第3話 出立の朝

 朝、シエルは外でうんと体を伸ばし、陽の光をいっぱいに浴びていた。彼女の栗毛色の髪は、陽射しを受けて黄金色に輝いている。

 右耳は彼女の体に倣ってピンと立っているが、左はへたり込んでいる。まるで、片方だけまだ目覚めていないかのようだ。



「――おはよう、シエル。あんた……、今日、出て行っちゃうんだって?」


 背中からの声を聞いて、両耳がぴくりと反応する。先ほどまで寝ていた左側も、今ので目覚めたらしい。

 シエルの後ろにはふくよかな大人の女性が立っていた。そして、その女性の腕に包まれるようにして、腰くらいまでの背丈の少女が2人、シエルを上目遣いで見つめている。


「シエル、いなくなっちゃうのー?」

「シエル、いなくなったらヤダー!」


 少女たちは声を揃えて訴えかける。その姿を見て、シエルはほんの少し寂しそうな表情を浮かべた。


「あんたが一緒だと新しい毛布買わなくてもいいからね、よく手伝いもしてくれて、うちらは助かってたんだけど?」


 この女性は、「おやっさん」の妻。シエルは、この家で寝泊りをさせてもらっている。その代わり――、なのかは不明だが、家の家事手伝いをするとともに、2人の少女と一緒に寝ていた。


 獣人の彼女は、髪が長くふさふさの尻尾もある。そんなシエルと一緒だと、もはや生きる毛布を抱いているのと変わりない。


「シエル、もふもふー!」

「シエル、ふわふわー!」


 少女たちはシエルに――、というよりシエルの尻尾に抱き着いた。彼女の尻尾はそれ単体で意思をもっているかのように、うねうねと動き、ふたりに巻き付く。

 そして、そのまましゃがみ込むと、抱えるようにして両手で2人を抱きしめた。並んだ2つの頭に頬を寄せると、鼻をひくひくと動かす。



「ふたりの匂いはちゃんと覚えた! また、絶対会いにくるよ!」



 シエルは、声も表情をいつもと変わらずとても明るかった。それゆえか、駄々をこねそうだった少女たちも、いつの間にか普段と変わらない顔で尻尾と戯れている。


「おかみさん! はまだ寝てるよね? シエルがいっぱい感謝してた、と伝えてください!」


「――案外、別れが寂しくて寝たフリしてるだけかもだけど? あの人、男の癖に涙もろかったりするからね?」


「あははっ、オッサンらしい! そうだ、おかみさん! これ――、お世話になったみんなにお礼です!」


 そう言うとシエルは、丸めた画用紙を1枚差し出した。女性はそれを受け取ると、その場にしゃがんでから紙を解いていった。彼女の両脇に2人の少女が回り込み、一緒になってそれを覗いている。


「おやまぁ……、これは、うちらを描いてくれたのかい!?」

「シエル、絵上手ー!」

「シエルの絵、きれー」


「えへへっ! あたしはしかできないから。お金にはなんないかもだけど!」


 画用紙には、おやっさんとおかみさん、それに2人の娘がそろって笑顔で描かれていた。


「うちとこの子たちはともかく……、はもっと怖い顔してるんじゃないかい? シエルはキレイに描きすぎだよ」


「ううん、おかみさん! あたしの目からはオッサンも含めてこう見えてるんだ! この絵は、あたしの心を通して見たみんなだよ! みんな笑顔で、みんな優しい!」


 シエルの目は、キラキラと輝いていた。日の当たらない裏通りで裏の絵描きとして生きてきた彼女だが、その眼はまったく曇っていないようだ。


 そして彼女は――、一緒に暮らしてきた人間の家族に別れを告げ、長めのケープを翻し、旅へと出て行くのだった。

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