40 閑話 三 評価

三 評価




 藤堂は結局昼食兼報告会での会話を何一つ聞かないままに食事を終えていた。

それだけの威力がある食事だったから、仕方が無いというものだろう。

 橿原家の料理人、恐るべしである。

 そして、昼休みに業務を行ったと云うことで、藤堂はいまの勤務先に戻ってから昼休みの規定時間となる休息を戻った先できちんととるように言い含められて、仕事場に戻る為に送られていった。

 仕事場、そう。

「おじさん、で、藤堂青年についてまだ何かあるのか?」

「光くんも察しがよくなりましたねえ、…。とても感慨深いですよ」

食卓というにはかなり長いテーブルからはすでに料理等の皿は下げられ、あらためて運んで来られたデミタスの小さなカップに入れられたエスプレッソが互いの前には並んでいる。

 一人居残った光の問いに、橿原が穏やかに微笑んで大きく頷く。

それに、あきれた顔をして。

「一応、これも業務だからな。おじさん、で、あいつを正義の処の濱野くん達に預けて、―――いまの処、何を確認したいんだ?」

 藤堂青年の仕事場には、大枠でいえば光も所属している。

 それは、長いテーブルの端に座る橿原もその一人になるのだが。

 滝岡総合病院。

 単純にそう総称されている地域の中核となる私立の総合病院。

 そこには、第一と第二と呼ばれる難易度の高い手術等、特殊な処置を必要とする患者達を主に扱う病棟と、小児病棟と産婦人科がひとつになった病棟がある。

 さらに、通常、滝岡総合病院と呼ばれているのは一般的な患者に総合的に対応する主に二次救急までに対応する総合病院。三次救急に関しても、ある程度は対応可能な総合病院だ。こちらの責任者は、滝岡正義。第一と第二の責任者でもある神代光―――光くんのいとこである外科医が院長代理兼外科医長として責任者となっている。いや、実を言えば。

 その滝岡総合病院全体の院長は。

「そういえば、一応いっとくけど、おじさん。院長としての仕事もたまにはしてやらないと正義が怒るぞ?」

「…滝岡くんはいつでも僕に対してだけは怒っている気が致しますけれどねえ、…」

光の指摘に。あら、と橿原がおっとりという。多分、この対応を常にしているから滝岡が怒るのだろうと理解できるのほほんさ加減だ。

 おっとりと頬に手を当てて、のんびりゆっくり橿原がいう。

「でも、滝岡くんはいつでも院長にしてもいいくらいもう働いていますもの。院長代理として殆どの決済はもうさせているんですよ?ぼくがもう楽隠居で引退いたしましても、いい頃合いだと思いますの」

「…――おれはかまわないけど」

「留めてあげてください。…事情はよくわかりませんけど」

突然、背後から会話に割り込んできた背の高い白衣姿に光が振り向いて明るく黒瞳を輝かせる。

「神原!まったぞ!おじさんに報告のついでに、此処で打ち合わせひとつ済ませよう!」

腰を浮かせて生き生きと見返していうのに、苦笑して神原が返す。

「落ち着いてください。…今晩、向こうの医師もあわせてオンラインで会議でしょう?情報はすでに集めてはありますが、―――こちらに来る患者さんの容体は確かに気になりますが」

いいながら、光の隣りに席を取り座る神原を見上げてうれしそうにいう。

「確かにな!おじさん、もう帰っていいか?神原と打ち合わせをする!」

もう席を立って車に向かいそうな光の肩をかるく叩いて神原が橿原をみる。

「落ち着いてください。院長、それで、新しく先日病院のコンピュータとか、…そういうのを管理してる部署に配属になった藤堂さんですか?その人について聞きたいことがあるというお話でしたが、…―――何故、僕達に?」

首を傾げて、無害そうに笑顔で訊ねる神原に。

「…―――あなたも、結構腹黒いですよねえ、…。まあ、それはともかくとして、藤堂くんについて、あなたと光くんの見解をいただきたいのですけど?先はかれも昼食会にいましたので、当たり障りのないことしかお伺いできませんでしたからね?」

にこやかに、こちらも非情に無害そうにみえる微笑で応える橿原院長に、神原がにっこりと微笑む。

「そうですね。…こちらにも先日御挨拶にはこられましたからね?でも、神代先生が責任者となる部署の下に就いたからといって、接触したのはその挨拶のときくらいですけど?何を企んでおいでです?」

にこやかに訊ねる神原に、橿原院長がにっこりと返す。

 それに、不思議そうに光が二人を交互にみて。

「何いってるんだ?神原?おじさんも?」

「いえ、ぼくは常にこの院長が何を企んでいるのかと警戒しておりましてね?」

「あらあら、…世界で五指に入ると云われている神の手を持つ心臓外科医の神原先生に警戒されるだなんて、ぼく、なにかしましたかしら?」

にこやかにお互い笑顔で向き合っている神原と橿原院長に。

何か、そう非情に圧力を感じるようなものが周囲に溢れ出ている二人なのだが。

 それに対して。

 まったく、全然、影響も受けずに。

「…神原、おじさんが何か企んでいるのは通常モードだ。それから、おじさん。神原は小児心臓外科医として確かに有名だが、別に神の手とかじゃないぞ?おれと一緒で、普通の外科医だ」

明るい黒瞳でいいきる光に、ちら、と橿原が視線を向けて。

 そっ、と神原に一瞬視線を向けたあと。

 ほう、と息を吐いて何か溢れ出ていた剣呑な気配を綺麗に収束させた。

「ありがとうございます。僕も、神の手なんていうものではななくて、神代先生と同じ普通の外科医ですからね」

神の手を否定してくれた光に礼をいい、実にうれしそうに神原が少し神々しいくらいに微笑む。それは、先の橿原院長と対峙していた際の気配とは正反対で。

「とにかく、おじさん。藤堂青年に関しては、おれより、本当は濱野さん達の方が詳しいんじゃないか?実際、あちらの所属になったろう?一応、確かに部署の責任者はおれと正義だが」

「なのですがねえ、…」

橿原も先の剣呑さは忘れることにしたらしく、頬に手を当てて困り切ったようにいう。

「濱野くんは、濱野くんでしょう?コンピュータとか、AIとかをつくっておられる方達って、割に人間をみていない処があるじゃありませんか」

「それででも、僕達の評価を?そうでした、システムを管理している部署、ではなくて、…――実験的に新しいソフトやAIとかを作っている研究部門に所属したのですよね?藤堂さん」

神原の疑問に橿原が頷く。

「そうなんです。そして、おっしゃる通り、その研究部門の長はあの濱野くんなのですがねえ、…一応、かれにも訊いてはいますが、…。」

「殆ど接触のないこちらにも訊きたいというくらい、情報が得られないんですか」

「と、いいますかね。人間に理解できる言葉であまり表現をなさってくれなくて、…濱野くん」

何処か遠くを仰いでいう橿原に、神原も沈黙する。

 いっている意味は、一応わかる。

 神原は濱野自身にもあまり接触したことはないが、…―――。

 日本語で話しているはずなのに、日本語が遠くへいったような気がしたことは記憶にある。

「まあ、…本当に少ししかお会いしていませんが、…それでよければ」

「神原。人の評価に対して影響を与えると思えば慎重になるのはわかるが、教えてやってくれ。それにまあ、おまえの人物評価は結構当たるからな!」

明るい黒瞳に、普段何も考えていないようにみえる光だが。

 自身のためらいや何かをしっかり理解されてしまっていることに困って視線を遠く泳がせる。

 ―――まったく、この人は、…。

常に明るく突拍子もない発言や行動力でそうはみえないが。

 ―――…繊細で、常に細部に目を通し、見逃しをしない方ですからね、…。

そうでなくては、数時間から、ときに十数時間以上にも及ぶ難手術を組立てて、間違いなく処置をして手術を成功させることはできない。

 些細なミスが、命を奪う。その緊張感を理解している。

 そして、――――。

「はい、わかりました。」

神原が応じる。

 その命に関わる新しい仕組みを造ろうとしている部署に藤堂は配置されたのだから。コンピュータ、AIの開発研究部門である、部門長濱野の下に。

 それは、命を預かり慎重に細心に心を砕いてミスを排除して。そうして初めて、手術という最後の手段に出る―――そのサポートを行う為のシステムを作成しようとしている研究部門に配置されて。

 藤堂という人物が果たして、――――。

 神原という人物の目に敵うのか。

 光が、神原の発言をまつ。

 光自身の評価も、このあと伝えられることになるだろう。


 ゆったりと、橿原院長がその言葉を待っていた。




「ジャスミン―――あ、おかえり藤堂くん。元気してた?」

滝岡総合病院には研究棟が設けられている。医療関係の研究施設ではなく、いや、ある意味その関連ではあるのだが。医療自体、病気や治療法の研究というわけではなく、システム開発に近い――医療を支える為の仕組み、サポートシステムを開発している部署だ。

 その白い室内に藤堂が戻ると、壁際に設えられた人間をダメにする人間工学的にゆっくり休める白いソファに、上司である濱野がてれん、と寝そべったまま迎えてくれた。

 ――――本当に、人をダメにするソファだな、…。

完全に腹を上に向けてぼけーとソファに転がっている濱野の癖の強い天パに眼鏡に無精ひげという、これ以上無くだらしないようすを見返して。

 淡々と、応える。

「はい、無事戻りました。…仕事は、――」

「ダメ、いま戻った処でしょ?移動時間は仕事にふくめるから、きみをきちんと昼休憩分休ませなさいって申し送りがきてる。そもそも、あの院長達と昼食会なんてしてたら、休む処じゃないでしょー?ちゃんと業務時間に入れるから、うんうん」

「…あ、はい、…、ありがとうございます。…」

つい、その業務に当たるような辺りはすべてすっとばしてお昼ご飯に集中してしまったとは言い出せずに口籠もる藤堂である。

 それに、ひらりと寝たまま手を振って。

「まあ、てきとーにやすんでー。と、ジャスミン、藤堂くんの話し相手になってあげてくれる?必要だったらだけど」

「わかりました。藤堂さん、どうしますか?」

「―――ええと、…」

空中から降ってくるような声――一応、女性の声にきこえる――に、藤堂が戸惑いながら声のする辺りをみあげてみる。

「その、ジャスミンさん、…」

「おやすみなされるのに、気を使われるようでしたら、無理に会話を続けることはありませんよ。主、藤堂さんには一人での休息の方が向いているのでは?」

「あー、そうかな。わるい、藤堂。ジャスミンは気にしないから、好きにしていいぞ」

「はい、…お気遣いありがとうございます。…その、ジャスミンさんも」

「いえ、こちらこそ。主は人の感情の機微がよくわからない存在なのです。今回のお勧めも基本的に善意に基づいてはいますが、下手に気遣って外すことの方が多い状況ですから、お気になさらずに」

さらりというジャスミンの説明にちょっと藤堂が固まる。

「いや、あの、…うん。濱野さん、おれ、向こうでやすみます、…」

「うん、わるかったなー、てきとーにやすんでー。じゃあー」

いうと、濱野自身も顔に何か冊子を被せて、どうやら寝てしまったようだ。

その濱野に思わず驚いて見てから、藤堂は自身に割り当てられている個室へと移る。そして、椅子に座って思わず息を吐いていた。

「…――――」

ジャスミンというのは、濱野が作成したAIだ。自然に自動応答している声は、知らなければ人間の女性が話していると思って不思議もない。

 濱野はコンピュータ関連の天才といっていい。

濱野が作成したAIはジャスミンの他にもあるが、最初に接触した際にはオンラインで音声だけで複数の相手と話していると思ったものだ。

 不自然さのない応答、自律した思考と呼びたくなるような計算と推論を背景とした人との会話。それを叶えるだけでも天才だとおもうが。

 濱野の目的は、別に人と自然に会話できるAIを造ることではなかった。

 コンピュータ等のシステムを使い、医療を支える仕組みの一部を作成することだ。

 膨大な医療情報を基にして、診断を支援して治療方法を提案する。それは、膨大すぎる候補のある疾病の診断に際して、医療の偏りをなくする為に通常なら診断に登らない可能性を精査して検討し、初期に適切な病名の候補を提示することを目指している。さらに、その上で目標としているのは。

「…医者のいらない世界、だものなあ、…」

思わず頬杖をついてためいきを吐いてしまう。そう、今日一緒に昼食をとった光くん。篠原守と藤沢紀志に引き釣られて、つい光くん、と考えてしまう藤堂だが。

 その光くんの目標が、それなのだ。

 ――――医者のいらない世界を目指す!

 天才外科医と呼ばれる神代光の、本気も本気の目標である。

 その為に。

「…現在の、…つまりは発症してしまっている病の診断だけではなくて、…」

アルゴリズムでそれは可能なのか?

「未病のうちに、…つまりは、発症させずに治療というか、…予防して、医者のいらない世界を目指すなんて、…―――」

神代光の医師として海外にも手術等に呼ばれて得た膨大な報酬は、すべてその研究に注ぎ込まれている。

 現在、いますぐにはそれを実現できないから。

 だから、野蛮でどうしようもないが、手術をしていまは患者を治療するしかない!と。真面目に熱血にいわれた際には、どうしようかと藤堂は思ったものだ。

 そんな光くんの所に、藤堂の世話係としての藤沢紀志と篠原守に紹介されて。

 ――まず、この世界で生きていく為には、仕事が必要だからな、と。

 真面目に藤沢紀志にいわれた際には、思わず見返して沈黙してしまったが。

 別の世界から来たとか、そんなことは。

 いや、確かに仕事を得るのは大事な事だとおもうが、…。

 ――ごはんを確保する為には働かないとねっ!と。

 明るく言い切った篠原守を思い出す。

「…うん、まあ、」

確かに、ごはんの確保は大事だ。その為に働いて賃金が得られる仕事があるというのも。

「うん」

プログラムを組む為の、小さなタブレットの画面を立ち上げる。

 表示される画面は軽くちいさいが。

 接続されている先は、先の濱野が作成したサーバになる。

 巨大な――物理的にも――幾層にも重ねられた量子コンピュータが、濱野が遊び場としてひとつ用意してくれたサーバだ。

 心が踊るような気持ちがある。

藤堂の居た世界でも、これだけの性能を持つ量子コンピュータが、自由にアクセスできて使用できるなど考えられなかったろう。通常なら、時間貸しでも数百万円が軽く費用として飛んでいくレベルだ。

 自由なフィールド。

 昼休みといわれはしたが、藤堂はすでに仕事との境目があやふやな領域に、すぐにアクセスしてしまっていた。

 タブレットを置いて、向き合ってキーボードに両手でふれる。

 途端に、自由に手が動き出す。

 この命令は、果たして藤堂が意識して考えて行っているものか、あるいは脳幹が反射して無意識のうちに生み出された数式が、プログラムが入力されていくのか。

 滑らかに手は動いていく。

 打ち込む際に手を意識することは殆ど無い。

 数式が、演算の為のプログラムが入力されていく。

 藤堂は、ほとんどすぐに新しい式を組立てていくプログラムの入力に没頭していた。





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