第二十五話 やるべきたった三つの事柄

 地下室での出来事から数日、俺はいつもの日常に逆戻りしていた。昼頃に起きてゲームをして、マンガを読んで、寝るだけの生活に。先日の出来事が嘘のようだ。


 スパムメールでいっぱいのケータイが振動する。端末を開くと案の定美羽からのメールだった。文面は『ちょっと付き合いなさいよ』。


 自宅近所の喫茶店に入ると、私服姿の美羽がよっと手を上げた。俺は対面の席に座り、炭酸ジュースを一つ注文した。美羽はアイスティーを片手に突然切り出した。


「で?」


「は?」


「は? じゃないわよ、この前の話どー思ってんのよ」


「……なんか、実感沸かな過ぎて正直あんま考えてない」


「そーなるわよね……あたしたちが地球の滅亡を回避するだなんて、イミワカンナイ」


「俺たちは宇宙に選ばれし五人戦士ってところなのかな」


「なにそれ、厨二病ってやつ? あんたもほんとそういうの好きよね。バッカじゃない?」


 美羽はぼーっと小窓から空を眺めて呟いた。


「はあ……戻りたいなあ。あの頃に」


「あの頃?」


「……な、なんでもないわよ、ばか!」


 美羽はかあっと頬を紅く染めてフンと顔を背けた。


「あれから……どう? みんなは……その」


「どうって……変わらないわよ“あの日”からずっと。時計が止まっちゃったみたいだわ」


「そっか」


 注文したジュースが届き、俺はそれをちびちびと飲み始めた。美羽はぽけっと俺を眺めていると、柔らかそうな唇を動かした。


「……海斗はさ、なんで涼介にこの前殴られたか、わからない?」


「え?」


「あんなに強く殴ったりするのって滅多にできることじゃないよ、あんたもそりゃ痛かったろうけど、殴ったほうだって、痛かったはずよ……あいつ素直じゃないけど、まだあんたのことを一番の親友だって思ってるわ。じゃないとあんなことできないもん」


「…………」


「きっとね、あのとき謝ってきた海斗が許せなかったのよ。だって海斗のせいじゃないんだもの、当然じゃない。この前だって涼介はあんたのせいにはしてなかったでしょう」


 ……確かにそうかもしれない。


「涼介はね、親友のあんたにこそしてもらいたいことがあったんじゃないかなって思うのよね、謝るんじゃなくてさ、あるじゃない、うまく言えないけど。ん~……人の心って難しいね」


 美羽がアイスティーに口をつけた。おてんば娘は身体だけでなく心まで大人になってしまったようだ。学校にも行かず日々を怠惰に過ごし続ける自分が恥ずかしくてしょうがなかった。


「美羽……」


「なによ」


「うあああああああああああああ!!」


「きゃああああああああああああ!!」


 俺の雄たけびに合わせて美羽も悲鳴をあげた。だいぶ可愛らしい声である。


 人間関係の拗れは泥沼みたいに深くて、ハマってしまったらきっとすぐには抜け出せない。俺たちは面倒な終末ものSFの主要キャラになってしまったんだ。だから、どこまでも一緒にいて、悲しいことも、幸せなことも、みんなでわかち合うべきなんだ。


 俺はナチュの陣のメンバーで一緒に過ごす日々が大好きだった。ゲームも遊びも、みんなと一緒なら面白さは何倍にもなる。切っても切れない腐れ縁。それが俺たち。


 だからナチュの陣がめぐり逢ったこの運命を、メンバーの誰からも否定してほしくない。


 人生で一番楽しかったと思える時期を、俺は最高の友達たちと過ごせたのだから。

 それを取り戻せるのなら俺はなんだってする。そのためには、なにをすればいいのだろう。


 ……簡単だ。俺がすることはたった三つだけ。


 一つ目はナチュの陣のメンバーを再び結成させること。『俺』『涼介』『椎名』『美羽』『空』そして『ナチュ』。五人と一匹でナチュの陣だ。一人の欠員も認められない。そしてみんなを束ねる役割を持っているのはリーダーである俺だけだ。


 二つ目は涼介と本音をぶつけ合うこと。謝るなんてつまらないことをした。喧嘩をしたことは多々あったが、次の日にはいつも元通りだった。俺たちの間に必要なのは謝罪じゃない。苦難も喜びも共に乗り越えていく心だ。それが俺はわかっていなかった。だから涼介に殴られた。


 三つ目はもうなんだったら救っちゃえばいいじゃん地球、ということだ。『宇宙樹』だかなんだか知らないが、ナチュと俺たちを巡り会わせてくれてありがとうと言えるくらいの関係になってやろうじゃないか。別に地球の敵ではないのだろう。唯香さんが俺たちの敵でないのと同じで。俺たちの愛しい美しき地球を救ってしまおう。ナチュの宇宙の力を借りて。


「なんか目が覚めたよ。美羽。頑張るよ、俺」


「なんだか知んないけど……早く座りなさい! み、みんな見てるわよっ」


 辺りをきょろきょろ見渡しながら、美羽は寂れた喫茶店で発狂した中学三年生男子を睨む。


「はは、美羽ってそんなこと気にするやつだったけ」


「ちょっとなによそれ! ああ、恥ずかしい……」


 鞄で顔を隠す美羽の頭をぽんと叩き、俺は言った。


「美羽、俺お前のこと好きになりそうかも」


「はあ!? じょ、冗談じゃないわよ、あんたみたいなキモオタ願い下げよ。整形してから出直してきなさい。身長もプラス二〇センチはほしい。あとさっさと髪切ってこい」


「はは、ぼろくそ。相変わらずひどいなー」


 久しぶりに心から笑った気がした。俺の止まっていた三年間が、動き出そうとしている。


「でも、美羽はいい子だよ、リーダーの俺が保証する。きっとその想いは涼介にもいつか届く。絶対二人はうまくいく。俺、わりと自信あるよ」


「な、なな、さっきから一体なに言ってんのよ! そんなこと今までで一度も言ったことないくせに! べ、別にあんなやつ……あんなやつなんだから! それに涼介は――」


「……諦めないんでしょ? 俺も頑張るから。お互い頑張ろうよ」


「んっ……くっ」


 美羽は悔しそうに唇を噛みしめて顔を俯けた。乙女の顔だった。


 俺の心は、毎日が冒険心に溢れていた幼き日のように静かな灯火を上げていた。

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