謝る心

 海外と比べてという意味ではなく(海外のことは詳しくないので)、日本では謝るべき人が謝るべきときに謝れず、謝らなくていい人がなぜか少し重めに謝る傾向がある気がする。


 どうしてそうなるかは少しわかる。たとえば、魔が差したとか・冷静な判断じゃなかったとしても、ある程度、悪意とか意思を持ってやった行動は謝りづらい。あとで冷静になったとき、素直に謝れそうになることがあるとしても。


 また、これは体験談だが、とあるケンカをした翌日に謝ろうと思っていたが、翌日アクシデントがあり、謝る機会がなく、その次の日には話が広まっていて、もう謝ることができなくなったということがあった。


 それは自分が引きずっていることの一つだが、自分のいないところで相手が話を広めてしまった部分もあるので、それは不慮のことだったとしても、そのことに対する怒りがあった。周りの人らに対しても、最初に会う相手がケンカした当人だったら、何も知らず、きっと初手で謝れただろうに、違う相手と話す方が先だったから、その空気全体に巻き込まれた感じもした。


 ただその後の自分の行動は良いものではなかったので反省している。けど、そのときはどうすることもできなかった。



 そんなふうな体験もしているし、複雑な思いを抱えるほど、謝りづらくなる。


 一方で、客観的に見て、そんなに悪いことをしていないのに深く謝る人はなんなのか。


 その心理は一旦置いておくとして、なんでそれ謝ってるの? と気になることが自分は本当に多い。


 海外には詳しくないと言いつつ、アメリカの野球ではボールを相手打者にぶつけても謝らないという話を聞いたことがあるが(本当かは知らない)、その場合はわざとではないことを示すためにそうするらしい。謝ったらわざとだと思われるのだと。


 そんな外国人選手も、日本に来たら日本の文化に合わせて、謝る仕草をする場合もあるが、考えてみると、内面と事象の違いがあるのかなと思う。


 わざとじゃないから仕方ないじゃないかという精神と、わざとじゃなくても起きたことが悪いから良くないみたいな精神。(報復死球と乱闘の話はややこしくなるのでやめる)


 どっちもどっちという気はするが、個人的には、謝る必要がない人が意味のわからない謝り方をしているのを見るとなぜか腹が立ってしまう。たまに、違う方向に怒りをぶつけさせるために謝るみたいな策士もいるかもしれないが、あまりにもいい加減に謝る人が目につくと、余計に、謝るべき人が謝らないケースも目につく。


 全部人のすることだし、他人をとやかく言えるわけじゃないが、気になる。

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