第3話 パラレルスフィア
「えっと、きみは誰なんだ?」
「わたくしはあなた様のメイドです」
「あっ、そっか。メイドさんかー。全然、気付かなかったよー」
「はい、そうです」
いやいや、まてまてまてまて、ちょっと落ち着こう。このメイドさんはどこから現れたんだ?
部屋のドアから入ってきたなら、音で気付きそうなもんだし。
窓からというのもないだろう。
エアコンの冷房をつけるために窓は閉めたままだ。
じゃあ、どっから?
考えられるとしたら、やっぱりこれしかないんだろう。
机の上に乗っかった黄金の球に目を向ける。
たぶん、これが古代人の秘宝だったんだ。
にしても、このメイドさんどうしたもんかな。
とりあえず命令してみる?
「えーと、それじゃやってほしいことがあるんだけどさ……」
小さく横に首をクイっと傾ける。
なんでしょうか、ご主人様といった感じだ。正直、カワイイ。
「この部屋に散らばっている本を片付けてほしいんだけどさ」
メイドさんはこくんと頷き、辺り一帯の本を手でセカセカと集めては本棚に収納し始める。
その動作には一切の無駄はなく、人間ではなくロボットに命令しているような気分だった。
便利だなぁと思っていると、メイドさんが本につまづいて転びそうになる。
「危ない!」
咄嗟に俺はメイドさんを抱きとめた。
体制が崩れて、物音を立てて床に尻もちをつく。いってーな、おい。
「あっ、やべっ」
その際に俺は触れてしまった。彼女の小ぶりな胸に――。
黄金の球から生成された彼女はブラなんて当然着けていない。人生で一度も触れたことのない肉まんのような柔らかさ。女の子の胸に触るなんてこれが人生で生まれて初めてだ。
咄嗟に謝罪の言葉を口にする。
「わ、わりぃな、とっさにとはいえ胸を触っちゃって」
「? なぜ、ご主人様が謝るのでしょうか? こけたわたくしが悪いのに」
心底不思議そうな表情を浮かべる。
胸を触ってもお咎めなしなメイドなんて男の理想すぎるだろ……。
いやいや、それよりもだ。
さっきの手のひら越しに感じた鼓動。
あれは間違いなく心臓の音だった。
あの黄金の球から生み出されたこのメイドさんは間違いなく生きている。
俺は再度あの黄金の球を振り返った。
こいつは紛れもなく生命そのものを創り出したんだ。
思わず、顔に手を当てる。
今ここでようやく気付いてしまった。
なんてこった。俺はどうやら本当に手に入れてしまったらしい。
古代人の秘宝ってやつを――。
どうしたもんかなと思っていると涼しい顔をしたメイドさんと目が合う。
聞き忘れたことがあったな。
「そういえばお前ってさ。名前あるの?」
「ありません」
「やっぱりないのか」
となると、このメイドさんには俺が名前をつけなければならない。
なんせ俺がこの黄金の球を使って生み出したんだから。
うーん、なんて名前にしようかな。
考えてもあまり思いつかない。
ふと思い起こしたのは先ほどまで散らばっていた漫画のヒロインの名前だ。
「じゃあ、しずかって名前はどう?」
「承りました。以後、わたくしはしずかと名乗ります。ご主人様」
「ご、ご主人様だって……」
まさか、現実のメイドさんからご主人様なんて呼ばれる日がこようとは……。
しかも同い年くらいの女の子に。
こんな羨ましすぎる状況が俺の人生で一度でも起こるなんて思いもよらなかったぜ。
あっ、そうだ。
「こいつにも名前をつけた方がいいか」
立ち上がって、机の上の黄金の球を手にする。
「これに名前をつけたいんだけどさ、しずかはいい案あるか?」
「はい……では、スフィアというのはどうでしょう」
「スフィアっていうと球体か。まあ、球ではあるけど」
それだけだとなんか寂しいな。
もっと他にないだろうか。
そういえば大吾が言っていたな。
理想の世界にしてくれるって。
しずかはこの黄金の球によって、生み出された。
でも、俺は実際にしずかが生み出されているところを見たわけじゃない。
現実に起こった現象としては世界が回転し、光に包まれたこと。
ということはだ。しずかのいる世界になったってことじゃないだろうか。
まあ、あくまで大吾の言っていることを信じるならだけど。
ここはもうパラレルワールドの世界なのかもしれない。
「パラレルワールド、パラレル……パラレルスフィア」
「よいお名前かと」
パラレルスフィアか。
意外と悪くない名前かもな。
よし、今日からこの黄金の球の名前はパラレルスフィアだ。
――にしても、しずかをどうしよう……。
えっ、こいつをずっと俺の家に住まわせることになるの?
両親には一体なんて説明すればいいんだ?
古代人の秘宝のパラレルスフィアを使ったら、メイドの女の子が生まれちゃってなんて……とてもじゃないが信じてもらえないだろう。
パラレルスフィアを起動してもいいが、存在そのものが消えてなくなってしまうんじゃないだろうか。せっかく、生まれたのに俺のせいで消滅させてしまうなんてそんなことはできない。
どうしたもんかなと悩んでいると……。
「ただいまー。アキラ、お父さん、おやつ買ってきたわよ」
一階の玄関から陽気な母の声が聞こえてくる。
やっばい、母さんが帰ってきた。
母さんはたまにだが、おやつを持ってきては二階の俺の部屋まで来ることがある。
もし、そのパターンなら……確実にバレる。
急いでバレる前にしずかをどっかに隠さないと。
あたふたしながら、どこにしずかを隠せばいいかと脳みそを必死に働かせる。
そうだ! クローゼットの中とかどうだろう。
ここなら、簡単にはバレないはず。
「しずか、とりあえずここに隠れていてくれ」
「はい、ご主人様。この中に隠れておけばいいのですね」
「ああ、そうだよ。俺が出ていいっていうまではここに隠れていてくれ」
しずかを俺のクローゼットの中へと隠れさせる。
こいつはおそらくこの状況の事をなにもわかっていないだろう。
クローゼットの中には学生服やら私服やらなんやらが入っていて、ぐちゃぐちゃになるかもだけど背に腹は代えられない。
ここ以外にしずかが俺の部屋で隠れられる場所なんてないんだ。
ドタドタと母さんが階段を駆け上がってくる音がする。
ちぃっ、最悪な方のパターンかよ。
一応、しずかは隠したけどクローゼットの中を万が一にでも開けることがあったらどうすりゃいいんだよ。
とりあえず、クローゼットの前に俺が立つ。
そうすれば母さんにバレることなんてないはず。
開けるには俺をどかす必要があるからな。
同い年くらいの女の子にメイド服を着せているなんてことがバレたら、親子の縁が切れることは間違いない。その後の人生はずっと白い目で見られるし、ご近所さんの噂にもなっちゃうことだろう。
それだけは避けたい、なんとしてもだ。
クローゼットの前に立っては素知らぬ顔でスマホを取り出して弄り始める。
まるで何事もなかったかのように振舞う。
そうこうしているうちに部屋の戸が開かれて、母さんが中へと入ってくる。
「明、ドーナツ買ってきたんだけど、どれ食べる? お父さんはもう自分の分を取ったから後は好きなのを選んでいいわよ。母さんのおすすめはね。今キャンペーンをやっているチョコ味のドーナツかな。期間限定なのよね」
「お、俺は後で貰うよ」
「そう? 早く食べた方が風味が落ちなくていいのに」
「大丈夫……本当に大丈夫……気を使わなくてもいいからよ」
「なんか怪しいわね。明、私になにか隠してないでしょうね」
「べ、別になんにも隠してねえって」
冷や汗が背中から腰まで流れていく。
バレるんじゃないかと思って、緊張してどもってしまったのが悪かった。明らかに俺のことを怪しみまくってる。万事休すか。
「怪しいわね。そこのクローゼットになにか隠しているんじゃないでしょうね。そういえば、小学生の頃に捨て犬を拾ってきてたわね。今度はなに? エロ本でも隠してるのかしら?」
「そんなもん隠すかよッ!」
「でも、ベッドの下には先輩とイチャイチャしよっ♡が隠してあったわよ。しかも、亜希ちゃん似の女の子が表紙を飾っていたけど」
「なんでそんなこと知ってんだよ、クソババア! 息子のプライバシーをなんだと思ってんだよ。見つけるなよ!」
「だって、あんたが部屋の片付けをしないから。……そういえば、今日は散らかってないわね。いつもなら読み終わった本がそこらに散らばっているのに」
「わかった、わかった。ドーナツは貰うから、早く俺の部屋から出ていってくれ」
「じゃあ、こっちに取りに来なさい」
「ああ、今行くよ」
俺が母さんの元まで行くと、急にドーナツの箱をパスしてきた。
はっ? どういうこと?
俺が疑問を抱くも否や母さんの動きが電光石火の如く俊敏になる。
「と見せかけて、隙ありぃっ!」
母さんは勢いよくクローゼットの中を開ける。
はっ、嘘だろ――!?。
止めるのも遅く、中のしずかが不思議そうに母さんを見つめていた。
終わった。
俺はドーナツの箱を持った手をぶらりと下げた。
「へっ? 女の子? 明、あんたこの女の子どうしたの?」
こうなったらヤケだ。使うしかない。
もう一度、パラレルスフィアを――――。
ドーナツの箱をベッドに放り投げて、走って机の上にある黄金の球へと手を伸ばす。
手に取って、制止した。
にしても、なにを願うんだ。
どうやったら、この状況を誤魔化すことなんてできるんだ?
メイド服から私服に着替えさせる? いや、そしたらしずかがここにいることの説明がつかない。それとも、しずかを消滅させる? いや、それだけはできないだろ。
そうだ! しずかが元からウチの家族になっていることにしよう。
そうすりゃ、今ここにいることの説明もつく。
掴んで、こう願う。
しずかが俺の妹になっている世界へと変えてくれー!
『ル・クシェンテ』
俺が唱えるとパラレルスフィアが起動し始める。
黄金の球が宙へと浮き、中から光り輝く玉が出てきて、世界が急速に回転し始める。
これで願った通りの世界へと変わっていくはず……。
辺り一帯が光り輝いて世界は真っ白に包まれた。
やがて、視界がはっきりすると手のひらの中にはパラレルスフィアがあった。
成功したのか?
一体どうなったんだ?
母さんの方を見てみるとしずかの頭を撫でながら、ドーナツを頬張っていた。
「しずかは偉いねー。お兄ちゃんの部屋をちゃんとお片付けして」
「それがメイドとしての役目ですから」
「うんうん、偉いねー」
会話がまったく成立していない上に今もメイド服を着ているしずかに母さんはなんの違和感も持っていない。
試しにちょっと聞いてみようか。
「なあ、母さん。しずかって俺の妹だよな」
「今更なに言ってんの、あんた。こんなに可愛い妹のことを忘れたっていうの?」
「ははは……」
思わず乾いた笑いが出る。
このパラレルスフィアってやつは本当にとんでもねえな。
書き換わったんだ。しずかが俺の妹として存在する世界に……。
手のひらの上にあるパラレルスフィアに改めて畏怖する。
これが古代人の秘宝だと言われても納得するし、それどころか神の力を手にしたかのように感じる。命すら生み出し、世界そのものをコントロールできる力なんてのはもはや異常だ。
ただ、気になることはある。
こんなすごい球をどうして古代人は手放したんだ?
パラレルスフィアの力の凄さを知ったがゆえにそう思わざるを得なかった。
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