第8話 恋愛騒動

 病院を訪れてから一週間と少し経った。その間、咲良くんとは一度も連絡を取ることはなかった。進展がないのも事実ではあるが、咲良くんもわたしの様子に思うところがあったのかもしれない。


「――では、本日の講義は終了します。課題は次までにフォームで提出を……」


 授業が終わり、生徒たちが笑いさざめき講堂を出ていく中、わたしはというと板書を写すのに必死だった。他の生徒のようにスマホで写真を撮ってしまえばいいのだろうが、今はとにかく手を動かしたい気分だったのだ。

 この一週間、何もしていなかったわけではない。むしろ前よりも忙しい生活を送っていた。

 ダリアが亡くなってからずっと大学を休学していたわたしは、少しずつではあるが授業を受け始めた。

 このまま今期の単位を全て落とすと留年の可能性もある、と言われたことも復学するきっかけの一つではあるが、一番の理由は何も考えたくなかったからだ。

 あの部屋にはダリアとの思い出が多すぎる。感傷に浸らないためには、物理的に部屋を出るしかなかった。

 ようやくノートに全てを写し終え、スマホを取り出した時、新着の連絡があることに気づく。


『すんません、今から会えたりしますか?』


 簡素な文と、壁から遠慮がちにこちらを覗く虎のスタンプ。

 送信は十分前だったが、わたしが既読をつけるとすぐに続きが送られてきた。喫茶店『オクターブ』近くにある駅前のハンバーガーショップでご飯を食べないか、という誘いだった。


「……まだ一週間ちょっと経ってないのに、すごく久しぶりな気がするな」


 申し訳なさで胸がいっぱいだ。どんな顔をして会えばいいのかわからない。

 ……けれど、会わないという選択肢はなかった。

 身勝手だとはわかっていても、あのひたむきな明るさに触れたくなったのだ。



 ハンバーガーショップに着いたわたしは、先に着いていた咲良くんに取っていた座席へと案内され、メニューを聞かれて答えて、今それが運ばれてきた。

 今日の咲良くんは制服を着ている。どうやら学校が終わってすぐに連絡してきたらしい。


「警察がもう一度事件を調査するらしい。犬飼さん以外に目撃者がいたかどうか、公園とその周りの聞き込みもやるって」


 病院での犬飼さんの証言を、咲良くんは父親に報告した。そして、同日に互いの名を持つ花束を抱え亡くなった二人に関係性があると、ようやく警察が気づいたらしい。どうやら咲良くんの父親も、ダリアの事件があったことまでは知っていたが、被害者の名前までは知らなかったようだ。


「そんでな、ちょっと進展があったんや。香澄が花束を買った花屋を特定した」


 蜜の宮線へ乗り換えがある駅の近くにある花屋。オーナーは二ヶ月前のことを覚えていた理由について「大分思い詰めた顔をしていたから」と答えたらしい。


「思い詰めた顔……」

「花束を買ったのは九月二十一日。殺されたんがその日の夜から次の日にかけての間……つまり、花屋を後にして香澄は公園へと向かった。でもなあ、ダリアさんが花を買ったんは別んとこみたいで――」


 意気揚々と捲し立てる咲良くんを見て、わたしは正直少しほっとしてしまった。

 咲良くんだって、あの時のわたしの様子がおかしいことには気づいていただろうに、そのことには触れず本題に入ってくれたのだ。本当に、いつも気を遣わせてばかりいるなと思わされる。


「おねーさん」

「ん、な、何?」


 いきなり呼ばれてびっくりした。ちゃんと話を聞けと思われたのだろうか。


「いや……その、すんません。おれ、いつも一人でばーっと喋ってしもて」


 恥ずかしさを誤魔化すためか、ハンバーガー野包みをいそいそと開けだす彼に、思わず顔が綻ぶ。


「……わたしは、きみのそういうところに救われてるよ。本当にすごいと思う」

「へ? おおきにやけど、随分といきなりやね。どういう意味なんそれ」

「本当のことだよ。……わたしなんかより、ずっと偉い人」


 言い終えてからハッとした。言うつもりのないことまで口走った。咲良くんがじぃっと見てくる。


「ごめん、変なこと言って――」


 弁明しかけた時、スマホの着信音が鳴った。咲良くんの方だった。


「すんません、電話が……もしもし、親父何?」


 咲良くんの父親は警察官だ。電話の内容は、家族の父としてか、警察官としてのどちらのものか。電話を終えて帰ってきたらわかるだろうか。

 リンゴジュースを飲みながら、咲良くんが店の外に出ていくのを目で追う。することもないので電話する様子を眺めていると、彼は身振り手振りが割と多いなという、どうでもいいことに気づく。

 ――そして、外の方ばかり見ていたわたしは、いきなり対面に座ってきた人に気づくのが数秒遅れてしまった。


「どうも」


 声をかけられて視線を戻した時、そこに座っていたのは咲良くんではなかった。

 ブレザーを着たおそらく高校生の……いや、よく見たら咲良くんと同じ星蘭高校の制服だった。ウェーブのかかった金髪にピアス、濃いめの化粧。長い睫毛に彩られた眼光が容赦なくわたしを睨んでいる。

 突然のことに理解が追いつかない。


「あ、あの……この席は今から人が来ますので」

「そんなこと知ってるけど」


 ……こ、怖い! 怖すぎる! いや、年下に怯んでどうするんだ。ここは毅然とした態度で、この子が何をしたいのか聞かないと……それか、トレーだけ持って逃げる? いや、咲良くんの分もとなると難しいかも――。

 ダン! と机に掌がぶつかる音。そして立ち上がって距離を詰めてくる目の前の女の子。有無を言わさないその目はまるで獲物を見つけた猫のようだった。

 何なの、もう訳がわからない。

 そう言えばいいのに怯えて声が出ないわたしに、彼女はこれ見よがしにため息をついて、そして問い詰めてくる。


「あんた、咲良の何なの、彼女?」

「…………へ?」

「どこの高校? それとも大学生? まあどっちでもいいけどもう一度聞くわ。あんたは咲良とどういう関係?」


 敬語だったりそうじゃなかったり、咲良くんもそうだけど今時の高校生怖い。目線を泳がせながら、何と答えるべきか思案する。

 わたしと彼は本来どういう関係なのかと聞かれれば、一言では言い表せられない。かといって、馬鹿正直に全部話すこともできない。

 というか、この子こそ実は咲良くんの彼女で、わたしのことを浮気相手とでも思っているんじゃないのだろうか?


「か、彼女とかそういうのじゃないです。ええと……」

「……」


 突き刺さるような視線。やがて彼女は心底呆れたと言いたげな声で吐き捨てる。


「あんた、自分の意見もちゃんと言えないの? 意気地なし。こんな女を好きになるなんて、咲良も阿呆だね」


 ――そう言って立ち去ろうとした彼女の腕を、咄嗟に掴んでいた。


「ごめんなさい。はっきり言います。わたしの名前は百合乃レナ。咲良くんとはそういう関係じゃありません。全部は話せないけど、彼はわたしに協力してくれてるだけ。……だから、謝ってください」

「……は?」

「咲良くんは人の気持ちを慮って行動できる、優しい人なんです。決して阿呆なんかじゃありません。咲良くんに謝ってください」


 気がつけばそんな言葉が出ていた。

 自分の言いたいことも言えない意気地なし。まさにわたしはその通りの人間だ。だから怒りも沸かない。

 けれど彼は、咲良くんは阿呆なんかじゃない。たとえこの子が彼の知り合いだとしても、何も話さないわたしを気遣ってくれるような人を、馬鹿になんてさせない。

 彼女は狼狽えた様子で腕を振り解こうとする。わたしも意固地になって頑なに離さないつもりだったけれど、周りが騒ぎに気づき始めたので離した。


「な、なによ……あたしは、ヒヨリために――」

「ユイちゃん!」


 わたしたちに近づいて来るローファーの音。見ればその子も星蘭高校の制服を着ていた。黒髪のミディアムヘアをした女の子。走ってきたのだろうか、肩が大きく上下している。


「ヒヨリ……なんで。あんた、帰ったはずじゃ」

「……『密会現場に突撃』って、LIMEを見て、来たの。そ、れよりも、ユイちゃん、ちが、ちがうの。私は咲良くんが好きなんじゃない……!」


 ユイ、と呼ばれた金髪の女の子がヒヨリという名の黒髪の女の子に駆け寄る。肩をさすって落ち着かせながら、わたしと咲良くんが元いた席に座らせた。かなりの大声を出していたし、その前のユイさんとの騒動で大分店員から目をつけられている。ちらりと店の外を見ると、咲良くんはまだ電話中のようだった。


「でもあんた、咲良のことたまにじっと見てたし、気になるって言ってたじゃん」


 よほど全速力で飛んできたらしいヒヨリさんの呼吸はまだ落ち着かない。ユイさんも心配そうにヒヨリさんを見ている。わたしは呆気に取られながら、しかし状況を理解し始めていた。

 つまりはこういうことだろう。ヒヨリさんが咲良くんを好きだ、と思ったユイさんが、わたしと咲良くんがいる姿を見て突撃してきた。けれどもヒヨリさん曰く、それは勘違いであったと。

 どうやら高校生の恋愛模様に巻き込まれただけらしい。人騒がせにも程があるが、誤解は解けたようなのでまあいいか、と思うことにする。

 わたしは立ち上がってヒヨリさんの横にしゃがみ込むと、なるたけ優しく聞いた。


「落ち着いた? 何か飲みたいものある?」


 ヒヨリさんは顔を伏せたまま頷く。横髪を耳にかけてわたしの方を向き、そしてわたしたちは目を合わせた。

 ぼんやりとした彼女の瞳が、大きく見開かれていく。

 次の瞬間、彼女は小さく悲鳴を上げた。


「あっ……!」


 ヒヨリさんはわたしの顔を見てユイさんにしがみついた。しがみつかれたユイさんですら、そんな怯えなくても、といった顔でヒヨリさんを見ている。


「あ、あああ。ご、めんなさい。ごめんなさい」

「ちょっとヒヨリ、どうしたのよ」

「落ち着いて、もう怒ってないから」

「ごめんなさい!」


 次の瞬間、ヒヨリさんはわたしを押し退けて店を飛び出す。数秒後に、我に返ったユイさんが後を追いかけていった。

 残されたのは、周囲から好奇の目に晒されているわたしだけだ。


「……な、なんなの、一体……」


 わたし、そんなに怒っているように見えたのかな……。

 そう自省していると、店員がそろそろ苦言を呈しに来そうな雰囲気を察知。わたしはそそくさとトレーを片付け、咲良くんの鞄を抱えて店を出た。

 その時、ちょうど通話を終えたらしい咲良くんが驚いた顔でこちらに歩いてくる。


「すんません、長引いてもて……って、店出てきてもたん? なんで」

「……咲良くん」

「ん、何や」

「女の子との関係は難しいの。だからよく考えて、慎重にね」


 たった今、自分のせいで恋愛沙汰に巻き込まれたと知らない彼は、はて? と首を傾げただけだった。

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2026年1月13日 12:00
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カスミ・ツバキ 翠野みとこ @midoriyamitoko

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