第12話 思わぬ危機に予期せぬ助け

「もう一度だけ聞く。小僧、レイリアはどこだ?」


 大男がほぼ全壊した扉からズイっと入ってくる。


 アンジェは男から視線を外さずに、コンロやオーブンの火が消えていることを確認した。

 料理中に部屋から出るときは『何よりもまず、きちんと火の始末をすること』。

 最初に料理の師匠に教わった『料理に携わる者の原則』だ。


 目の前にいるのは、レイリアの同僚でも第三皇子の関係者でもない。見たことがない男だ。

 大きな剣を余裕で使いこなしている。一流の戦士なのは間違いない。


 逃げるにしても、扉は、というより、扉のあった出入り口は、男の背後。裏口へ向かうには、男に背を向けなくてはならない。

 先日の無理で、まだ『力』は使えない。いや、正確に言えば、力の制御ができそうもない。


 遠慮なく他人の住居の扉を破壊して入ってくる奴が友好的だとは思えないが、レイリアは留守。自分一人で逃げる自信がない以上、ここで事を荒立てない方がいい。


 この場合、できるだけ、『無害な子ども』に徹してアピールし、戦意を、悪意を、削ぐべきだろう。たぶん。


「姉は休日返上で呼び出されて、離宮の仕事に出かけてますが。どなたですか?」


 アンジェはさりげなく後退して男の手が届かないほどの距離を取ると、レイリアにもらった大切なエプロンを外して、できる限り愛想よく尋ねた。


『こいつ、あの時の御前試合で、あのメスにボコボコにされたオスだ。腕と急所をやられた奴』


 男の代わりに、今にも飛びかかろうという体制のままの赤猫パファビッドが答えた。

 

 ちらりと視線を動かして確認する。

 腕は吊ってはいない。包帯もしていない。股間の方も、普通に歩いているのだから、少なくとも後遺症はないようだ。


 レイリアが戻ってくるまで、なんとか落ちついててくれればいいのだが。

 あるいは、諦めて、さっさと帰ってくれてもいいけど。


 冷蔵庫の中の生地にシロップ漬けを詰めてクリームを絞れば、タルトは完成だ。お菓子作りは今や『師匠』でさえ認める腕前。あれを食べれば、多少は気が静まるのでは?人間は糖分を摂取すれば気持ちが治まるってリアは言ってたし。ひょっとすると、時間かせぎにはなるかもしれない。

 たぶん、だが。


「ちょうど、フルーツタルトを作っていたところです。ご一緒にお茶でもいかがですか?」


「ほぉ…」


 男がまじまじとアンジェを見つめた。


「胆が据わってやがる。さすが、あの女の身内だぜ。せっかく来てやったのに、会えないとは残念だが。でも、まあ、ツイてるのかなあ。あんなかわいげのない女にこんなかわいい妹がいるとはな。せっかく来たついでに、いい手土産を残せそうだ」


「妹じゃ…」


 否定しようとするアンジェに男が大股で近寄った。


『今だ、フリジッド!』


 身を潜めていた戸棚の上から、白猫が男の顔めがけてジャンプした。同時に、赤猫が男のふくらはぎに牙を立てる。


 左腕で両眼への爪の一撃を難なく防ぐと、男は白猫の胴にそのまま腕を叩きつけた。唸りながら牙を食い込ませている赤猫の頭に肘を打ち下ろした。


 ギャン!ドタン!


「うるさい猫どもめ!」


 顔を顰め、片刃の曲刀ファルカータを握りなおした男と、衝撃で動けないでいる二匹の間に少年の小さな体が立ちふさがった。


『逃げろ、御主人マスター


『お逃げください。私たちはなんとかなります』


 動けない使い魔たちの弱弱しい音無き『声』が脳裏に響いた。


 彼らは使い魔。生き物ではない。肉体うつわが壊れれば、他の器を与えればいいだけのこと。

 そんなことはわかってる。

 だけど…。

 性格は肉体に左右される。異なる肉体に憑依した使い魔はその瞬間、違う個性を帯びる。その事実は、わざわざ考えたこともなかった。魔王にとっては取るに足らない事だったけど。


(いやだ。今のパファビッドとフリジッドを失うのは!)


 考えるより先に身体が動いていた。


「恨むなら、姉貴を恨みな。想像するだけでぞくぞくする。可愛い妹の死に顔にあの女がどう反応するか」


 全身で守るように、猫たちの上にしゃがみこむ少年。

 その頭上に、男が片刃の曲刀ファルカータを振り上げる。


(だから、妹じゃないって。生物学的に言えば、男なんだから)

 

 どうでもいいことを考えながら、アンジェはぎゅっと目を閉じた。


 痛み。

 それは、この身体に宿るはめになって初めて知った、最悪の感覚だ。

 ひどい痛みを予想して、息を止める。いやに時間がかかるなと不審に感じ始めた頃…


「ちょっと、可愛いアンジェちゃんに手を出さないでくれる?大丈夫、アンジェちゃん?」


 すぐ近くで声がした。良く知った少ししゃがれた女の声が。


「子供や猫に手を出すなんて、本当にひどい男だねぇ。おまけに、何、この惨状!人様の家を壊すなんて。しっかりと弁償してもらうよ」


 目の前で男の大刀を止めたのは、茶色のクルクルくせ毛をスカーフでなんとかまとめた小太りの中年女性。

 彼女は、頭二つ分は大きな男の振り下ろした刃を、手にした『お玉杓子』~あの、スープなどを掬う時に使う一般的な台所用品~で器用に受け止めていた。

 もう一方の手にはバターの香り漂うクッキーらしきものが入った小さなバスケットが提げられている。


「レビ…おばさん…?」


「差し入れついでに、鶉の燻製料理のできを見にきたんだけど。シチューも作るって言ってただろ?これ、新しいお玉。お玉くらいあった方がいいかと思って。料理は途中?緊急時でも、忘れずに台所の火は消したんだね。感心、感心。これ、アンズ入りクッキー。レイリアの好物だったよね?」


 大家でアンジェの料理の師匠である『レビおばさん』は驚愕のあまり硬直しているアンジェにクッキーの箱を手渡した。


「女、お前、何者だ?」


「この家の家主だよ。まあ、昔は、戦場の調理人バトルフィールド クックって呼ばれてたけど。あんたの相手は私がしてやる。これ以上、持ち家や、アンジェちゃんの料理に被害は出したくないんでね」


 男が刀を引いて、素早く飛びのいた。

 

「風よ、我に力を!」


 『レビおばさん』が、風を使役する呪文を唱えた。

 とたんに巻き上がった小さな竜巻が男の身体を幾重にも包み込んだ。

 

「覚えてろ!また来るからな!」


 怒声とともに地面が震えた。

 風がふっと静まる。

 男の身体は跡形もなく消えていた。


 残ったのは、壊れて飛び散った玄関の残骸。その下に大きな穴。

 

「残念。修理代金を取りそこなったわ」


 レビおばさんが呟いた

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