第6話「王道ラブコメのような展開なのに、素直に喜べないし楽しくもない!」
「次のゲーム収録までに私の経験値を上げることは不可能でも、これからはラブコメ以外の恋愛作品にも出演したいと思っていて……」
あまりにも
「
声の力ってものは、物凄く偉大だと思う。
「だから、私に恋する気持ちを教えて」
俺と笹田さんの間には若干の距離があるはずなのに、まるで耳元で囁かれているかのような絶妙な声で笹田さんは俺にとんでもないお願いを託してくる。
「俺……笹田さんの役に立てる自信がないです……」
「どうして?」
物凄く純粋な声と純粋な瞳で、こっちを見てくる笹田さん。
すべての要素が、俺の心を痛めつけてくる。
「さっきのあれ、収録のなんの役に立つのか分からな……」
「自分の経験とキャラクターの経験が一致するなんてことは滅多にないけど」
彼女は目を見開いて、深く息を吸い込んだ。
「意味のない経験なんてものは存在しないから」
先輩声優は、自分が驚かされてしまうほど可愛く笑ってみせた。
どんな雑誌を読んだって、どんな腕のいいカメラマンさんがいたって、こんなに可愛い表情の笹田さんを拝める機会は絶対にないと断言できる。それくらい可愛い笑顔を彼女は見せてくれた。
「いいお芝居ができそうで、わくわくしてるの」
年上だからって、どうしてこうも自分の一歩も二歩も先に物事を考えられるのだろう。
役者歴が長いことが、すべてを物語っていると言えるのかもしれないけど。
さすがにここまで出来上がった先輩声優に対して、悔しさのようなものが生まれてきてしまう。
「私がやりたいのは恋人ごっこじゃない。和生くんと一緒に、お芝居が上手くなるための経験を積みたいの」
俺が声をかけるよりも早く、笹田さんは大きな声を上げた。
周囲に迷惑にならない程度の大きさの声なのに、確かにしっかりと響く笹田さんの声に聴覚全部持っていかれた。そんな気がする。
「……それには、俺も参加したいです。養成所と事務所の期待、裏切りたくないので」
「自分を拾ってくれた人たちに、ちゃんと恩返ししたいね」
「もちろんです」
笹田さんが人を好きになる気持ちというのが、どんな感情なのかを学んでいくうちに、俺のことを好きになってくれたらなぁっていう邪な気持ちがないわけではない。
でも、そんな思惑に加えて芝居の勉強までさせてもらえるのなら、喜んで笹田さんに協力をしたいと思う。
「お願い……聞いてもらえる?」
「互いに恋愛感情がないところが、なんかの作品のパクリっぽいですね」
「恋人ごっこじゃないから! 私たちは、お芝居の練習をするの」
「はいはい」
なんだか奇妙な関係性が始まったなーとか思わなくもない。
そして、自分が笹田さんの役に立てるかと言ったら、それも自信がない。
だけど流れに流れて、こうなってしまった。
「お芝居だから! お芝居なんだからっ」
「はいはい」
「和生くんが、ちゃんと聞いてくれない……」
これから笹田さんが予定しているのは、今度こそ本当に芝居の特訓かもしれない。
もう、そうやって自分に言い聞かせるしかないなって割り切りながら駅の改札口を抜ける。
「私の経験値アップイコール、芝居の上達の予定なの」
そのとき、思った。
笹田さんとの間に保たれていた一定の距離が縮まったような感覚を受けた。
「和生くん?」
定規やメジャーがあるわけじゃないから、ちゃんとした距離を計測することはできない。
でも、なんとなく……なんとなく彼女との距離が近づいたような気がする。
「あ、すみません。ほら、電車、乗りましょう」
近寄らないでほしいと言ったのは自分の方からだったけど、笹田さんとの関係が変わらなくて良かった。そう安堵する自分がいることに気づいた。
(
笹田さんと一緒に森村荘で暮らすようになって、親しくさせてもらってから、そんなに経っていないっていうのに、この調子の良さ。
自分って言う人間は随分都合よくできているんだなって、溜め息まで溢れてきそうになる。
こういう思考回路を、気持ち悪いと言うのかもしれない。
高校一年のときから、ちっとも成長がなさすぎて泣けてくる。
「和生くん」
「はい」
「……怒って……は……いない?」
中学のときから大人の世界で仕事をしている笹田さんには、人の心を読む能力でもあるのか。
そんなことを思ってしまうくらい、笹田さんは随分ご丁寧に俺の心を察してくる。
「怒ってないですよ。自信は失いかけてますけど」
「えっと……それはどういう意味?」
「笹田さんは、そのまま純粋に育ってください」
「カッコいいことを言っているようで、どうしてそこで笑うの!」
次の駅に着くまでの、ほんの短い時間だけど、電車内に人はほとんどいない。
それでも俺と笹田さんの貸し切りってわけではなくて、車内には数えられる程度の人は乗っている。
「高校生って、ときどき狡い」
「高校生に戻ります?」
「和生くんとは二歳! 二歳しか違わない……じゃなくて、和生くんは妙に人を扱うのが上手いっていうか……」
「子どもでもあり、大人でもある微妙な立場ですからね」
それなのに笹田結奈という人間は、この場の空気を自分の味方へと変えてしまう。
どこにでもあるような電車という光景の一部に、きらきらとした光のようなものを差し込ませて明るい空気へと変えていってしまう。
「少しでも子どもって自覚があるなら、甘えちゃえばいいのに」
「っ」
口説き文句のようなセリフを耳にして、一瞬心臓の音はドキりと高鳴った。
「和生くん?」
「俺からすると、声優って職業が狡いと思います……」
そしてつい、そんな男を口説き落とすようなセリフを言ってきた彼女の瞳に魅入ってしまった。
まるで彼女の瞳は、窓を流れる景色なんて見させない。まるで、私だけを見ていなさいと命令を下しているかのよう。
「照れている和生くんを見られるなんて、貴重ね」
「からかわないでください……」
「ふふふっ、可愛い」
これを、ギャップフェチというのかなんなのか。
どこかのアイドルグループに入っているかのような可愛らしい外見をしているのに、ときどき俺の心理をすべて把握しているかのように主導権を握っていく。
これが本当に年上のやることなのかって思うけれど、大人社会を生きていれば、そんなことは朝飯前の得意技なのかもしれない。
「もう、嫌です……」
「和生くん?」
タイミングが良すぎるって、こういうときのことを言うのかもしれない。
笹田さんは天然っぷりを炸裂させたまま、電車は次の駅へと到着した。
そして次から次へと人々が乗り込んできて、電車は次の目的地へと向かっていく。
「和生くん、もう少し寄っても大丈夫」
「ありがとうございます」
鮨詰め電車と言うには大袈裟だけど、電車に乗り込んだ当初とは比べ物にならないくらい人との距離が近づいた。
満員電車ではないかれど、お互いに気を遣わなければいけないくらいの混み具合。
「俺、近すぎません? 大丈夫ですか?」
「和生くんだから、大丈夫」
「そういうこと言わないでください……」
和生くんだから、って言葉を強調されたのは絶対にワザとだと思われる。
絶対に彼女は、俺のことをからかっている。
(俺はこうやって、先輩に弄ばれていく人生なのかなー……)
だけど、笹田さんは恐ろしいくらい天然な性格。
これがワザとでもなんでもなくて素だとしたら、彼女に惚れ込んでいる男性はこの世に溢れ返っているんじゃないか。そんな妄想に背筋が凍りそうになる。
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