第6話 異変

「もうすぐだよ」


「わっ、で、でも……わたし……本当に、あの……や、ヤバくて……あぁ」


「へーきへーき、過ぎちゃえば結構みんな笑ってるもんだって」


 でもっ……。でも……。


「きゃあああああああああああああ!!」


 家族の前以外でこんな大きな声を出したのは、初めてだった気がした。

 ふわりと一瞬だけ身体が浮揚した感覚を覚え、大袈裟なカーブを急降下していく。

 すると、息つく暇もなく次の絶叫ポイントがやってくる。

 山なりカーブ、垂直旋回、螺旋状にぐるぐると回転を続ける。

 わたしは頭を空っぽにして、みっともない大声で何度も喚いた。


 どんな顔で叫んでいたのか、覚えていないくらい大声を出した。もしかしたら、一緒に乗っていた人たちよりずっと大きな声だったかも。このわたしが。

 でも、少しだけスッキリした。心の中にあったもやもやがちょっとだけ晴れたような気がした。


「はは、ユウナってば、すごい悲鳴だったね」


「ヘン……だったかな」


「ううん、面白かったよ。あんなふうに叫ぶんだね」


「ぅ、なんか……恥ずかしいよ」


「え? なんて」


「ぁ、ううん……なんでもないの」


 わたしは自然に熱を帯びる頬を叩いて、いつもの表情を保つように努力する。

 このニヤニヤの正体はなんなんだろう。好きな人と一緒にジェットコースターに乗れたから?

 今のわたしなら、普段は腰が引けてしまうようなこともできる気がしてくる。


「あー、楽しかった!」


「う、うん……楽しかった」


 タイチくんが腕を伸ばして空に背伸びする。その後ろ姿にただついていく。

 もう少しだけでいいから、この時間よ続いて。と願ってしまう自分がいた。


 ――タイチくん、次はどこに行こうか。何しよっか。他に面白いところってあるのかな? わたしここに行ってみたいな。

 いくつか浮かんだ言葉のどれか一つだけでも言いたくて、脳内で細かにシミュレート。


 言いたいことは、言わないとダメ。先生が前に言っていた言葉が脳裏を過ぎった。

 うん、今のわたしなら……言えるかもしれない。

 わたしは勇気を出してぎゅっと拳を握った。


「……あ、あのっ!」


 わたしが口火を切ると、振り返ったタイチくんと目が合った。


 わたしの気のせいなのかもしれない。

 でも、なんだかいつものタイチくんの目に思えなかった。

 いや、そうはいってもわたしは一度だってタイチくんの目をじっくりと見たことはあったっけ? ……ないような気がする。

 じゃあやっぱり気のせいかな。タイチくんもきっとわたしに色々と合わせてくれてるだろうから、疲れちゃったのかもしれない。


 わたしは正面で立ち尽くすタイチくんの顔をもう一度見つめてみる。少しだけ恥ずかしいけど。

 でも、やっぱり……いつも彼が見せてくれる爽やかな表情ではなくて、なぜだか少しだけ、怖かった。


「ユウナさ……」


 わたしが妙な違和感に何も言えないでいると、タイチくんが口を開いた。


「最近……おかしなこととかって……なかった?」


「え? おかしなこと……?」


 一体何を聞いているんだろう。なんのこと?

 わたしは瞬時に脳を巡らせる。でも、思い当たることなんて、一つしかない。

 でも、なんでそれをタイチくんが……?


「な、ないよ……何も」


「……そう。……じゃあ、今日なんで君はここに来たの?」


「そ、それは……卒業遠足で……」


「友達もいないのに?」


「え……?」


 タイチくんの口から信じられない言葉をわたしは聞いた。

 彼の言葉にしてはトゲがありすぎる。

 そんなこと、冗談でもタイチくんは言わない。わたしが相手だろうと。


「それっておかしくねえか? 卒業遠足ってのは仲良しのグループで行ってナンボのもんじゃないのか? 友達がいないやつも参加してもいいもんなのか? いや、まあ正直なんでもいいんだが。……とにかく、あんたにはもっと違う目的があったんじゃねえの?」


 気がつけば、人混みから外れた日陰に来ていた。タイチくんの口調もおかしい。


「た、タイチくん……?」


「そうだよ、俺はタイチくんさ。君の大好きなタイチくん。それであってるだろ?」


 わたしはタイチくんからそこはかとなく感じる奇妙な違和感の正体がわからなかった。

 でも目の前にいるタイチくんは、確かにわたしの好きな人で間違いなくて……。でもなんだかおかしい。何かが違う。


「……ユウナ、タイチは何かがおかしい。とにかく今はその少年から離れるんだ。妙な敵意を感じる」


 リーヴがタイチくんに気付かれないよう人形のふりをしたまま、わたしに告げ口をする。敵意? なんで。タイチくんがどうして。

 わたしは途端に怖くなって、タイチくんを置いてその場から逃げ出した。

 ――すると誰かにぶつかった。


「……おいおい、前は見なくちゃだめだろ、ユウナ」


「せ、先生……タイチくんが……なんか……なんか、ヘンなんです」


 わたしは必死の表情で、先生に訴えた。

 日陰に佇むタイチくんが、微動だにすることなくわたしの訴えをただ聞いているのがすごく怖かった。


「なんかヘンって……一体どういう――」


 先生がまるで状況をわかっていない表情で、わたしに手を引かれるまま日陰に入ったときだった。


 ――地を揺らすような巨大な衝撃。

 今まで聞いたこともないくらい、とても大きな音だった。

 何かが壊れる音。崩れる音。そして、たくさんの人の悲鳴。


 一体――何が!?

 困惑するわたしにリーヴが厳しい表情を向ける。わたしの手元から飛び跳ねて、地に足を付けた。


「ユウナ! 『厄災』だ! はやく!」


「ちょ、ちょっと……リーヴ!」


 リーヴが小さな体とは思えないスピードで走り去っていく。わたしはそんなリーヴに追いつくのがやっとだった。

 そして、辿りついた先には……。


「う、嘘……何っ……これ」


 この遊園地のシンボルだった大きな観覧車が、半分ほどぺしゃんこに潰れていた。

 原因は歪に存在を主張する大きな隕石。

 周辺の人々が悲鳴をあげながら観覧車から離れて行く。


「嘘じゃない。真実だよ。それに『厄災』はこれだけじゃない。ユウナ、心の準備はできているかい。『厄災』との戦いが始まる」


「ええっ……待って! できてない、全然、できてないよっ!」


 わたしは情けない声を上げたまま、あたふたと周囲を見渡すので精一杯だった。調子のいいことを言っていても実際に起きたら何もできない。ダメじゃん……わたし。


「……無理もない。だけれど……誰かが戦わなければ、被害は大きくなるばかりだよ。ボクは……地球のために戦わなければいけない」


「リーヴ……」


「それが、ヒーローなんだろう?」


 キザな笑みで、リーヴは星空色のマントを翻して、腕を突き出した。


「泥船に乗ったつもりで……任せもらおうじゃないか」


「大船、ね」


 リーヴはコホンとわざとらしく咳払いをしてから、わたしの肩に飛び乗った。


「ボクら“星人形スター・パペット”は君ら“星の守りびとスター・パペッター”の半径10メートル以内でないとまともに行動することができない。君は絶対にボクが守る。だから無理をしない程度にできる限りボクから離れないようにしてほしいんだ」


「う、うん……! わかった。わたし、頑張るよ」


 そうだ。わたしはこういうのを望んでいた。ヒーローのお手伝いができるんだ。

 わたしは半分になってしまった観覧車を見上げる。不幸中の幸い、点検中だったのか、怪我人はでていないようだった。


「あれ、まって……観覧車……中に誰かいる」


 目を懲らしてみる。女の子のグループみたいだった。

 どうも、見覚えがある。


「マナミちゃんっ!!」


 わたしはジェットコースターに乗ったときと同じくらいの声量で観覧車に向かって叫んだ。

 点検終了後に一番乗りでもしたのか、彼女たちしか観覧車には乗っていなかった。


「ユウナ! 来る!」


 リーブの叫び声にわたしは身をビクッとさせる。正直言って、とてもビビっている。足が震えるし、頭がちゃんと動いてくれない。


 気がつくと、すぐそこまで鈍い輝きを宿した簡易な人影が複数迫ってきていた。

 あの夜、リーヴが助けてくれたとき襲いかかってきた生き物と同じだ。

 彼らが『厄災』。どうやら落ちてきた隕石から出現しているらしい。


 『厄災』たちは、夜の星空みたいな模様を蠢かせつつじりじりとわたしとリーヴを囲んだ。

 リーヴは屈することなく片手を突き出した。五本の指先にきらきら輝く青白いエネルギーが集中する。


「“星弾丸スター・フィンガーショット”っていう技名にしたんだ。なかなかカッコイイ必殺技だろう。せっかくだから君たちにお見舞いしてあげるよ」


 リーヴの指先に充満していた光が、以前も聞いた重低音と共に乱発。

 青々と輝く弾丸は、とんでもない速さで宙に飛び散っていったように見えた。


 だけど――。


 リーヴの星の弾丸は次々に撃ち落とされ、わたしたちを囲む『厄災』たちの元へは一つも届かなかった。


「……やらせるか。興ざめするだろが、サジタリウス」


「そうか、君は……」


 リーヴが驚いた表情で、突きだした右手を引っ込める。

 わたしたちの前に立ったのは――なんとタイチくんだった。

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