いつもの道で
「__え?」
分かってる。これは私が招いた事実。
分かっているけれど。
「何してるの。もう、帰ってきてよ」
水曜日の雨が降る十二時半。
いつもなら学校にいるはずの私は、ベッドの上で宙を見る。
昨日電話越しに告げられた内容は、ある一人の女性について。
「川野葵さん、でお間違いないでしょうか。先ほど、お母さまが仕事場の階段から転落してしまったようで、こちらの病院に搬送されました。原因は過労。睡眠不足や栄養失調ですね。意識はありますので、今から来ていただ___」
ねぇ、いつまで無理して私を守るの?
大丈夫。私は大丈夫だから。きっとそう、今すぐにでも駆け出して伝えるべきなんだと思う。
会って話すことを、私はずっと望んでいたでしょう?
望んでいた、はずなのに。
体は動かなかった。
「どうして、、っ!」
違う。
『どうして』
なんて、私がきっと一番わかってる。
ねぇ、お母さん。あなたが今の私を見れば、どう思うんだろう。
きっと私は分かってた。
振り向いてもらうのに、勉強なんて、結果なんて必要ないって。
あなたが守りたかった私の未来は、あなたが見たかった私の幸せは、きっと。
「友達と笑いあう、学校を楽しむ、そんな、今の私とは程遠い“私”だったよね」
ごめんね、お母さん。
今の私では、お母さんに会えない。
こんな私を見せたくない。
見せてしまったらきっと、それは私のせいだ
って。
友達も、部活も、青春も、私からすべて手放したのに、それは私のせいだって言ってしまうから。
そんな優しい、お母さんだから。
昔から何も変わらない。私を思ってくれる、大切なお母さん。
「ごめん、、」
ごめんね。
変わってしまったのは、私だったのに。
次の日、私はいつも通り学校へ向かった。
いつも通り風の通る窓際の席に座って、いつも通りクラスメイトの楽しそうな声を聞きながらペンを走らせる。
外から差す日差しを浴びて、いつも通りに。
ただ変わったのは、この勉強の意味を失ってしまったこと。
何のために続けているのかは分からない。
だけど今日もノートに向かうのは、きっと癖で、ただのいつもの私で、今まで積み上げたものを無駄にはしたくなかったから。
きっとこんな人生を歩んできたからもう、今更
友達だとか放課後だとか、そういったものも諦めてしまっていて。
全部、こんな自分のせいだ。
そんな言葉がずっと、頭に残り続ける。
「ありがとうございましたー」
下校時間を過ぎ、少し空が暗くなった頃。
水とサンドイッチが入ったビニール袋を下げ、私はコンビニを後にした。
人通りの多い横断歩道を抜け、見えてきた家から離れるように、散ってしまった桜の木が揺れる静かな道へ向かう。
まるで家へは着きたくないように、進む足を見つめ、歩を止める。
また今日もあの家に着いてしまう。また一人の、あの家に。
あぁ、嫌だな。
そんなことを考えていた刹那、ふいに肩に強い衝撃を感じた。
「いっ、、」
「すいません!大丈夫ですか!?」
驚く間もなく、私の耳に言葉が響く。
その声の方に視線を上げると、私と同じ制服を着た一人の男の人。
吹く風が、彼の黒髪を揺らした。
彼は私が落とした袋を拾い上げ、もう一度私に視線を向ける。
「あ、えっと、、。大丈夫です。ありがとう」
私はそう言って彼から袋を受け取り、笑顔を
作った。
なんだか今は人に会いたくない。同じ学校の生徒ならば、尚更。
私は視線をそらし、彼の横を通り過ぎ、止まっていた足を速めた。
翌日。昨日と同じ桜の木の下で、私の目にある人影が映る。
「あ!やっぱり来た。ここ帰り道なんですね」
昨日と同じ場所で、同じ時間に貴方は姿を現
した。
綺麗な黒髪が揺れて、笑顔を見せる。
「昨日はすみません。これ、落としていたので」
そう言って彼が差し出したのは、私の財布だった。
あぁ、ぶつかったときに。
「すいません。ありがとうございます。」
それだけ言って、財布を受け取る。
少しの沈黙の後、流れる川を見て彼はいった。
「此処、静かな場所ですね。綺麗で、静かで、とても落ち着く」
「そう、ですね」
だから、何だというのか。
なぜ私にそんなことを言うのか。
やっぱり人とは関わりたくない。嫌でも私と世間の“幸せ”の違いを感じてしまうから。
「それでは。ありがとうございました」
また私は目を逸らす。
彼から。
世界から。
あぁ、私が一人なのは、自分が外を見ないか
らか。
閉じこもって、自分が周りを突き放すから。
私の耳に、うるさいほどに知らない人の生活音が響く。
私の小さな足音も、きっとその一つになって、埋もれて、消えていくんだろうか。
勝手に閉じこもって、混ざって、消えていく。
そんな私の、いる意味は。
また次の日の朝。
重く暗い雲が空を覆い、大粒の水滴が傘に落
ちる。
そんな音を聞きながら、学校へ向かっていた。
もう、私は分からない。自分は何がしたいのか。
自分にとって、何が幸せなのか。自分で自分が分からない。
ねぇ、お母さん。あなたが倒れて四日が経った。
今まで尽くしてきた娘が、倒れた自分を見にすら来ない。
こんな私を、どう思ってる?
嫌だ。嫌われたくない。
まだ愛してほしい。
それでも、会いには行けない。
私はどうしたいのか。
「お願い、、」
誰か、助けて
「ありがとうございましたー」
まだやまない雨を見つめて、私は傘を開く。
いつものコンビニ。
いつもの放課後。
いつもの道へ足を向ける。
「あ、えっと、、。こんにちは」
いつもなら見るはずのない黒髪が、また映る。
こんな雨の日にまで此処で何を。
「何を、してるんですか」
ふと、口にしてしまった。
あぁ、挨拶だけしてそのまま帰ればよかった。
「、、、この道を、見たくなって」
「そう、ですか」
傘から落ちる水滴が、私と彼を隔てる。
何なんだろう。この人。分かりやすいようで、分かりにくい。
何がしたいのかよくわからない。
家がどこかは知らないけれど、わざわざここまで来て何を、、、。
「それでは」
私はまた歩き出そうとした。
彼の横を、通り抜けて。
「、、、あの!明日も、見に来ると思います」
背中から聞こえるその声を、聞かぬふりをする。
分からない、理解できない。来る理由も、私に言う理由も。
言葉の通り、彼は次の日もそこにいた。
まるで、私を待つように。
「どうして、、」
優しくした覚えも、私から話しかけた覚えも
ない。
離れようとした、はずなのに。
次の日も、その次の日も、彼は道の先で姿を
現す。
離れようとしている、はずなのに。
次の日も、その次の日も、なぜか私は通ってしまう。あの、静かな道を。
貴方がいるのはわかっているのに。
不思議だった。彼の行動も、私の行動も。
どうしたいのかわからない。私も彼も。
「こんにちは」
そんな一言を、ただ言い合う。特に、他に会話はなかった。お互い関わろうとはしなかった。
彼は私から離れてくれない。でも、近づこうともしてこない。
そんなこの距離感が。
この数十秒が、心地よさに変わっていく。
少しずつ、少しずつ。会うたびに。
関わりたくない。離れたい。そんな思いは、気づけば何処かへ消えていて。
ただ“通る場所”だったこの道は、“向かう場所”に変わっていく。
彼に会えば寂しさが少し、和らぐ気がしたから。
ほんの数秒。あの時間に、あの場所で、何気ない挨拶を続ける。
静かに風が吹くあの場所で。
誰なのか、どうしてここに来るのかも知らないただの他人。
だけど、きっと私にとっては、ただの他人だ
から。
私を何も知らないただの他人だから。
知ろうとしない他人だったから、どうしようもなく気が楽になる。
ねぇ、この時間を。この一言を。この場所を。
私は大切にしていいんだろうか。
幸せだと感じて、いいんだろうか。
「いいのかな、、」
ねぇ、お母さん。
私は幸せになれるだろうか。
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