつ?」

急に生き生きとくちを挟んできた篠原守を藤沢紀志が冷たく見返す。

「おまえな、量子論と多重世界の話については入ってこないくせに、これはくるのか?」

「えーっ、だってそうでしょー?理論物理学なんて、医学生志望の受験生には関係ないもーん!僕に必要な受験勉強はそんな範囲じゃありません!素粒子とか、弦論とか、関係ないもん!」

「…―――」

無言で冷たい視線で藤沢紀志がみるのにもかまわず篠原守が主張する。

 そう、最初の内に篠原守がかまなかったのは、興味が無かったからだ。勿論、受験に数学や物理は必須だが、医者になるのを目指すのに別にいまだに理論が定まっていない、量子論とか世界が複数存在するのが当り前だとか、あるいはそれなら世界は紐なのか、プレーンなのかとか。さらに多重世界が現実として、では次元はいくつあるのが正解なのかとか、そんな議論もまったくお呼びではない。

 世界がいくつあるのが正解でも、それが試験に出ないなら不要な知識なのである、受験生にとっては。

 尤も、同じ受験生であるはずの藤沢紀志は違う。

 研究者として既にラボを滝岡総合病院の敷地内に構え、というか、藤堂が勤めている研究部門に出資しているのは藤沢紀志個人であり、共同経営者として名を連ねているのが、天才外科医の神代光なのだが。

 藤沢紀志はオーナーとして、研究所の経営と研究に携わってる。

 敷地と建物提供は半分が光くんで、残り半分が藤沢家の出資だ。

「まあ、確かに受験には関係ないな。だが、研究には大変参考になる。藤堂、ありがとう」

「…ああその、…うん、」

藤沢紀志のまっすぐに向けられた礼に藤堂が戸惑う。それに軽く笑んで。

「私の目的は、いまの野蛮な医療を改善できる医療器機を開発していくことだからな。そもそも、人間の身体を直接切って縫うなんて野蛮な手法しかいまだ持たない人類なんだ。異なる世界でもなんでも、得られる知識があるなら構わずに応用して、生かして使っていくべきだろう。藤堂はその為にもうちの社員にしたんだからな?」

「名目は光くんが社主だけど、いまも共同経営者だしねー。ふっちゃんが卒業して大学入ったら、藤堂さんももっとお給料もらえるようになるとおもうよ?」

「―――…それなんだが、…」

「どうした?藤堂」

「どしたの?藤堂さん?」

「いや、その、…」

医療器機開発の為に藤沢紀志が光くんと共同で設立した会社。まだ藤沢紀志が未成年の為に、本格的な稼働はまだであるのだが。

 それに、困った風に何かくちにしかける藤堂を二人が同時にみる。

 藤沢紀志と篠原守、二人の疑問を正直に映した瞳に。

「つまり、…いま、おれは濱野さんのもとで、何というか適当に課題をもらってプログラムを仕上げていたり、するんだが、…」

「そうだな。そう聞いている。それがどうした?」

「そうそう、それがどうしたの?藤堂さん」

 二人を等分にみて藤堂がためらいながらくちにする。

 この世界に来てから。

 つまりは、別の世界から来たと、納得はできないまでも、――――。

 このそれまでと異なる世界で、多分に、保護されている、と云う状況に対しての想いだ。

「つまり、――それが仕事、でいいのか?知識をいまのように話すといっても、…おれの知っている知識なんて限りがあるし、」

 ためらいながら、くちにすると悩んでいることがはっきりしてきたようで、藤堂は息を吐いた。

「つまりは、…おれは、別の世界からの知識とかをあてにされて、保護されている、ということになるんだろうか?きみたちのような世話係がついて、―――。それで、」

昨夜なんか、隣の部屋に住む永瀬と住人と、その他、―――食事の世話までしてもらっていたりとして。

「ありがたいんだが、つまり、…――いま仕事といっても、趣味のプログラムを書いてるだけみたいなものになるし、それは、たとえば、いま話していたように世界が違うとしたら、役に立つものになるのか?この世界でも、同じ仕組みできちんと動くプログラムになっているのか?そうでなければ、…給与といっても、…ありがたいんだが、…つまり、なんていっていいのか、―――」

息を吐く。

「随分と、大事にしてもらっているんだろうな、とおもう、…―――」

藤堂が考えながら、途切れながらいうのにくちを挟まずに二人が見守る。

「その、…。知識なんて、大したものはない、…。ここで、おれは何をしていけばいいのか、…――」

「まあ、衣食住が整っちゃうと考えちゃうよね」

「…篠原くん?」

そうしてじっときいていた篠原守が、視線を天井になげていうのに、思わず見返す。

「確かにな、必死になって生活の為の費用を稼ぐ必要があれば、ある意味労働によって何も考える必要がない状態にもなる」

「その点は、いいのかわるいのか、評価はわかれるんだけどねえ」

「…二人とも?」

「いや、いまいってくれてたすかった。その疑問は当然のことだ。そして、」

考えるように藤沢紀志が言葉を切り、ひとつ頷く。

「藤堂には、少し図太くなった方がいいかもしれないとすすめておく」

「ええっ、ふっちゃん!それじゃ藤堂さんの良い所が消えちゃうでしょうー!」

「あ、あの?」

「何をいっている。いずれにしろ、そうだな」

「そうだよねえ、…藤堂さん、一度、本式にこの世界の仕組みについてききにいく?あ、仕組みって云っても、前みたいに理論物理学系じゃなくて、――…組織?」

「何故、疑問系だ。世界の成り立ちについては以前説明をした。今後必要になるのは、この世界と多世界を支える為に動いている組織の仕組みについてなるだろうな」

「組織、…それは、橿原さんとか、の?」

「大正解!」

藤堂の戸惑いながらの言葉に篠原守がうれしそうにいう。

「橿原さんは、別の世界とこの世界の橋渡し役となるオーガナイザーだからな」

「まあ、いろんな言い方があるけど、あの人は藤堂さんみたいな別の世界から流れ着いた人達を保護する組織の一番えらいひとになるもんね」

「そういう言い方がわかりやすいか」

「でしょ?」

高校生二人の会話に、くちを挟む隙がない藤堂に。

「では、今度、あらためてこの世界できみのように流れ着いた人達をどのように遇しているか、説明の機会を設けよう」

さら、と藤沢紀志がいうのに、無言でうなずく。

 この世界が夢ではないのか、とか。

 あるいは死ぬ前にみている夢のような。

 そうした疑問を。

不思議にしずかな視線を藤沢紀志が藤堂に投げる。

高校生という年齢が普段でも怪しい藤沢紀志だが。そうしていると、性別も年齢も超えた、何かひとではないなにかが視線を向けられているような、―――何といっていいかわからない感覚に藤堂は陥る。

 この世界、に目を醒ましたと。

 それを告げた冷淡な藤沢紀志の眸に。

「…―――頼む、…ぜひ」

 それでも、その眸が持つ不可思議なちからを前にして、何とか藤堂はそうくちにすることができていたのだ。



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