39 閑話 二 豪華な洋館と黄金色のスープ

二 豪華な洋館と黄金色のスープ



 現実ってなんだろう?

 そんな、哲学的ともいえる悩みを黒塗りのロールスロイスに乗って――揺れもなく、柔らかい座席は沈み込むようで、車に乗っている感じがまったくしなかった――藤堂はぼんやりと考えていた。

 その藤堂を乗せて、車が目的地に着く。

 豪華な洋館。

 煉瓦造りの美しい建造物は、明治時代とか大正とか、そんな歴史上の区分に建てられた洋風建築というものらしいが。

 広大な緑地――公園というより保護林とか、そういう規模にみえる美しい緑地は、この洋館の敷地だという。しばらく前に、此処へ連れて来られた際に教えてもらったことだが。

 それにしても。

「…―――――ここでは、…確かに、目立たないだろうな、…」

この方が、と小さく呟いてしまうのは、それだ。

 日常と地続きの市街地ではとんでもなく目立った黒塗りのロールスロイス。

 だがしかし、それはこの豪華な洋館を前にして、しっくりと馴染んでいた。

 もし、この洋館の前に例えば一般市民が使うような普通の乗用車とか、軽自動車が置かれていたら。(ちなみに、この世界にも軽自動車という区分は存在するらしい。逆に、藤堂の世界にも存在したことを藤沢紀志と篠原守には驚かれたが)

 例えば業務用軽自動車とか。

 絶対にこの洋館に似合わない。

 無茶苦茶目立つだろう、違和感で。

 ――そう考えれば、このロールスロイスとかも、…目立つかどうかは場所によるんだろうな、…。

 そんなことを考えつつ、ロールスロイスを降りて。

 とんでもなく豪華な、迎賓館かといいたくなるような赤煉瓦の洋館に。

 これは、ためらいなどまったくなく。

 さらにいうなら、白衣の光くんも、制服姿の藤沢紀志も篠原守も。

 場に対して、まったく違和感なく。

 ――堂々としてるのがこつなのかな、…?

 豪華さにもまったく普通の様子で、単に呼ばれた家に来ただけ、という感じの普通さで光くんと藤沢紀志と篠原守が豪華な玄関に歩いていく。

 というか、車寄せというのだろう――豪華としか藤堂には言葉が出てこない屋根まである――立派な扉前に階段があり、その前の空間に下ろされていたのだから。

 何か、考えるととんでもないな、とおもう。

 一般市民には縁の無い世界である。

 普通は、縁がなくてこんな処に来なくてもいいのだろうが。

「おじさんは元気かな?」

いいながら、光くんが豪華な扉を迎えに来た人が――人が、わざわざ扉を開ける為に出て来ているのだ――頭を下げるのに入りながらいう。

 白衣を翻し、大股で歩く姿は、病院で仕事をしているときとまったくかわりがない。

「お久し振りです、真藤さん」

薄く微笑んでいるのか、――表情の変化がわかりにくい藤沢紀志だが、これはおそらく薄く微笑んだ、という表情なのだろう――真藤というらしい、扉を開けて迎えてくれた人物に軽く礼をしていう。

 真藤と呼ばれた長身に似合うスーツ姿の男性が、礼を返して答える。

「はい、大変お久し振りです。紀志さん。―――光さん、長官はお元気ですよ」

そして、光に返す返事に。

「そうか!正義がよろこぶな!おじさんにいっておいてくれ!たまには病院に戻って、正義の代わりに仕事をしてやってくれとな!」

「これから、お会いになりますから、御自身でお話を」

「うーん、食事だろう?これから?きっと忘れるから、あとでいっておいてくれ!おじさんには!」

「はい。では、かしこまりました」

真藤が光の言に苦笑して応える。その後から、篠原守が玄関というには豪華すぎる室内へと入りつつ、振り向いて藤堂を呼ぶ。

「藤堂さーん!はやくはやく!真藤さんが扉閉めないといけないしっ!ここ、使用人いないんだもんね!」

「―――ええと、…はい、」

戸惑いながら、藤堂がためらっていた足を進めて中に入る。豪華な玄関の中は、美しいホールに彫刻や壺が飾られて、カーテンも美しく。しかも、正面には大きな階段があり、大理石の床に絨毯まで敷かれている有様で。

「…―――」

おもわずもくちもとに手を当てて藤堂が考え込む。

 この重要文化財のような建物が。

 実に、そう。

「ま、おじさんもいつも此処に住んでるわけじゃないからな!他に人はおけないだろう!」

光が勝手知ったるという感じですたすたと先を歩きながらいうのに、篠原守がうなずきながらいう。

「そうですね!立派で広すぎるけど、仕事でしかほとんどつかってないんでしょ?大変だよね、維持管理。うちの寺も大変だからなー」

うむうむ、と腕組みしながらいっているのは、実家の寺――篠原守は寺が実家で、そこに住んでいたりするのだが――の広さと、その掃除などの管理について考えることがあるからだろう。

 それに、藤沢紀志が歩きながらいう。

「おまえの処は、時々手伝いに本山とかから坊主が来て掃除をしてるだろう」

「そりゃーそうですけどっ、修行に来て、お寺の掃除とかしてくれますけどね?いつもじゃないですしー。それに、食事の用意とかも大変だったりするんですよー?食事作るのも修行とセットで来てくれてるときは助かるんですけどねー」

「一緒にさせろ。本来、それも修行の一貫だろう」

「なんですけどねー。そうはいかなかったり色々するんですよ。ご本山も中々、修行僧不足だったりしますしー、って、やっぱりここも広いですねー。広すぎる自宅っていやだなー、うん」

ぐちともつかぬことをいいながら、実感がこもる言葉を篠原守が腕組みしながらいっている。

 確かに、広い。

 歩いていて、まだ目的地に着かない。

 目的地というか。

 藤沢紀志がいう。

「確かに、食事に呼ばれて来て、目的の食堂へ着くまでそれなりの距離があるというのも大変ではあるな」

「でしょでしょ?ふっちゃん!ふっちゃん家は、ふつーのマンションでいいよねー!ね!あこがれ!マンション!家の玄関入って、すぐに部屋があるの!ごはん食べれる部屋があるって夢!」

「…食堂、…?」

広い家自慢にとられかねない悩みと夢を篠原守がいっている少し後を歩きながら、思わず藤堂がつぶやく。

 それに、藤沢紀志が振り向いて。

「ああ、藤堂は初めてだったか。此処の食堂は広くてな。中々着かなくてすまない。橿原さんの家は広すぎるのが難点だな」

庭の景色は良いんだが、といっている藤沢紀志を見返して、思わず藤堂が遠い目になる。そう、思わず。

 あらためて、その事実に思い当たって。

 非現実的なその事実に。

 豪華な洋館に、公園の規模を越えて保護されている国有林かと思える敷地。

 確かにとても美しい緑の林が取り囲む美しい庭。

 玄関から歩いて食堂――食事をする部屋にいくにも、まだ着かない距離。

 本当に、これが。

「あら、いらっしゃいまし。お久し振りですね、藤堂さん。それに、藤沢紀志さんも、篠原守くんも、お久し振りですね」

 穏やかに温厚にみえる白髪に長身の老紳士。

 廊下に出て、開けられた扉の前に。

「迎えに出てるなんて珍しいな、おじさん」

「あら、光くん。昨日振りですね。今日はありがとう、業務外ですけど、付き合ってくださって」

「当然だ!藤堂青年はうちで雇った人だからな。おじさんに雇ってからの経過と習熟度とか伝える必要があるだろう?雇用者責任という奴だ!」

「あらあら、ありがとう。光くんも成長しましたねえ、…」

感慨深げにいう老紳士と、明るい笑顔で話している光くん。

 つまりは、この豪華すぎる洋館と敷地は、…。

「では、食事にしましょうか?真藤くん」

「はい、こちらにどうぞ」

招かれて、開かれていた扉から室内に。

そこはまた美しく敷かれた庭に向けて幾つもの縦長の格子窓が設えられ長い天鵞絨のカーテンがさげられ、壁には絵画がかけられている。

 そんなとんでもなく非日常な豪華すぎる空間だった。

 そして、此処は。

「ようこそ、我が家へ。今日は我儘を聞いてくださって、皆様ありがとうございます。本日は、うちの料理長が季節のものを用意したとのことですから、楽しんでくださいね」

 そう、我が家。

 この老紳士。

「藤堂さんもご遠慮なくね?」

「あ、はい、…橿原さん、―――…」

つい、つまりながら応える藤堂だが。

 つまりは、この屋敷は。

 いま食堂――というか、洋室の美しいアンティークのテーブルに家具が揃えられたダイニングなのだが――の前に、幾つもある部屋と広すぎる屋敷内に迷ってはいけないだろうと、一応迎えに廊下まで出ていた人物。

 豪華な洋館と広すぎる敷地は、この老紳士、橿原の持ち物であるのだという、―――。

 非現実的だよな、…。こんなのが個人の持ち物だなんて、…。

 藤堂が考える。

 後から、この屋敷が個人――つまりは、橿原個人の持ち物だと聞いたときの衝撃。

 最初に来たときは知らず。

 後からあらためて聞くまで、藤堂は此処がいわゆる国営とか、公共に当たる処の建造物だと思い込んでいた。

 この規模が、―――…。

 そして、黒塗りロールスロイスさえ似合う唯の舞台装置のひとつにしてしまう広大な屋敷と庭の中、客人を迎えるダイニングで。

 食事が始まる。

 というか、橿原がいそがしい為に昼食兼報告――というのをついでにすませようと呼ばれたらしいのだが。

 だが。

「…――――」

美しいテーブルクロスに、洋食器に銀のフォークとスプーン。

藤堂が椅子に座り、――その椅子もアンティークだが――給仕が来て、皿に黄金色の澄んだスープが注がれるのに、しばし動きを止める。

 簡単に昼食をとりながら、話をすると車の中で聞いた気がする。

 だが、これは。

視線をあげると、藤沢紀志が美しい所作でスプーンをとり、黄金色の澄んだスープを綺麗にくちもとへと運んでいる。

 篠原守はとみれば。

「うーん!おいしいですねー!シェフさんに美味しいってつたえてくださいー!」

「はい、わかりましたよ。そんなに美味しかったかしら、ならうれしいですね」

「美味しーですよー!」

にこにこいっている篠原守に、眉を寄せてから藤堂は意を決してスプーンを手に取る。どうみても、本式のマナーが大事な簡単とはとてもみえない昼食というか、通常、昼食をとりながら報告をする、といわれて想像するような簡単な食事にはとてもみえないのだが。それでも、これは昼飯には違いない、とスプーンをとって。

 くちに運んで、沈黙した。

「…――――」

 無言で、くちに運ぶ。

 無心でスープをくちに運ぶ藤堂を、にこにこと橿原が眺めている。

 言葉がない。

 黄金色の澄んだスープは、滋味と深い旨味が身体に染み入っていくように。

 身体の深い処へと、癒しを運ぶような。深い処へまでやわらかく癒しを染込むようにいきわたらせるような味だった。

 そのひとくちが、奥まで身体を癒やすような深さ。

 ゆっくりと、無心で藤堂はスープをくちに運んでいた。

 言葉は、無い。

 無言で、無心でくちへとスープを運ぶ。

 しあわせという、ことばのない時間が黄金色のスープに運ばれておとずれていた。

 どれだけ経ったのだろう?

 ほう、と息を吐く。

「ごちそうさまでした、…――」

 いっていたのは、無意識だった。

「あらあら、これから、まだお食事はありますのよ?」

 穏やかに微笑んでいうのは、橿原。

「あ、――」

 おどろいて、藤堂が顔をあげる。

 どれだけ時間が経ったのか、まったく意識していなかった。

 戸惑っている藤堂に、橿原が微笑んで礼をする。

「それだけ、美味しくいただいてもらえれば、シェフ冥利に尽きるでしょうね。伝えておきますね、藤堂さん」

「あ、…はい、ありがとうございます?」

戸惑って、ついよくわからずに礼をいって。

「そーだよ、藤堂さん!これからだから、お昼のメイン!楽しみにね!」

そして、篠原守がいうと。

「そうだな。藤堂、これからメインが来る。ゆっくり食べるといい」

藤沢紀志が微笑む。

「藤堂青年は、美味いものが好きなのか!なら、今度、日本料理がうまい職人を紹介してやる!あいつは、とってもめしを作るのがうまいぞ!」

 光くんがテンション高くいう。

 それを、戸惑いながら見回して。

 ―――ええと、…。

「は、はい、…?」

戸惑いながら返す藤堂は、つい考えていた。

 ――――やっぱり、…夢、と考えるにはどうにも、…。

 自分の想像力を越えてくるんだよな、…と。

この世界で随分と斜め上というか、想像以上の出来事に遭遇し続けていて。

だから、というのが根拠というのはどうなのだろうと思うのだが。

 別の世界から、この世界へ来たとかいう謎のわけわからない状態。

 それが、夢や自身が意識をなくしてみている幻想だとしたら。

 ―――おれに、そんな想像力だけは、確実にない、…。

 うん、と。

戸惑いながら、あまりにも美味しい黄金色のスープに無言で向き合ったあと。

昼食がこれからつづく――メインはまだだという――といわれて。

 しみじみと思う藤堂がいたのだった。


 ―――本当に、おれにこんな想像力はないよな、…。


 そもそも、篠原守や藤沢紀志に、光くんのような。

 個性的すぎる登場人物を想像する力なんてとんでもない、と。

 しみじみしながら、昼食会ついでの報告会に参加する藤堂。

 尤も、藤堂が食事以外にまったく余力を避けず。

 報告に関して、そして、その場で他の者達が話している内容も。

 まったく、かけらも聞く処ではなく。

 出て来たサラダに、メインにデザートと珈琲に、全力を尽くして向き合うことになった藤堂がいるのだった。


 そう、美味しいものは言葉を奪うのである。


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