第10話 あるタクシー運転手

 ……待ったっ!


 まったまったまったまったっ!

 金は返す! 必ず返す! もうちょっとだけ……!


 ……え? 取材? 借金取りじゃねぇの?


 ……あの婆さん……。

 あっちの紹介じゃどうしようもねえな。何を話してほしいんだ?

 取材ってからには取材費ぐらい出るんだろうな?



 まず最初に言っておくが、俺は車を走らせただけだ。


 おまえさんが聞きたがってる人物に会って、ある場所で車を走らせた。


 俺がやったのはそれだけだ。まず、それだけは言っておくな?



 お前さんみたいな若いのにはわからないかもしれないが、俺が若い頃なんざ今みたいに自動車があちこち走り回ってたわけじゃない。

 まだ馬車が全盛の時代だ。今のタクシーの代わりに馬車が走り回ってた。


 かくいう俺の親父も御者だったんだがな。雇われ御者さ。


 だけど俺は昔っから機械いじりの方が好きでな、伝手を頼って鍛冶屋の親方んとこに行っていたんだが、そこで出会っちまったのさ、「自動車」ってやつによ。


 からくりの集大成。


 歯車とエンジンの奏でる妙。


 しかも動く。


 蒸気エンジンなんざ目じゃない、とんでもないスピードでだ。


 ……と言っても、今じゃ街中で見かけない日はない世の中になってんじゃ、俺の感動なんかほとんどわかりもしねぇだろうけどよ。


 動かなくなった自動車のボディー磨きみたいな形で頼まれたのを、中身を勉強して勉強して動かせるようにまでしちまったのを見て、その車の持ち主のお大尽に親方が推挙してくれたんだ。


 その頃の自動車と言ったらお金持ちの道楽品。


 故障も多いが、持っていて動かせるということがそれだけ維持するための金を持っている証にもなるから、お屋敷に動かせなくても1台持っておこうというステータス品扱いでな。それを曲がりなりにも動かしたってんだから、こいつはとてつもなく優秀だってことになったんだ。


 ……そうだよ。俺ぁ偉いエンジニア様だったんだよ。


 それからはもう黄金の日々だよ。


 お屋敷に住み込んで朝から晩まで自動車三昧。


 少し動かしたんなら次はせめて馬車並みに、そしたら次は性能とことんまで引き出せるように。


 またご主人がそこそこ自動車好きだから、たまに乗り回したいと言ってくる。

 その時には完全な状態で出さなきゃいけないから、慣らし運転だって行っておかないと万全とは言えねぇし。だから敷地内の馬場で少し慣らし運転してみたり。


 そうなると他の車も見てみないかって話になって、他の家の車の修理を見てくれなんて話まであって、もう忙しいのなんのって……。


 そんな日もあっさり終わりが来たけどな。


 ちょっとしたミスで部品か何かがなくなった。


 誰かが売り飛ばしたんじゃないかって話になった。


 俺が貧民街の出だってわかった。……部品は別のところから出てきたんだがな。


 そういうところの人間を雇っていると家の品格に関わるだそうだ。


 その頃には俺の助手をやっていたそれなりの家の出のやつもいい腕になってたからな、俺一人いなくても別に良かったというわけだ。


 それでも一応前の親方は雇ってはくれたよ。盗人なんじゃないかっていう疑いの目からもかばってくれたしな。だけどな、そこには車がない。

 ……蒸気なんてちんたらした重いもんなんざ、機械じゃねぇよ!

 大体、他の機械なんか風をきらねぇじゃねぇか。


 そうだよ。その頃の俺は自動車に飢えていた。

 そこへあの紳士が来て尋ねたんだ。


「自動車で田舎道を時速60kmで最低1時間は走らせられるか? 」


 ……自動車だよ、自動車。出来ないなんて言えるわけがねぇだろ?



 その旦那に見せられたのは、当時最新鋭のモデル。スピードを出すことには定評のある、さる工房の最新モデル。


 ……まあ俺に言わせりゃまだ甘いところはあったけどな。俺が独自に工夫していたの少し足せば、もう少し早くできるのは確実だった。


 舗装もされていない田舎道用に足回りも少し変えた。砂利道にハンドル取られちゃ意味ねぇからな。

 周りの装備も風の邪魔にならないように色々改造した。


 仕事が終わったらくれるって話だったんでな、とことんまで作り込んだ。

 俺の自動車だ。俺の自動車だからな。お偉いさんの好みとか気にしないですむ俺の自動車だからさ。


 だけどまぁ、連れられて行った道がすごかった。


 まぁ、最初から田舎道って聞いていたから覚悟はしてたよ。

 だけどな、本道ですらないと思わねぇじゃねぇか。


 村から町までの約100 km 弱。見事に麦畑ぐらいしかないところに二本並んだ田舎道。

 その、馬車がいつも行き来してるだろう本道じゃなくて、人ぐらいしか通らないだろう側道の方を行けという。


 これがどんだけ無茶か、お前さんにわかるか? ……まあ想定内だったけどよ。


「できるか? 」


って聞かれたら怯えも何もかも飲み込んで言ってやるしかなかった。


「おうとも。俺ぁ、本番に強い男なんだ。……だが、慣らし走行はできるんだろうな? 」

「山ほど」


 そうとも練習の時間は山ほどあった。

 太陽が中天を越えたあたりから周りが薄暗くなるまで。


 1回走るたびに「遅い」「もっと早くスピードに乗れ」「それを維持し続けろ」「ハンドルがゆるすぎる」……まぁ全部本当だったけどな。

 思っていたより田舎道で最低1時間時速60 km で走るって言うのは骨なんだよ。


 それでも何度も走るうちに体で道を覚えこまされた。挙句の果てには「目隠ししてでもできるようになれ」。


「なんで! 」って俺だって声をあげたくもなる。そしたらさらに頭を抱えそうなことを言い出してきやがった。


「本番は夜だ」



 その晩は月夜だった。

 灯火をつけることすら許されない中ではありがたいと言えた。木の影とかで道の状態がどうだったか思い出せるからな。


 ここまで来たら引くに引けねぇ。やばい橋ということはわかっていた。

 だがここまでやっておいて結果を見れないなんて話は飲めなかった。


 旦那が助手席で月を眺めてシャンソンとか鼻歌でやってるのを聞きながら、俺はこの先何が起こるのかも聞けずに、ただハンドルを握りしめ、息を殺して何かを待つしかなかった。


 麦畑を渡る風音の中に馬車の轍の音を聞いたのはその時だった。


 4頭立て。


 護衛のつもりか馬に乗ったやつらを二人ほど率いて。


 周りを恐れもせずらんらんと灯火をともしてやってきやがる。


「あれの隣につけて、何があっても並走を維持するんだ。離されるな」

「任せろ。相手はたった4馬力」


 あたりを照らし出す灯火が隣の道を通った瞬間にエンジンを吹かせた。

 いきなり現れたエンジン音に馬に乗ったやつらは警戒した人が、木々の闇に隠れてこちらまでは見通せない。


「この道の最後までだ。絶対に引き離されるな」


 隣にいた旦那はその時そう言うと……消えた。


 消えたんだよ。

 そんでもって木々の間から、隣の道にいる馬に乗ったやつの一人が旦那に奪われて落っこちてるのを見たんだよ。

 はぁ? ってなもんだよ。だけどハンドルもスピードも動かせない。


 危険を察した馬車に鞭が入る。

 全力疾走に入ろうとするが引き離されるわけにはいかない。まだ時速60km には十分余裕がある。


 馬車と俺との夜道のレースだ。


 隣の道ではなにやら騒がしいがそんなことを知ったことじゃねえ。ありがたいことに相手は灯火持ちだ。見失うはずがない。


 衝撃とともに助手席に旦那が戻ってくる。そしてまた消える。そんなことすらいちいち気にしてるわけにはいかない。こちとら無灯火だ。ハンドルを誤ったら道を外れて麦畑に転落だ。


 ……バカ言えお前自分が言ってることわかってるか?


 村の側道を走っている車から?


 本道の馬車に向かって?


 街道の街路樹の間をすり抜けて?


 一人の人間が飛び移りながら行き来する……ってお前、芝居としたって滑稽無糖だろうよ。


 俺が言ってるのはその時俺が見たことそのままだよ。


 時速60 km に向けて走っていた隣の旦那の姿が時々消えた。


 隣の本道を走る馬車に時々旦那の姿が現れて、何やらドンパチしていた。


 衝撃とともに時々戻ってきた。


 だから……俺は車を走らせてただけさ。



 一度戻ってきた旦那が呟いた。


「……守りが堅い。もう少し車を寄せられないか? 」

「無茶言うな。脱輪する」

「なら引き寄せるしかないな、やむを得ん」


 そう言うといきなり手を伸ばしてこちらの灯火をつけやがったんだ、2度3度と。


 そりゃあ、こっちに車があることがまるわかりになる。いきなり鉛弾まで降ってくる。

 だがそれが旦那の狙い目だ。


 木々の間から黒い影が飛んだ。


 いや、月の光の中少し光っていたか。


 ……なわけないか。それくらいはっきり見えたんだ、多分。


 しばらく馬車の中で何やらやってるのを聞きながら俺は焦っていた。


 何度も走った道だ。長さはわかっている。


 この先、本道はまっすぐ行くのに対し、側道は大きくそれていく。


 それまでに旦那が帰ってこなかったら、いやその前に、今馬車と並ばせるために猛スピードを出しているままでそこに突っ込んだら……大事どころの騒ぎじゃない。


 まだかまだかと思いつつ灯火もつけられない。いっそ声を出して旦那を呼ぼうかと思ったとたん、助手席に衝撃が来た。


「曲がれ! 」


 言われるまでもない。


 速度を殺して急カーブを曲がりきる。


 相手は乗ったスピードを抑えることもできずに道の彼方だ。遠ざかっていく灯火がよく見えた。



 家に着いたのはまだ朝靄も抜けきらない夜明け頃のことだ。


 旦那は報酬として車だけではなく、それなりの金額を渡して去っていった。


 俺はそれを元手に自動車会社を始めた。金持ちだけが自動車を持つ世の中は終了と思ったんだ。いや、俺の会社が普通のやつでも自動車を持てるようにして行くんだと思ってた。


 それからバンバン自動車を作って……。


 ……え? なんで借金背負ってるのかって?


 みなまで言わせんな、ちっとばかり時代が早すぎたんだよ。

 それに俺ぁ、エンジニアとしちゃとびきり優秀だったが、経営センスとやらはイマイチでな。……今じゃ残っているのはこのおんぼろぐるまくらいしかなくなっちまった。


「往年のクラシックカーで街を行くタクシー」とかって新聞記事とかできないかな? 客が増えるんじゃねーかと思うんだけどな。



 ……そうだよ思い出した。


 あれがあったから俺は挑戦しようと思ったんだった。

 旦那との別れ際のことさ。


 今まで手にしたこともないような大金もらってかなりビビっちまったんだ。


「……俺、これからちゃんとやっていけるんだろうか……」


って、つい弱音がさ。


 そしたら旦那が言ったんだよ。


「当たり前だろ。……お前は”本番に強い男”なんだから」


 それが、この先どんなことに挑戦しても大丈夫っていう、お墨付きでも貰ったような気がしたもんだからさ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る