汀の恋バナ

「ん? あいつらどうしたんだ」


 ザジの視線を追うと、ルナとシェリファが進行方向を折れるところだった。ふたりが足を踏み入れたのは、遊歩道とビーチの間に建つ大きな円形のあずまやに造られたバーだ。店内では強烈な陽射しを逃れた海水浴客たちが、飲み物のグラスを手に思いおもいの席で寛いでいる。


「どうやら目当ての情報源を見つけたらしいな」


 彼女たちは水着姿のまま、あずまや中心の柱を囲むカウンター席に並んで腰を下ろした。一方、おれとザジは店の外周部の円卓へ。涼しげな白いシャツ姿のウェイターにふたり分のジンジャーエールを注文し、カウンター席の少女たちを窺う。

 シェリファが話しかけているのは、隣に座る派手なシャツの男だ。向こうもふたり連れのようで、反対隣で同じような恰好の男がだらしない笑みを横顔に浮かべている。


「見ろよ、あの野郎の即落ちっぷり。相変わらず怖ぇ女だぜ」


 感心したような呆れたような顔で、ザジはこっそりカウンターのほうを指さす。


 シェリファが男を魅惑する素質に長けた女性なのは間違いないが、ルナの存在も大きいとおれは思う。そもそもシェリファに引けを取らない美人だし、そのいかにも純粋無垢といった朗らかさはシェリファひとりよりも相手の警戒心を和らげる効果がありそうだ。

 こと実地の情報収集においては、彼女たちふたりがそろうだけで布陣が整う。おれたち男連中はせいぜい遠目に控えて、なにかあったときに助太刀するのが関の山なのである。


「あいつら、なんて話してる?」


 喉の渇きを潤すように勢いよく飲み物をあおり、ザジが尋ねた。おれは自分のグラスを持ったまま耳を澄ましてみるものの、


「……駄目だな。周りの会話がうるさすぎる」


 耳に入るあらゆる音の波形を正確に把握できる脳を持つおれだが、その波を各成分に分解して個別に言語的意味づけをするのはまた異なる部位の仕事だ。あいにくとそちらのスペックはおれも人並みのようで、これが聖徳太子と同じ頭の作りなら可能な芸当だったかもしれない。


 男の片方がなにか冗談を言ったらしく、少女たちは楽しげに笑っている。演技だと理解してはいるはずなのに、普段のルナなら決して浮かべないであろう甘く媚びるような表情を見ていると、無性に胸がむかむかして相手の男たちを張り倒したくなる。女が怖いというのは本当かもしれない。


「なあ、ヒデトって日本に彼女とかいるのか?」

「……はあっ?」


 あまりに予想外な少年の問いに、おれは思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。


「なんでそんなこと聞くんだよ」

「別に。おれも南国の空気に当てられて急に恋バナがしたくなったということにしとけ」


 自分から切り出しておいて照れくさいのか、ことさら不愛想な口調で答えてザジはグラスに口をつけた。


「で、どうなんだ。恋人はいるのか、ヒデト?」

「……いや」


 口を衝いて出た「いや」は否定の意味が半分。

 とっさに脳裏に浮かんだ顔は、思いがけない強さでおれの思考を揺さぶったのだ。ザジはおれの顔をじっと見ていたが、


「悪い。ヒデトが日本にいたころのことは、聞いちゃいけないんだったな」

「……まあ、はっきりと取り決めしてたわけじゃないけど」


 吹き抜ける風が、潮の香とともにビーチの喧騒を運んでくる。


 ――そうか。あいつと会えなくなって、一年経つんだ。


 もう二度と会うことはできない。そんな認識がいまさら、胸をかきむしるような空虚感と化して襲ってくる。確かにあの日々は、おれにとって幸福なものだったのだ。


「お、話が終わったみたいだぞ」


 ザジの声に我に返ると、ルナたちがカウンター席を立つところだった。例によってシェリファが男たちの頬にキスを残している。

 数分後、バーから離れた浜でおれたち四人は合流した。


「あーくたびれた。ザジ、わたしにサンオイルを塗りなさい」


 水着と同じ黒のハイヒールを脱ぎ捨て、ビーチチェアに気だるげに寝そべりながらシェリファが命令する。


「はあ? なんでおれがそんなことしなきゃならん」

「つべこべ言わないの、このむっつり。あ、ヒデトはルナのほうお願いね」

「わたしはまだいいよ」


 苦笑気味に別のビーチチェアに腰を下ろすと、ルナは真剣な顔つきでおれを見上げた。


「ブライアン・カーマに接触する機会が見つかったようだよ」

「本当か」


 バルボッサ・ファミリーが手を結んでいる貿易会社、その社長がブライアン・カーマだ。もっとも就任はごく最近のことで、先代と比べて能力面では著しく劣るらしい。バルボッサ兄妹が常に居場所を秘匿しているのに対して、彼は本社のあるここリオデジャネイロに住んでいることがはっきりしている。滅多に人前に出ないのは同じだが、女性関係にだらしないなどのうわさもあり、組織の大物に接触するなら彼が筆頭候補だった。


「アトランティカ通り沿いにコパカバーナ・キャッスルってホテルがあるでしょ」

「来るときに見かけたな。かなり立派な老舗ホテルみたいだが」

「そう。そこが今年で創立百周年を迎えるんだけど、明日の夜に記念パーティーがホテルで開かれるんだ。で、カーマ氏がそのパーティーに出席するそうなんだよ」

「なるほど。だけど、パーティーにはどうやって潜入する?」


 おれが思案気に腕を組んで尋ねると、彼女はぐっと形のいい胸を反らし、不敵な笑みを浮かべてみせる。


「もちろんわたしたちが招待されるのは無理だけど、宿泊客になればチャンスがあるはずだ。デュラン氏に相談してみるよ。これは思いがけない宿のグレードアップが図れるかもしれないね」


 なんだかんだ言ったが、やはり彼女にはこの顔が最もよく似合う。

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