子どもたち

 結論から言うと、ミハエルは本に興味などなかった。

 勇者は図書館の内装と蔵書数に驚いていたくせに、その理由を聞けば「莫大な金がかかってそうで凄いね。こんな辺鄙な土地なのに……」と答えた。本には興味が無いがその金の出処には興味があるようで、端から端まで視線を配りながら、この部屋が総額いくらで売れるのか声に出して暗算をしている。この図書館で育てられ、息をするように本を読み愛してきた俺からしてみればこれ以上ない驚きである。この時ばかりは権力が欲しいと思った。芸術を解さないクソ野郎を見つけ次第、首を絞められるだけの権力が。


 ミハエルのために館内をわざわざ見せてくれたボナンは、ぶつぶつと何かを呟くミハエルに「悪いが、今日はもう終わってるんだ。本を読むならまた明日な」と声をかけて、扉を閉じた。ミハエルのことをすっかり読書好きの青年だと勘違いしてしまっているようだ。俺はそこはかとなく憂鬱な気持ちになり、ミハエルを鋭く睨んだ。ミハエルは肩を跳ねさせ、イマイの形相を確認すると、大仰に溜息をついた。

「はあ、わかったよ。仕方がないな」

 ここでミハエルはカウンターの後片付けをしている第二の大男、ケイドに近寄り挨拶と握手の所望をした。そういう意味の睨みではなかったのだが、まあ、館長以外にも挨拶はすべきだと俺も思うので、止めずに観察しておく。

「はじめましてケイドさん。今日から数日ほどお世話になります、ミハエルと申します」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「ええと……」

 ケイドは一度の眼差しすら寄越さなかった。

 ミハエルは握手の構えを解くと黙ってその場を離れ、俺の耳に口を寄せた。

「全然喋らない人なんだね?」

「まあ……誰もがお前みてぇに耳障りなわけじゃねぇからな」

「僕って耳障りだったんだ」

 事実、この図書館ではミハエルのような人間こそアウェーである。職員たち(ボナンを除く)はみんな行き過ぎなほど物静かだ。しかし感情表現は存外豊かだったりもする。今だってケイドの眉間には峡谷のごとく深い皺が寄っていた。ミハエルの軽薄な振る舞いや見た目が苦手なのだろう、大変申し訳ないことをしてしまったと俺は胸を痛め、ボナンと共に後片付けを手伝った。


「さて。ミハエルさん、この建物には裏に住居スペースがあるんだ。もう遅いし部屋に戻ろう。ミハエルさんさえよければ、俺たちと夕飯をご一緒しないかい」

「構いませんよ」

「『ぜひ』って言えよ」

 カウンター奥の地味な扉を押し開け、居住スペースへ通じる廊下を通る。一般に隠し通路と呼ばれるものであるが、ガタイの良い人間がすれ違えるよう大分幅広に作られているので、閉塞感はほとんどない。

 そこで無礼者、勇者ミハエルは、俺に断続的に足を踏まれながらとんでもないことを口走った。

「ところで館長に訊きたいのですが、ここを建てるだけのお金ってどこから出てきたんです? お二人共全く富豪ではなさそうですし」

「!? ごめんボナン、ケイド、今こいつの首を絞める」

「イマイ落ち着いてくれ。ミハエルさんの疑問はもっともだ。民営の図書館は珍しいしな」

 俺は慌ててミハエルの首に飛びつき全体重をかけた。ボナンはもっと慌てて俺を引き剥がした。ミハエルはちょっとだけ首をコキコキやり、いたぁい、などとふざけたように言いやがる。くそ、俺にもっと力があれば。

「この図書館は元々、とある本好きの紳士の書庫だったんだ。拘りの強いお人だったから、書庫の時点でそれはもう立派だった。俺たちはその方が亡くなった後に受け継いで、軽くリメイクして、図書館にしただけなんだ。今の運営費だってその方の莫大な遺産から出ている」

「へえ〜。とても親しかったんですね」

 ミハエルは自分から聞いた癖に、全く心惹かれない様子で、つるりとした卵型の爪の先を弄っていた。自然に殺意が湧く。俺が無意識に拳を振り下ろすのを、背後のケイドがやんわりと腕を掴んで制した。

 ボナンは苦笑し、軽く首を横に振った。その目はどこか遠い。

「それはどうだろうな。俺はあくまで護衛で、貧困層の出だったから、あの方の真意までは分からないさ」

 そうして辺りは随分静かになった。

 俺は知っている。先程のボナンの説明は、半分本当で、半分嘘だ。

 俺が崩壊する研究所から救出された後、あらゆる研究所や政府機関で身柄の押し付け合いが始まった。そりゃあそうだ。右も左も分からない生物兵器を引き取ったところで、良いことなど一つもない。ただ危険な荷物になるだけだ。

 しかしボナンは俺を引き取った。今でも忘れない。ボナンは俺の居る檻—―後で聞いたところ、あれは柵のついたただの部屋だったらしいが、俺にとっては間違いなく檻だった—―の中に入って膝をつき、外で足踏みしている責任者に「この子を引き取る」と一声だけかけたのだ。それはまさしく鶴の一声であり、あの責任者の首は縦に振られ過ぎて取れてしまいそうだった。その時俺はあいつの顔に、確かに怯えを見た。

 あれはきっと権力に屈する者の顔だった。そもそもミハエルの家を特定したのもボナンなのだから、ボナン自身もかなりの資産家、少なくともそれ相応のコネやパイプは持っている……はずだ。全てが亡き紳士のものであるとは考えづらい。

 とは言え詳しいことは俺も知らない。知らなくてもいいことだからだ。


 通路はそれほど長くない。一行はすぐに突き当たりのダイニングに到達した。入り口と同様、地味な扉を開ければ、ボナン、ケイド以外の職員は既に揃って席についていた。この図書館の職員は俺を除いて7人である。よって、5対の瞳が部外者のミハエルに突き刺さっていた。

「……館長、そちらの方は?」

「紹介しよう。勇者のミハエルさんだ」

「ああ、それはそれは……イマイがお世話になっております……」

声を出したのはただ一人、この図書館の紅一点、バーナだ。艶のある黒のボブカットと幼めの顔の下に、これでもかと筋肉が盛られている。ちなみにこの図書館の職員は皆例によって筋肉の塊である。ミハエルはしばし硬直時間を経たが、もう慣れたのか、丁寧にお辞儀をしてみせた。見た目だけなら優秀な勇者だ。

 ついでにもう一人、ミハエルに声をかける者がいた。

「…………ぁ…………ぃ?」

「……ええっと、なんて? 具合悪いですか?」

「あ、リクグ! 今日も代わってくれてありがとうな」

「…………ぃ……ょ……」

「ああ、そう。こいつがミハエル。ここに職業体験しに来てて」

「? イマイ、どういうことかな?」

 ミハエルはまた俺の袖を控えめに引いた。俺の背中もまたぞわりと泡立ち、ミハエルの指を強く振り払いながら応えた。

「リグクは超小声で喋るんだ。さっきのは、お前にアレルギーはあるかって訊いてた」

「へえ、そうなんだ。リクグさん、僕めちゃくちゃアレルギーあるって言ったらどうします?」

「こいつ土でも食えます」

 そのやり取りにリクグは微笑んで……本当に薄っすら笑って、食事にミハエルの分を追加するため、厨房に戻った。本来なら炊事は俺の仕事なのだが、俺がハウスキーパーとしてミハエル宅に通う日はリグクがその役を代わってくれている。ありがたいことこの上ない。


 ミハエルは大きなダイニングテーブルの、いわゆる誕生日席に座ることになった。

 この食卓では主にボナンが喋る。次に俺、その次にバーナ。柔らかい空気に包まれ、温かい食事(大分量が多い)とコミュニケーション(沈黙もまあまあ多い)のある食事の時間は、俺にとって愛すべきものだ。

 しかし当然ながら今日は少しだけ張り詰めていた。このテーブルにアウェーな誰かがついた例なんて、初期の俺くらいしかないからだ。俺とボナン以外の職員は、ミハエルを拒絶する訳ではないけど、あからさまに大人しくなっている。ミハエルもこの大人数の前だと流石に落ち着いており、笑顔を振り撒いてみたりもしている。あまり効果はなさそうだが。

 ということで、ボナンとミハエルばかりが喋っていた。

「イマイからミハエルさんの話はよく聞いてたからな。一緒に働けるなんて嬉しいよ」

「へぇ~そうなんですね。イマイ、どんな話を?」

「……なんでもねー話」

「そんなこと言わずに教えてくれよ。気になるじゃないか」

「いや、ほんとに」

 急に水を向けられ、俺は虚空を見つめた。確かに俺は、ミハエルの話を夕食時によくしている。しかしその内容は全くろくでもなく、どうにかまともになってほしい! との言葉で締めくくられるようなものだった気がする。勿論はじめに自分の恩人である旨は話しているのだけれど、あれを聞いて、共に働きたいなんて思えるはずがない。まあボナンはなんでもできて優しいから、そういうこともあるかもしれないけれど。

「本人の前でわざわざ言うようなものじゃねえだろ、そういうのって」

「ふぅん。まあそうだよね。僕ってとってもいい人間だし」

「そうだな」

「ボナン頼む同意しないで」

 すると少し天然気味のバーナが咀嚼ついでに頷き、呟いた。

「……ミハエルさんなら、きっと子供ウケもいいでしょう……」

「子供ウケ?」

 ミハエルは辺りを見渡したが、勇者の素朴な疑問に応える者は誰もいなかった。カトラリーの擦れる音だけが響いていた。


 翌日の昼。

 俺が昼食の下ごしらえに精を出していると、ぎゃあ、だとか、ぎょわあ、だとかの叫び声がした。どうやらやっとミハエルが起きたようだ(今朝のミハエルは、普段の夜型生活のためか何をしても覚醒せず、部屋を貸した俺の好意により起きるまで寝かせてあげていた。ちなみに、イマイは睡眠ひいては休息の必要のない体の持ち主である)。

 しばらくして厨房にミハエルが駆け込んできた。

「ねえこれどういうこと!?」

見れば勇者は、数人の小さな子供に飛びつかれ、また数人の中くらいの子供にストーキングされていた。しかし俺は、子供たちよりも、ミハエルのその頭に目が吸い寄せられた。

「うわお前寝癖すごっ」

「イマイ! 見るべきところはそこじゃないだろう! ほら、僕はこんなに子供にしがみつかれて、」

「おじさん誰?」

「おまえ、ライオン?」

「魔物のライオン?」

「がおーってゆって」

「ライオンの真似して」

「もっとネコ科の自覚をもって」

「ああもう、うるさいなぁ!」

 目の前の人間たちが何やら喋っているけれど、俺はそんなことより勇者の寝癖を見ていた。ミハエルは癖毛なので、ソファで寝落ちようがベランダで寝落ちようが避けようなく髪に癖が付くのは知っていたが、これほど立派なタテガミを見たのは初めてだ。俺にはよく分からないが、どうやら俺のベッドは寝心地がよく、おまけに寝返りもうちやすいらしい。

 そんなことをぼんやり考えていれば、「イマイ! この子たち! 何!」と再度叫ばれる。俺はそっと耳を塞ぎながら答えた。

「何って……子供たちだろ。てか、厨房まで連れてくんな。危ないだろうが」

「ああ、ごめん! でも全然引っ付くし取れないしそもそもどこの子たちか訊きたいんだけど!?」

「近所の孤児院。いっつも遊びに来てんだよ」

 俺は昼食作りを再開させることにした。卵をボウルに割り入れ、溶き始める。

「イマイぃ、今日のおひるは?」

「親子丼」

「やったー!」

「肉! 肉!」

俺のその一言で場は沸き立ち、ミハエルだけが状況を認識できず周囲から取り残されていた。

「お、おひる? この子たち、も、食べるの? なんで?」

「ボランティア。孤児院の経営だってカツカツなんだぜ」

「ボ、……明日も来る?」

「来る。週4で来る」

「終わった」

 こんなのほぼ託児所じゃないか! ここは静かな図書館なのに! 

 ミハエルはみっともなく地団駄を踏み、子供らにドン引きをされた。

 俺はこれをミハエルのキレ芸として軽くあしらった。やれやれ今更何を言っているんだか。図書館がほぼ託児所であることなんて当然だろ。


 この図書館以外の図書館をほとんど知らないイマイは、その認識が間違いであることにまだ気付かない。

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