第9話 彼女にとっての危機

「まずは、けが人の手当てを!治癒師ヒーラーの手配を急げ!」


 どうにか立ち直ったエドワードが指示を飛ばす。

 ふと、腕の中の身体が小刻みに震えているのに気が付いて、慌ててその顔を覗き込んだ。


「大丈夫か?」


 答えはない。

 血の気が引き、青ざめた頬。やや細めの眉は顰められ、いつも怜悧な光を宿している双眸は苦し気に閉じられている。

 その額から冷たい汗がにじみ出ている。


「ローム殿?」


「手を離せ!」


心配そうにかがみこんだ男の身体を、横合いから突進してきた小さな体が勢いよく突き飛ばした。


「リア!」


 虚をつかれたエドワードは、思わず数歩よろめいた。

 何が起こったか悟って当惑する彼を一顧だにせずに、アンジェはレイリアの顔を覗き込んだ。


 自分が羽織っていたマントを脱ぎ、レイリアに頭からかぶせると、その容貌に似合わぬ表情でエドワードをめつけた。

 

 いきなり場違いに現れた、敵意満載の少年に、エドワードは目をしばしばさせた。


「君は…ローム殿の弟御だったな?」


「姉のことはお構いなく。僕が付き添って、そこのベンチで休ませます」


「いや、具合が悪いなら、こちらで…」


「姉は大丈夫です。ちょっと…そう、貧血を起こしただけですから」


「いや、でも」


「騎士様はまずはこの場の収拾にあたられるべきかと」


 言い募るエドワードにアンジェはぴしりと言った。


「休めば、大丈夫だよね、リア」


 レイリアの頭が微かに動いて肯定する。


「じゃ、そういうことで。僕たちは失礼しますので、そちらのことはそちらでよろしく、指揮官様」


 腰に手をやって~肩には残念ながら手が届かないので~できる限りの力で支えるようにして、レイリアをさっさと連れ出す少年の姿を目の端でとらえながら、エドワードは後始末の指示に専念せざるを得なかった。



*  *  *  *  *


レイリアを周囲からは見えない木陰まで連れてくると、アンジェはポケットから水の入った小壜を取り出した。


「リア、お水、飲めそう?」


 レイリアは力なく首を振るとそのまましゃがみこんでしまう。


「ここなら、誰も見てないから」


そう告げると、アンジェは背を向けた。そのまま静かに周囲を警戒しつつ立ち続けた。

魔力を使った代償の胸元の刻印の焼け付く痛みに耐えながら。

すでに限界を超えていたレイリアが完全に落ち着くまで。


 

*  *  *  *  *



ジャスケルは、通りの喧騒をよそに、目を付けていた店舗の様子をそっと窺った。

店内に人気はない。客も店員も逃げたようだ。


 中央公園あたりで何やら事件が起きたらしい。衛兵たちの指示で通りに溢れていた買い物客は波が引くように消え失せ、店舗の多くも扉を閉ざしそうとしている。


 店員が慌てて戸締りを確認し忘れたのか。

 ダメもとで扉を押してみると、あっけないほど簡単に侵入することができた。


(俺はツイてるぞ。今のうちに金目のものを盗んでやる)


傭兵の身からなんとか第二皇子の護衛騎士に取り立てられ、出世間違いなしと喜んだのもつかの間。先日の無様な負け試合のせいで、失職し、宿舎も追い出され、無一文。

 もともと天涯孤独の身。人望もなく、助けてくれそうな友も知人もいない。女騎士にあっけなく破れたことで、戦士としての名声は地に落ちた。現状、この帝都で新たな仕官先をみつけるのは、ほぼ不可能。

明日の宿代もままならない身としては、手っ取り早く金を得て、他の土地で再就職を目指すしかない。


「みんなあの女のせいだ。忌々しい女騎士め!」


騎士同士の正式な立ち合いの際、原則的に攻撃魔法は禁じられているが、身体強化の術は認められている。というか、使用することが多い。


特に女性騎士は、男性よりも腕力で劣るので、効率的に身体強化の術を使えるかどうかが実力の一つとされる。


(何か妙な術を使ったに違いない。そうでなければ、この俺が、女なんかにやられるはずがない。あいつらの目はみな節穴だ。あの立会人、確か王室騎士団の副団長とか言ったか?絶対にあの女にひいきしたに違いない。あの見掛け倒しのバカ皇子も俺をコケにしやがって)


 今に見ていろ、そのうちあいつら全員にリベンジしてやる、と心の中で息巻いたその時、声がした。


「騎士様、何かお探しですか?」


 ジャスケルは息を飲んで、反射的に身構えた。

 まさか、店員が残っていたとは。


おかしい。

ジャスケルは傭兵としては超一流。なのに、気配を捉えそこなうとは。


身構えつつも振り返ると、中肉中背のいかにも商人風の男は営業用の笑みを浮かべていた。

 

「これなんていかがでしょう?見事な銀水晶でしょう?これほどの大きさの品はめったにございませんよ。ほら、おまけに、中に赤い輝石が入っている」


 目の前に差し出された石に、ジャスケルは懸念も忘れて見入った。


なるほど、男の言う通り、とても美しい一品だった。


 ウズラの卵ほどの銀石英の塊の中に椎の実ほどの真っ赤な石が見える。

 まるで、血液そのものを固めたようなまがまがしささえ感じる赤い石が。


「中央の赤い石は竜石と呼ばれる輝石でして。死したドラゴンの血の結晶だと言われています。言い伝えによると、この石に自分の血を捧げて願えば、人外の力を得ることができると言われています」


「力だと?」


「ええ。この石はあなたに誰にも負けない強さを与えてくれるかもしれませんね。試してみますか?条件しだいによっては、格安でお譲りしますよ」


「ほう。力を得られる石か。今の俺にピッタリだな」


 ジャスケルはにやり笑うと、腰から剣を抜いた。

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