エピローグ
かちり、という快い解錠音に笑みを浮かべ、おれは鍵穴から器具を抜いて小さな金庫の戸を開いた。
なかには紺色の革を張った拳大の箱がひとつ。取り出してふたを開けば、大粒のルビーをはめ込んだ指輪が室内の薄闇にきらきらと光る。
「よし、こいつが依頼にあった〈星の血潮〉だな。これでミッションコンプリート、あとはずらかるだけだ。行くぞ、ルナ」
金庫を閉め、その上から壁紙で表をカモフラージュした隠し戸を閉じると、おれは腰を上げて歩き出しながら促した。しかし、そばに立っておれの作業を見ていたはずの少女は動こうとしない。
「……ルナ?」
おれは足を止めて振り返った。
金庫が隠されていたのは屋敷の音楽室らしく、部屋の真ん中には立派なグランドピアノが鎮座している。ルナははっと気づいたように銀色の瞳をこちらに向けると、
「ごめん、ヒデト。いま行くよ」
「どうかしたのか?」
「いや、ヒデトってピアノは弾かないのかなって思って」
部屋のドアに手をかけようとしていたおれは、予想外の答えに思わず「えっ?」と声を上げていた。
「しっ。仕事中にそんな大きな声出さないで」
「いや、だって、ルナがいきなり変なこと言うから」
「……そこまで変なこと言ったかな、わたし」
ドアノブを握ったまま、おれはとっさに考える。
おれがピアニストとして世界に演奏を届ける未来はとっくに失われてしまった。だからといってピアノを弾くという行為自体を捨て去る必要はないのだが、なんとなく考えまいとしていた自覚はある。
「もう長いこと弾いてないから腕も落ちてるし、たいした演奏にはならないぞ」
「そんなのかまわないよ。わたしはヒデトの弾くピアノが聴きたい」
少女のその言葉に、胸のなかの古い氷がふわりと柔らかく解け出す感触があった。
「……そうだな。機会があったらまた、ルナやみんなに聴かせるよ」
「やった、約束ね。どうせなら新しいアジトにピアノ置こうか。ようし、そうと決まったらまずはこの依頼を完遂しないと。ぐずぐずしてないで行くよ、ヒデト」
「それ、おれが言いたかったやつ」
廊下を駆け出してすぐ、インカムからシェリファの切迫した声が聞こえてきた。
『もしもし、ルナ、ヒデト? あなたたちが屋敷に忍び込んでるのがばれたわ。いま警備員が敷地内に突入しようとしてる』
「まじで? ほら、ヒデトが大声上げたせいだよ」
「なにを、ルナがぐずぐずピアノなんか見てたせいだろ」
言い合いながらも、おれたちは屋敷の勝手口から広い庭園に出た。再びシェリファから連絡が入る。
『ルナ、ヒデト。ふたりは西の門から脱出して。そこに向かってた警備員をザジが足止めしてくれてるから』
「了解、ありがとう」
元気よく返事をして、ルナは庭園の遊歩道を曲がった。ふたり分の軽快な足音が夜空に響き渡る。やがて黒い石塀に作りつけられた金属のドアが見えてきた。
「これか……おっと、ヒデトの出番みたいだよ」
ドアの取っ手をつかみ、開かないことを確認したルナは素早くかたわらに身を滑らせた。示し合わせたようなタイミングでドアの鍵穴の前に膝を突き、おれは一度しまった解錠用の器具を取り出す。
「急がないと警備員に追いつかれちゃうよ、ヒデト。ほら、早くはやく」
「急かすなよ、ルナ。錠との対話は落ち着きと根気が大事なんだ」
「おお、プロのナンパ師講座だ。わたしも、〈ボトルムーン〉を引退して身を固めようと思ったとき用に学ばせてもらうかな」
ピンチの状況にハイになっているのか、はしゃいだような声を上げるルナに呆れながら、おれも口もとをほころばせる。
夜空はどこまでも澄み渡り、丸い月が地上に向けて煌々と笑いかけている。銀色の光を浴びながら、今夜も世界のどこかで泥棒たちは胸躍るささやかな物語を紡いでいる。
闇の奥に魅力的な謎を秘めた黒い鍵穴と向かい合い、おれは囁きかける。
「――さあ、きみの話を聞かせてくれ」
了
瓶詰め月の盗み方 花守志紀 @hanamori4ki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます