庭守りと主

雲丹屋

庭守りと主

 物心ついたときには、その庭が私の働き場所であり唯一の居場所だった。




 あるいは転生というやつなのかもしれない。

 親も知らず、ろくに教育を受けたこともなく、それどころかまともに育てられた記憶もないのに、私には人がましい意識と、それなりの知識があった。

 ただ、前世があったとしてもそれは郷愁を感じるには曖昧な記憶すぎた。

 結局のところ、私の居場所はその庭で、そこ以外に所属すると感じられる場所はなかったのだ。




 庭の主との約束は、庭を手入れしてきれいに保つことと、客人が来たときは目につかぬように姿を隠していることの2つ。

 私は、日々こつこつと花に水をやり、雑草を取り、落ち葉や花がらを拾った。種や球根を採っておいて、いい季節になってから育てたり、木を剪定することも覚えた。


 たまに訪れる客人たちは私が手入れした庭を口々に褒めそやして、庭の主をたたえた。その目線や声から、皆が褒めたいのが庭ではなく主であることは察せられたが、それでも嬉しかった。

 私は、時々一人でやってくる主が庭を愛でるときに見せる宵闇と黄昏の境目のような目が好きだった。隠れている私に、主が独り言を呟くようにそっとかけてくれる優しい言葉は、私をウキウキさせた。

 私は主のために毎日庭を手入れした。


 いつの頃からか、庭を訪れる客人が少なくなり、主もめったに訪れなくなった。

 誰も庭に来ない日が続いた。

 それでも私は毎日、庭を手入れした。



「ここは?」

「先代様が大切にしておられた庭園です。ご壮健な頃はよくお立ち寄りになっておいででした」

「そうか。なかなか綺麗な庭だ」


 私の庭を褒めてくれた久しぶりの客人は、それから度々ここを訪れるようになった。

 最初のうちは一人で。

 そのうち綺麗なお嬢さんと二人で。


 物語のお姫様のような美しいお嬢さんは、この庭をとても気に入ってくれて、私が育てた花をたいそう愛でてくれた。

 私はこの可憐な花のようにたおやかな貴婦人を喜ばせたくて、いっそう庭の手入れに精を出した。


 しかし、彼女もまた庭を訪れなくなってしまった。

 彼女が来なくなって少ししてから、遠くから鐘の音が聞こえた。庭の主が来なくなってしばらく誰も庭を訪れなかったときにも聞いたことがある鐘だ。

 たしかあのときは、鐘がなった少しあとに、客人が来てくれた。


 私が心待ちにしていると、思ったとおりに、あの客人がまたここを訪れてくれた。


「ここは……変わらず花が咲いているのだな」


 憔悴した様子の客人は、花盛りの庭を見て辛そうにそう呟くと、従者に「ここは閉める」と一言伝えて立ち去った。

 私の庭にはまた誰も来なくなった。




 ある日、小さな女の子が私の庭を訪れた。


「ステキ!なんてきれいなところなの!」


 彼女は目をキラキラさせて、私の花達を見てくれた。その菫色の目が主の目によく似ていて、私は嬉しくなった。


 私は小さな新しい主のために、庭を少しづつ変えた。

 背の低い彼女が見やすいように。

 花のトゲで彼女が傷つかないように。

 木々の剪定方法も少し変えて、可愛らしい動物の形などにもしてみた。


 小さなお姫様は、私の庭が少し変わるたびに、その変化を見つけて、喜んでくれた。


 歩きやすいように小道の小石を敷き直したときは、色の違う小石で小さな足跡の模様を入れて上げると、それを楽しそうに追ってくれた。足跡の終点にある四阿は彼女のお気に入りの場所になった。


 彼女は、美しい陶器の人形を持ってきて、四阿に飾った。その人形の背中には羽があり、小さな花の冠を被っていて、妖精の女王様といった感じの姿だった。

 彼女はその美しい人形を”お庭の妖精さん”と呼んだ。


 彼女はこの庭に来ると四阿に座って、”お庭の妖精さん”に近況を報告したり、他愛ない小さな悩みを打ち明けるようになった。

 私は小さなお姫様の秘密を盗み聞きするのはいけないことだと思いつつも、ついいつもこっそりと彼女の話を聞いてしまった。


 私は少しでもこの小さなお姫様を励ませるように、彼女が楽しい気持ちになってくれるように、といっそう庭の手入れに精を出した。


 私の小さなお姫様は、美しく健やかに成長していき、私は彼女の好みの変化に合わせて、庭を整えて日々を過ごした。

 彼女が”お庭の妖精さん”に語る内容に恋の話が含まれるようになった頃、彼女は一人の青年を庭に連れてきた。

 彼は、私の小さなお姫様が一生懸命に庭について説明する言葉にちっとも注意を払わずに、無造作に花を1輪ちぎり取った。


「花よりも君のほうがもっときれいだよ」


 彼女の髪に花を飾ってそういった男を、私はいけ好かないと思った。……その花は明日になればもっと綺麗に開くはずだった花だし、私の小さなお姫様の髪に飾るなら、もっと他の色の花の方が似合うからだ。


 彼女の腰を抱き寄せて不埒な振る舞いをしようとした男の頭に、私は頭上の枝から熟した果実を落としてぶつけてやった。

 甘い汁でベトベトになった男は、口汚く罵りながら庭を立ち去った。オロオロしてその後を追った私の小さなお姫様は、翌日、一人で庭に来ると、”お庭の妖精さん”に「イタズラはだめよ」と話していた。

 私は次回は毛虫を首筋に落としてやろうと思った。



 私が毛虫を落とす機会がないまま、私の小さなお姫様は婚約した。


 私のもう小さくはないお姫様は、庭を訪れることが少なくなった。


 たまに訪れても四阿に座って陶器の人形に語りかけることはなく、ただぼんやりと散策して帰っていってしまう。

 私はそれでも少しでも彼女の目を楽しませようと、あれこれ工夫して過ごした。ずっと一人ぼっちの妖精女王の人形のホコリを払い、また彼女が話しかけてくれるのを私は待ち続けた。




 ある夜、彼女が庭園に駆け込んできた。彼女は夜会にでも出ていたのだろうか?美しいドレス姿だったが、髪は乱れて、頬には涙が伝っていた。


「助けて。お庭の妖精さん。私……私……」


 切れ切れに彼女の口からこぼれる言葉をつなぎ合わせて推測すると、どうやら彼女は婚約者に裏切られたらしい。

 私は彼女が静かに泣けるように、庭の入口を閉ざし、彼女の足跡を消して、四阿にいる彼女の姿が外からは見えにくいようにした。


 ろくでなしで浮気者の婚約者は、彼女をないがしろにして別の女に浮気しただけでは飽き足らず、その女を妻にするために、彼女にいわれのない罪を擦り付けたらしい。

 万死に値する所業ではないか!


 驚いたことに、このままでは彼女は牢に入れられて処刑されるかもしれないのだという。「どうしていいかわからない」と泣きじゃくる彼女に私はかける言葉が見つからなかった。

 私はそっと四阿を離れた。


 庭の外から、閉ざされた門を開けて押し入ってこようとする兵を見つけた。

 不法者から庭を守るのは私の役目だ。

 私は兵を昏倒させ、身ぐるみはいで川に捨てた。


 私は四阿に戻った。

 彼女は顔を伏せてぐったりしていた。泣きつかれて眠ってしまったのかもしれない。

 私は今夜一番キレイに咲いている花を手折って、彼女の前にそっと置いた。


 彼女が顔を上げて前を向いたとき、美しいものがその目に映りますように。


 音を立てたつもりはなかったのに、彼女はハッと顔を上げた。


「妖精さん……?」


 誰もいない四阿で、彼女は白い花を手に取った。あたりを見回した彼女は、畳まれた兵士の服と、つながれた馬を見つけた。

 彼女は菫色の目を大きく見開いたが、一呼吸後に「わかったわ」と力強く頷いた。

 私は服と一緒に置いた小袋に、薬草と果実と少々だがお金が入っていることを彼女が気づいてくれることを願いつつ、そっと裏手の門口を開けに行った。ここから出れば人目にはつきにくいだろう。

 少ししてから、人の耳には聞こえづらい口笛で馬を呼んでやると、彼女を乗せた馬はちゃんと裏門まで来てくれた。


「ありがとう」


 彼女の最後の言葉は、陶器の人形にではなく私にかけてくれた言葉だといいなと思いつつ、私は彼女がでていった裏門を閉めた。




 彼女がどうなったかわからないまま、いくらか経った頃、あのいつかのいけすかない男が女連れで私の庭を訪れた。


「どうだ。綺麗だろう。ここも全部、君のものだよ」

「嬉しいわ」


 女は大げさに喜びの声を上げて男にしなだれかかったが、その目は全然庭園を見ていなかった。


「でも、こんな奥まったところにある離宮の小さな庭園では、お客様を呼んでパーティをするのには不便だと思うわ。表の大庭園を使っても良いかしら」

「いいとも!何でも君がしたいと思うようにしたまえ。だって君は僕と運命の愛で結ばれた伴侶で、僕はこの国で一番偉いのだから」

「ステキ!」


 庭園だが人目がないのはちょうどいいと言って、トピアリーの影で不埒なことに及び始めたバカ共の尻に、私は毒毛虫と蜂の巣を落としてやった。

 刺されて腫れ上がってしまえ!



 後日、下人がやってきて、私が手塩にかけたトピアリーを切り倒して火を点け台無しにした挙げ句、庭園の入口に鎖を掛けてしまったが、あんな奴らに踏み込まれるぐらいなら、閉鎖は望むところだった。



 夜風に乗って饗宴の楽の音が遅くまで聞こえてくるような日々が過ぎた。


 私は黙々と庭の手入れを続けた。



 ある夜。

 饗宴のさんざめきとは違う恐ろしいときの声が遠くで上がった。

 焔が空を赤く染め、怒声と悲鳴とものの壊れる音が切れ切れに届いた。


「打ち壊せ!」

「引きずり落とせ!」

「取り戻せ!」


 民衆が口々に叫ぶ声が恐ろしくて、私は庭の隅で小さくなって震えて一夜を過ごした。


 翌朝、いつかの鐘の音がまた聞こえた。今度の鐘は長く打ち鳴らされていた。




 門の鎖を切って、一人の騎士が庭園に入ってきた。

 その騎士は、小道に色違いの小石で描かれた足跡を辿って四阿まで来ると、妖精女王の像に向かって跪いた。


「庭園の妖精よ。お迎えに上がりました」


 どうやら、私の小さかったお姫様は無事に生き延びたらしい。

 騎士は隣国で王妃となった彼女のもとに来て欲しいと人形に語りかけた。この王国は滅びて、この庭園も離宮ごとなくなってしまうのだという。


「あなた様のための庭をご用意いたします。どうぞ我々のもとにお越しください」


 騎士は恭しく人形を取り上げると、持ってきた籐製の籠にそっと収めた。


 そうか。ここはなくなってしまうのか。


 私は、人形を持った騎士を見送って、何もなくなった四阿で一人ため息を付いた。




 どうせなくなってしまうのならば。

 私は気ままに庭を作り始めた。

 少し工夫して、変えてみたら?この珍しい花をもっと増やしてみたらどうだろう?こんなふうにしてみたら素敵じゃないかな?

 やりたいことは色々思いついて、それをあれこれやってみるのは楽しかった。




 日々が過ぎても、庭園は取り壊されることはなかった。

 離宮は改装され、学び舎となったらしい。揃いのマントを身に着けた少年少女の姿を見かけるようになった。

 庭園は閉鎖されているわけではなかったが、奥まった場所にあるため、めったに子供達は訪れなかった。




「なぁ、やっぱり帰らないか」

「でも、庭園にこの石を置いてこないといけないのだろう?」

「そんなの、置いてきたかどうかなんてわからないよ。もうその辺に捨ててしまって帰ろう」

「バカげたルールだけど、罰ゲームを承知で受けた勝負なら、ちゃんと果たさねば」

「君は真面目すぎるよ。オバケが出たら、呪われちゃうんだぞ」

「あの庭にオバケなんていないよ」



 夕暮れ時にやってきた二人の子供を私は物影から見守った。


「伝説ではこの奥に妖精女王の住むお城があるんだってさ。女王の城を守る妖精に見つかると殺されて花の肥料にされちゃうんだって」

「オバケの話はどうなったの?」

「だから殺されて肥料にされちゃった人のオバケが出るんだよ〜」

「フフ、思ったより筋が通っていて面白いね」

「なんだよ。またそうやって自分だけ大人ぶって! もう知らない。あとは君が一人で行きなよ」


 怖がっていた方の子が帰ってしまい。あとに残された子はなんだか寂しそうに見えた。


「大人ぶっているつもりはないんだけどな」


 私はその子の話がもう少し聞きたくなって、普段は閉ざしているアーチを通れるようにしてあげた。

 その子は夕暮れの光が差し込む白い花のトンネルをくぐり、その先に開けた庭園を見て感嘆の声をあげた。


 ああ。こうして誰かに庭を喜んでもらえるのは久しぶりだ。


 その子の目が空を映して、宵闇と黄昏の境目のような色に見えて、私の胸は高鳴った。隠れている私に気づいているわけはないのに、その子は独り言を呟くようにそっと言った。


「ああ、あなたはずっとここに居たんだね」


 庭に来た人に、私から声をかけるなんて考えたこともなかったけれども、今、私はとてもこの相手に一言伝えたかった。


『オカエリナサイ。私の主ミ・ロード

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