〈4〉断崖と海

 行く道は唐突に途絶とだえた。


「道が……」

 シェリィは困惑する。

 登りつめた山道の終着点は、絶壁ぜっぺきがけだった。



 風はいで穏やかだ。時折ときおり、草花や低木ていぼくがサワサワと音を立てる。

 シェリィにはその場所が、世界の果てのように思えた。


「問題ない。道なら続いている」

 ローグは崖の斜め下を指さす。

崖下がいかは海岸になっていて、その先が海だ」

 ローグはそう説明し、立ち止まってひざを折ったユニコーンの背から下りた。


 白いユニコーンもその場に座り込む。シェリィはゆっくりと地に足をつけた。


 晴れ渡った断崖だんがいからは、崖下の様子がありありと見える。

 眼下がんかで空と海はひとつに混じり合い、シェリィとローグの行く先を一面の青色の彩りで埋めた。


 これまで見たどんなものよりも美しい。シェリィはそう思った。



「命じるだけでいい。そうすればユニコーンは翼を広げ、空を飛んで」

 ローグは雄大な景色のずっと先を指さした。

「海に着地する。それからユニコーンは、海の上を駆けて」

 彼の指先を撫でるように、そよ風がヒュウと通り抜ける。


「遠くに見える……あの島まで一息に海を渡る」

 なるほど。指し示す先にはぼんやりと、島のようなものが見える。


「国外追放された俺達はあの島を目指すよう命じられた。だから、あそこが旅の終着点だ」


 +++


 シェリィは遠くの島をじいっと見つめた。


 追放された自分はどんな絶望的な場所に流れ着くのだろうかと、暗澹あんたんたる気分でいた。

 柔らかな陽の光に包まれた、あんなにも静穏せいおんな海が自分を待っているとは思いもしなかった。



 海を眺めるシェリィの横顔に、とげのような声が飛んできた。

「崖の下を覗き見てみるか?」


 シェリィは黙って首を振る。


「お前は死にたかったんだろう?」

 挑発するような声。

「ここから飛び降りればすぐに死ねる」

 崖の方を見ながら、フンと鼻を鳴らした。


「今さら……」

 シェリィは反論しようとしたが、うまく言葉が続かない。


 代わりに言った。

「こんな高さから落ちたら、危ないし……痛いじゃない……」

 か細い声になってしまった。



「痛くて苦しいのが死なんだ」

 間髪かんぱつ入れずに強い声が返ってきた。


「俺が昨日、魔物を刺し殺したのを間近で見ていただろう。……あれが死だ」

 シェリィの脳裏に、あの恐ろしい出来事がよみがえる。


 飛びかかってくる凶暴な魔物。

 それを一瞬で刺し殺す、魔術師の残酷ざんこくな攻撃。

 その体からは赤々とした血液が吹き出した。その喉からは耳をふさぎたくなるような断末魔だんまつまが放たれた。


 眉をひそめるシェリィに、魔術師は容赦ようしゃなく言葉を浴びせる。

「お前はあの日、そんな覚悟もなく死のうとしたんだ」


 嫌なことを言う。そう思い、反論した。

「そんなこと……、私は本当に、死ぬつもりで」

「死ぬ覚悟があるのなら刃物でも使って、王子と刺し違えればよかった。あるいは仲良く手をつないでこんな崖から飛んだっていい。だが」


 魔術師は目を見開き、さらに言う。

「お前は痛さやつらさから逃げた。魔術師に頼った。苦しまずに死ねるという毒に頼った。そればかりか」

「もうやめて」


 制止の声は無視される。

「転生の甘い夢にすがった」


「やめてって言ってるでしょう!!」

 金切り声を張り上げる。



 ローグにひるんだ様子はなかった。刃物のように鋭い目つきでシェリィを見つめている。


 悔しいと思った。体の中が沸騰ふっとうするような、熱いいきどおりを感じた。

 彼の言うことは正論だ。自分には返せる言葉がない。悔しい。悔しい。


 大声を上げようがめつけようが、この男は怯んだりしない。

 嫌な奴だ、と思った。

 胃がむかむかして、狂いそうだった。

 シェリィはそれ以上言葉を発することなく、白いユニコーンにもたれかかるようにして地に腰を下ろした。



「ああ、そうだな……」

 ローグは、名案が思いついたかのような嬉しそうな声を出した。

「今からでも飛び降りて死のうというなら、俺が一緒に死んでやったっていい」

 ためらいを感じさせない響きだった。


「何を……言っているの」

「ここまで旅をしてきたじょうみたいなものだ。お前が今から決断するなら、どこまでも付き合ってやる」


 ふざけているのかと思ったが、ローグの目はあまりにもまっすぐだった。冗談を言っているわけではないのだろう。

「疑うのならそれまでだが……お前が私の手を引くなら、決して抵抗はしない。一気に駆けて、飛び降りたらいい」

 その声にはどこか狂気の色が混じっている。



 あまりにもめちゃくちゃなことを言う男だ。たまらなくイライラする。

「人には随分ずいぶんな説教をするくせに、自分の命は簡単に手放せるのね」


横恋慕よこれんぼだ」


 即答された。

 言っている意味がまったく分からなかったから、黙って次の言葉を待つことにした。


懺悔ざんげ室で……」

 ローグは逡巡しゅんじゅんのあと、言葉を選びながら言った。


「ためらいなく死を口にする女が、いいと思った。本当に死ぬ覚悟があるにせよ無いにせよ……いさぎよいと思った。気に入った」

 シェリィは目を見開いてローグの吐露とろを聞いていた。

「こんな女となら、最果てに追放されてもいいし、一緒に死んでもいいと思った」


 変な男だ。

 この魔術師は先程まで、さきのような断罪の言葉ばかりを浴びせていたのに。


「死ぬならあんな意気地いくじなしの王子とじゃなく、俺にすればいいのにと思った。俺なら」

「嘘ね」


 それ以上聞くつもりはない。だから彼の告白をさえぎった。

「だってあなた嘘つきだもの」



 あの日。

 転生できるだなんて甘い嘘を、うっかり信じてしまった。

 この男のあんな見え透いた嘘にすがってしまった。


 そうだ。この男は嘘つきなのだ。


 ああ、二度とだまされるものか。



「死ぬ気はないわ。私は」

 立ち上がり、魔術師の瞳をまっすぐに見つめる。

「海を見たことがなかったの。だから死なない」


 そう宣言してから、崖の際まで悠然ゆうぜんと歩んだ。

 かつて死をこいねがっていたちっぽけな自分を、空や海の雄大な青はこともなげに呑み込む。


 あの日、自分は死ねなかった。

 でも、この場所は自分の転生先のようなものだ。


 きっと自分は素晴らしい世界に転生したのだ。


「私はあの島の海に、素足をつけてみたいから」

 崖はスリリングだ。でも、死を願って飛び降りたりはしない。

 絶対に。



「私は生きていくの」



 それだけ言うと、シェリィは白いユニコーンの背にひらりと飛び乗った。そして、聖獣に命じる。

「聖獣よ、行くわよ。飛ぶの、あの海まで!」

 あとは思いっきり聖獣の首につかまった。


 白い聖獣は地を蹴り、風のように駆ける。

 そして断崖で大きな翼を広げ、ふわりと飛び立った。

 爽快な気分だった。

 清廉な白い翼は太陽光を跳ね返すように、きらりきらりと光った。



「は、はは」

 ローグは声を上げて笑う。

 その笑い声は、崖の上を通り抜けるそよ風に乗って立ち昇る。


 無限の青空は笑い声を溶かして、揺るぎない青さで魔術師を包んだ。


「よし、お前もあの女の後を追うんだ」

 ローグは聖獣に飛び乗り、短く命じた。


 褐色のユニコーンは輝く翼を広げる。

 そして、岩肌にひづめの音をカッと響かせ、大空に向かって地を蹴った。



《END》


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転生できなかった没落令嬢と嘘つき魔術師は追放されて最果ての地を目指す 野々宮ののの @paramiy

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