第12話
長峰さんの家は、古い日本家屋だった。すりガラスと格子の引き戸を開けると、三和土に小石が埋まっている。僕の家も建て替える前はこんな感じだったな、と懐かしく思い出す。
玄関を入ると、うっすらとお線香の匂いが漂ってきた。室内は涼しく、僕はホッとした。
靴を脱いで、先導する長峰さんの後ろを歩く。廊下を進み、左手の引き戸を開けると畳の部屋だった。つやつやとした木でできた低い座卓が置いてある。座っているように言われて待っていると、グラスに氷を浮かべた冷たい緑茶を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「いや、遠慮なく飲みなさい。日に当たりすぎたんだろう」
そう言って、長峰さんも美味そうに緑茶を飲む。僕もありがたく冷たい緑茶を味わった。
涼しい部屋でひと息つけたところで、ようやく頭が回るようになってきた。僕は先ほどの公園での出来事を思い出す。暑さで白昼夢を見たような気分だ。
「……君は、熱中症になりかけるくらい、公園でずっと何かを見ていたようだが」
そう長峰さんに切り出されて、続く言葉に僕は驚きで目を見開いた。
「――小さい子供」
「……え」
「小さい子供を、見たのか。女の子を」
顔色が変わった僕を見て、ため息をついて目を伏せた。
「
僕は驚いて思わず身を乗り出した。
「あ、アレが見えたんですか?」
「……まあ、そうだね。ここ最近、よく見るようになった」
『白い少女』を見たことがある大人がいると、鈴木さんに訊いたけれど、長峰さんだったのか。いやもしかしたら、他にもいるのかもしれない。
「――あの、実は僕たち、『白い少女』について調べていたんです」
僕は意を決して、長峰さんに僕たちが調べたことを話してみることにした。
玉泉寺の鈴木さんの話が出てくると、それまで黙っていた長峰さんは、「ああ、彼か」と言った。
「鈴木さんをご存じですか」
「寺の若い子だろう。あれは先代の住職の知り合いの息子だと聞いている。彼と知り合いなのかい」
僕は頷く。
「はい。実は『白い少女』のことも、相談していて。ただ、今は忙しい時期なのでちょっと時間が掛かると言われています」
「まあなあ。
長峰さんは腕を組んだ。『盂蘭盆会』とはお盆のことだよ、と言う。
そうして、僕は本当に久しぶりに悠の家のことを聞いた。
「そうか、君はあの治久丸の家の子供を知っていたんだね」
「……長峰さんは、悠の家を知っているんですか?」
「この辺りで、昔から住んでいる人間があの『治久丸家』を知らない奴なんていないだろうよ」
長峰さんは唇を少し歪めて、重いため息をついた。
「……昔あの家は、この辺りでは良くも悪くも有名だったんだ。君は小さかったから、大人の話はわからなかっただろうし、そうでなくても子供に聞かせる話じゃないんだ。
――あの家はこの辺りでは有名な拝み屋だった。明治の終わりくらいに、南からこの土地に流れてきた。家では、その南の方にあった神さんを祀っていたね。……今じゃあ考えられないけど、昔は拝み屋に色々頼んでいたこともあったんだ。病気を治すことや失せ物探しなんかをね」
長峰さんはひと息ついてグラスの緑茶を飲む。
「昭和の初めくらいまでは結構繁盛していたようだが、戦争も終わりどんどん世の中が変わっていった。この辺りも空襲でたくさん焼けたから、あの家も、被害を免れなかったんだ……。そこで別の仕事ができればよかったんだろうが、そうはいかなかったんだろう。益々加持祈祷に精を出して、自分たちの神さんを拝んで利益を得るのをやめられなかった。それどころか、信者を集めて宗教まがいのことをやり出した。……その頃には、ここらの人間は、あの家をどうしようもなくなってしまってね。鼻つまみ者として扱うようになった」
そして僕を見た。
「覚えているかい。あの家は、結構大きかっただろう? 奥にね、その神さんを祀るお社があったんだ。空襲ではそこだけ焼け残ったそうだ」
その言葉を聞いた僕は、悠の家に行った記憶が唐突によみがえった。家の奥の、石の祠。そこに蹲る黒々とした何か。――さっき見た『白い少女』から感じる視線と、同じだった。
「何て言ったかな……。おおりだか、ほうりだか……」
思い出すように長峰さんがつぶやいた。
「ホオリサマ」
僕は悠に言われた言葉を思い出す。『怖いかみさま』。
「ホオリサマ、って昔に悠が言っていました」
「そうそう、ホオリさまだ。ホオリとは
長峰さんは、なんだかとても詳しかった。
不思議に思ってそう訊くと、昔、高校で歴史を教えていた、と言った。郷土史や民俗学も好きでよく調べているらしい。
「――君は、
屋敷神、初めて聞く言葉だった。首を横に振る。
「江戸時代辺りから、特に関東近郊で、自分の家に神様を祀る社や祠を建てることが広まったんだ。有名なところでは、商売繁盛のために稲荷社なんかを建てたり、場合によっては、自分たちの祖先の氏神様なんかを祀ったり。東京も、一部地域では今でも残っているみたいだけれど、移り変わりが激しい土地だから、普通の家ではもうあまり見なくなったね。
――話を戻すけれど、あの家も屋敷神を祀っていて、それがホオリサマっていうんだよ。でも、その祀り神の由来は、治久丸家以外、誰も知らない」
「誰も知らない、神様……」
「あの家に昔いた小さい女の子、悠ちゃんのことは、実はみんなかわいそうだと思っていたんだ。でも、迂闊に手を出せなかった。かなり周囲とトラブルの多い家だったから。見て見ぬふりをしてしまったんだ。……しかし本当はもっと、大人が介入しなければならなかった。うやむやのまま、一家は消えてしまった。残った土地は、どういう差配かわからないがいつの間にか売られて、今マンションが建っている」
長峰さんが僕をじっと見た。
「君も見ただろう、あの子供。あれは、もうあの悠という子供ではない、別の何か……。多分、誰も由来を知らないホオリサマに関係したモノだ。神に近い、神ではないモノといえるのかもしれない。近寄ってはいけない」
そう、諭すように目を見て続けた。
「一つ、効くかどうかわからないが、もし遭遇したらこう言いなさい。
『ウチデハマツラヌ』
――ウチ、はウチとソトという意味と同じだ。つまり自分たちの家では祀らない、うちの神様ではない、という意思表示だ。アレは元は屋敷神だった。自分のことを祀る家や人を探しているのかもしれない、と私は思っている」
そうして、僕に念を押した。
「寺の対処を待つ間でもいいから覚えておきなさい。君はあの子供に関わりがあった。だから、もしかしたらアレが執着を持っているのかもしれない。昼間に見ることはなかったからね……。一人で出歩くのはしばらくやめておいた方がいい。せめてこの世とあの世が近くなる盂蘭盆会が終わるまでは」
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