第二部 南米
5節
コパカバーナの太陽
むせ返るような熱気が降り注ぎ、おれはキャップのつばに手をかけて目深に下ろす。
広々とした白い砂浜と、その先にゆったり横たわる紺碧の海原。波を思わせる曲線模様の石畳の遊歩道は、浜に沿って緩やかに弧を描いて伸び、真っ黒に焼けた肌をめいっぱいさらした人々の往来でにぎわっている。
立ち並ぶヤシの木々が、海風にのんびり揺れる。遥か前方の町並みからはポン・ヂ・アスーカルの巨岩が、青空を背ににょっきりしたシルエットをのぞかせている。
「くそっ、いいかげん嫌になるな。いきなりこんな暑いところに連れてこられてよ」
水着のようなハーフパンツ一丁で、おれの隣を歩きながらザジがぼやく。小柄だが引き締まった上半身は、早くも小麦色に染められつつある。ちゃんと日焼け止めを塗っているのか心配だ。
急激な気温の変化に彼がうんざりする気持ちはよく理解できた。南半球でこの時期は、むしろ夏の終わりに相当するのだが。
昨夜ニューヨークを発ち、リオデジャネイロの国際空港に降り立ったのが今朝のこと。ホテルには荷物を置いただけで一服する暇も与えられず、コパカバーナの海岸付近で情報収集に励むことはや数時間が経過する。
ロングアイランドへの遠足の日から、約一週間の準備期間があったとはいえ、あまりに目まぐるしい展開にずっと雲でも踏んでいるような感覚が抜けなかった。何気に〈ボトルムーン〉の仕事でアメリカ国外に出るのは、おれにとっては初めてのことである。
おれたちの数メートル先を歩くルナとシェリファが、軽やかな笑い声を立てているのが聞こえる。ふたりはそれぞれ薄いピンクと黒のビキニ姿。シェリファはともかく、ルナの水着までが意外なほど際どいデザインで、町の雰囲気に溶け込むための作戦だと分かっていてもどうにも落ち着かない気分にさせられる。
ふと振り返った銀髪の少女と目が合った。彼女の手がひらひら揺れ、とっさにおれも手を振り返す。まるで妖精のような笑顔に、心臓がぴょんと跳ねる。果たしてお尻に見とれていたのには気づかれなかっただろうかと、実につまらない思案にふける。
「締まらねぇツラだぞ、ヒデト。水着くらいでデレデレしやがって、このうぶ野郎め」
ザジの悪態におれはふんと鼻を鳴らす。
「うっせ、おまえが実はスク水性癖なの、おれ知ってんだぞ」
「は、知らね」
そっぽを向くように海水浴客だらけのビーチに視線を走らせるザジだったが、あいにく赤道を越えたこの常夏の楽園に、スクール水着は見つけられなかったようだ。
「ザジこそどうしたんだよ。この町に着いてからずっと怖い顔だぞ」
「……あのなぁ」
心底から呆れたようにザジは深いため息をつく。
「気が張って当たり前だろうが。バルボッサ・ファミリーを探るために、おれたちはブラジルに来たんだぞ」
言ってから誰かに聞かれなかったか確かめるように、ザジはきょろきょろ首を巡らす。互いにぴったり身を寄せ合った水着のカップルがちょうど、派手な笑い声とともに近くを通り過ぎるところだった。
「……そんなにヤバいのか、バルボッサ・ファミリーは。所詮は麻薬組織だろ」
おれが一応声を潜めて尋ねると、大げさな仕草でザジは首を横に振ってみせ、
「これだから日本人は。いいか、奴らは強大な組織力を持ち、ビジネスを通じてこの国の政界にも影響を及ぼしてる。一度目をつけられると地獄の果てまででも追いかけてくるし、もし捕まれば死んだほうがマシだと思うような目に遭うこと請け合いだ。徹底した暴力と死の恐怖で市場の秩序を維持する、それが麻薬カルテルってやつなんだよ」
ばんっ! と、鋭い爆発音が辺りに響き渡り、おれたちはそろって振り向く。どうやら、隣接するアトランティカ通りを走る車がバックファイアを起こしたらしい。降り注ぐ陽射しは相変わらず、ぎらぎらと暴虐的なほどだ。
「にしても、ヌエの奴がおれたちから新開発ドラッグのデータを奪っていったのは、バルボッサ・ファミリーの指示なのか?」
囁き声を保ったまま、おれはザジに尋ねる。
「ああ、そう考えるのが妥当だろう。……と言いたいところだが。ちょっと妙だってルナがこぼしてたな」
「妙? なにが」
ザジは考えをまとめるように、日に焼けつつあるあごに指先を当てた。
「連中がこの国で担ってるのはもっぱら麻薬の流通だ。開発は門外漢のはずなのに、おれたちからデータだけ奪っても仕方ないだろ」
「言われてみれば。ドラッグ開発ビジネスの分野を新たに開拓することにしたのか、あるいは開発を外注して独占権を得る算段なのか」
それこそ門外漢のおれには、話の規模が大きすぎて到底想像が及ばない。
バルボッサ・ファミリーは結成時期だけでいえば新興の部類だ。リーダーのバルボッサ兄妹はブラジル南部の小さな漁村の生まれ。国内有数の貿易会社と手を結んだことで、今世紀に入ってからみるみる勢力を広げていった。いまやブラジル犯罪界の支配者といっても過言ではない彼らは、国内外の主要都市に緊密な情報網を巡らしているらしい。それを思えば、ザジの気の張り方も妥当なのかもしれなかった。
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