第4話

『意中の人がおられるのでしたら、早く結ばれるがよろしいでしょう』


 近隣国きんりんこくの王太子からの助言は、まとたものだったらしい。

 ラビハラ殿下とのお見合いのあとも、わたしにはお見合い話が持ち込まれるようになりました。


 わたしも、あと100日ほどで17歳。

 これは完全に適齢期で、お見合い話が舞い込むはのは当然です。


 3つの見合い話のうち、ひとつは必ず受けるように。

 父王陛下に、そう命令されてしまいました。

 ですがそれは王族の義務であり、わたしにも納得がいくものです。


 ただ問題は、を、リルルくんが知ってしまったことでした。


「授業を急がないといけませんね。ミアちゃ……王女殿下には、まだ学んでいただくことがございます」


 授業の時間。

 ふたりきりの部屋。


 なのにわたしを王女殿下と呼ぶ、他人行儀な言葉づかいのリルルくんの声に心臓を凍らされ、


(そのようなこと、おっしゃらないでください!)


 喉の真ん中まで登ってきた悲鳴を、わたしはし殺しました。


 今は授業の時間。

 わたしには学ぶべきことがあり、リルルくんには教えるべきことがある。


 ですが、隣に座って授業を進めてくれるリルルくんの声と言葉が、まったく頭に入ってきません。

 わたしはただ、溢れそうになる涙をこらえるのに必死なだけ。


「ご理解いだだけましたでしょうか、王女殿下」


 彼のこんな余所よそ余所よそしい言葉を聞かされるのは、出会ったばかりのころ以来いらい


 最初は緊張してたよね。リルルくんもわたしも。

 突然『王女さまの先生』をしないといけなくなったんだから、当然だよね。


 だけど、すぐに慣れてくれたね。

 わたしも、あなたに近づけるように努力したんだよ? 言葉づかいとか、柔らかく親しみやすいように。


 いろいろなことを教えてくれたね。たくさんのことを学んだよ?

 いつしょにお散歩して、おやつを食べて、笑いあって、仲良くなったよね。


 初めて「ミアちゃん」って呼んでもらえたとき、わたくしすっごく嬉しかった。

 初めて「リルルくん」って呼んだときのあなたのお顔、一生忘れない。恥ずかしそうで、だけど嬉しそうにはにかんだあのお顔は、わたしの宝物。


 世の中に立派な人はたくさんいて、その中には尊敬できる人も仲良くなれる人もいるでしょう。

 そうですね。例えばつい先日お会いした、ゲイズのラビハラ王太子のような人が。


 ですけど、違うのです。


 わたしは、のです。

 あなたでないと、イヤなのです!


 リルルくん。

 わたしはあなただけがこいしく、いとおしいのです……。


 他の誰かなんてイヤ。

 誰だってイヤ。


 あなたじゃないなら誰だって同じ。

 イヤなの!


 あまりの悲しさにお腹が痙攣して、喉がえずいて、もう……堪えられない!


「い、いやぁ……っ」


 涙が止まらない。

 わたしはこんなにも、あなたにこいがれている。


 王女殿下なんてイヤ!

 いつもの優しい声で「ミアちゃん」と呼んで、かわいい笑顔でわたしを見て!


 お見合いなんてイヤ! 結婚なんてイヤ!

 リルルくん以外の人と結婚なんて、絶対にイヤなの!


 彼は10歳にも満たない男児で、わたしは適齢期の女です。

 それなのにダメです。涙が止まりません。幼いころのように、嗚咽おえつが溢れてきます。


 机に突っ伏し泣きじゃくるわたしを、彼はどう思っているのでしょう。

 そんなことにも気が回らないほど、わたしは泣き崩れました。


 幸福だったはずの、ほんわか温かだったはずの彼への想いが、わたしを冷たく押しつぶしていく。

 あまりにも重くて、ぺしゃんこになってしまう。


 彼がわたしを選ぶ必要はない。

 王女などという身分を持つ女はジャマにしかならないし、わたしにはわたしで、王族としての責務がある。


 そんなのわかっているわ!

 だけど、だけど!


「いやぁ、いやだあぁ〜! リルルくんがいいっ」


 わたしは隣に座るリルルくんにしがみついて、涙声で叫んだ。


「わだじ、リルルぐんじゃなきゃやだあぁ~!」


 まだ幼い彼に恋心や女心が理解できるとは思えません。初恋に溺れる女の子の苦悩がわかるとは思えない。

 リルルくんにとって今のわたしは、唐突に泣き叫びだした奇妙な女でしかありません。


 だけど彼は……


「ごめんね、ミアちゃん」


 わたしの顔を胸に抱きしめ、頭をなでてくれました。

 優しい彼の手が、わたしのカッコ悪さをなだめていきます。


「ミアちゃんは王女さまだから、ぼく……」


 胸に抱いたわたしの頭に両手をそえて、涙でぐしゃぐしゃになった顔をあらわにさせるように動かす彼。

 カッコ悪い、恥ずかしい。こんな顔見られたくない。

 なのに見つめてくれる彼の瞳から、視線をそらすことができません。


 震える喉からえずきを溢れさせるわたしに、彼がいつもの優しい笑顔をくれる。

 つられてわたしも、同じ顔になりました。


「リルル……くん」


 ごめんなさい。そう続けようとしたわたしの頬に、彼の唇が落ちてきました。

 そっと触れる、やわらかな感触。


(キ、キス!? キスしてもらっちゃった!?)


 心臓が跳ねて、締めつけられます。


「ミアちゃんでも、涙は甘くないんだね」


 な、なに!?

 なんの話!?


「ミアちゃんはかわいくて、まるでお菓子みたいな人だから、涙も甘いのかと思った」


 照れるようなお顔のリルルくん。


 それに馴れなれしいほどに、親密な言葉づかい。

 彼が踏みこんでくださったことがわからないほど、わたしは子どもではありません!


「ミアちゃんは、ぼくが好きなの?」


 素直に頷きます。

 それが正解で、それしかできません。


 本当なら、「はい。好きです」と言葉にするべきでしょうが、唇が震えるだけで声になってくれませんでした。


「ぼくも、ミアちゃんが好きだよ。いっしょだね」


 そっと、れるだけの口づけが、今度はわたしの震える唇に与えられます。


 思わず閉じた瞼から流れる涙は、さきほどまでの悲しみとは逆の感情を含んでいて、わたしは彼の唇が遠のいてしまうまでその涙を流し続けました。


 長かったのか短かったのか判別がつかない、まるで夢だったかのような口づけが終わり。


「あなたの、妻にしてください」


 わたしは自分から、彼へと望みました。

 この状況で彼の答えがわからないほど幼くはございませんし、安心して告げることができました。


「はい、エルファミア王女殿下。ぼくは、あなたさまを妻にします」


 想像通りの答えをくれたリルルくんが、先ほどまでよりも強く、唇を重ねてくださいました。


 触れ合う唇と唇。二度目の口づけは、初めてのものより落ち着いて受け入れることができました。


 長いキスのあと。


「もう、イヤだっていってもダメだからね。ミアちゃんは、ぼくのお嫁さんになるんだよ?」


 その求婚にわたしは何度も頷くと、今度は自分から、未来の旦那さまへと口づけを返しました。


【fin】

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わたしは、あなたがいいのです。 小糸 こはく @koito_kohaku

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