第2章「これが定番のラブコメ的展開だけど、それを受け入れられないのが新人声優」

第1話「新人声優は、ちゃんと食べることすら難しい」

「一緒に同じスタジオに行くのって、何気に初めて?」


 土日は、高校生が仕事に勤しむことが許される唯一の日。

 いつもは同い年の高校三年である大翔ひろとと高校に行くって義務をこなさなければいけないけど、学生にとっての休日は仕事に没頭できるご褒美のような輝かしい一日。


「高校生が、社会人と一緒に仕事できるわけないじゃないですか」

「あ、若さ自慢は禁止」


 森村荘もりむらそうの共用リビングには昼食の準備が整えてあって、そんな日常的雰囲気に声優の笹田結奈ささだゆいなさんが染まっていることに朝から言葉を詰まらせる。

 つまりは、まだ彼女と同居しているってことに慣れていないということ。

 いつまでも子ども染みた自分ではいられないと思って、気づかれないようにそっと深呼吸。


「初めてのデートって、こんな感じなんですかね」

「デ……」


 二年前は笹田結奈さんと恋人になることを目指していたな、なんて。

 ついこの間のような、そうじゃないような時間に想いを馳せていると、笹田さんは食事の最中にもかかわらず喜怒哀楽の激しい変化を見せてくれる。


「デ……デート……そうね、ちょっと見方を変えれば、これは和生くんとのデート……」

 

 俺の恋心を黒歴史に変えた張本人が、顔を赤らめてしまうなんて狡いと思う。

 それなのに先輩声優って肩書がつくだけで、その狡さすら許してしまうのだから俺も随分と甘いのかもしれない。


「違います。単に笹田さんと共演させていただくってだけの話です」

「……からかったの?」

「笹田さんだって、乗り気だったじゃないですか」


 感情表現豊かなところが子どもっぽくて嫌だとか言っていたような気もするけれど、そういうところが世の中の一部男性陣をときめかせているのだと笹田さんは気づいていない。


和生かずきくんの意地悪……」


 後輩声優としては物凄く楽しくて、愉快な日々を送らせてもらっている。

 素直に可愛いと思うし、そんな彼女の笑顔を見ると安心するなーとも思う。

 でも、彼女に惚れこんだら、俺は彼女を見返してやるという目標を達成することができなくなるから気を引き締める。


「まだデビューして間もないのに、主人公演じちゃうとか……」


 仕事が遅い組の朝飯……兼昼飯を用意してくれたのは、森村荘住人の新内鈴音にいうちすずねさんが俺に声をかけてくる。


「謝って……本田坂くん……」

「謝るの意味が分かりません!」

「新人声優は、もっと苦労するべき……」


 鈴音さんが笹田さん側に味方するつもりだと察して、おとなしく食事を進めていく。


「……二人とも、ちゃんと腹八分目、ね」


 後輩声優がちゃんと食べているかを確認するため、鈴音さんがテーブルを覗き込んでくる。

 肩くらいまでの長さある鈴音さんの髪が視界に入って、雑誌やインタビュー記事で何度も見かけたことがある人だということを思い出す。


「ありがとうございます、鈴音さん。私はもう十分満足です」


 新内鈴音さんはアニメ・ゲーム業界で活躍中のSugarilyシュガーリーという音楽ユニットのボーカリスト兼作曲家。


「食べ過ぎても駄目、食べなさ過ぎても駄目……だよ?」


 そして、声優事務所クロスエンジンに所属している声優でもある。

 一緒にご飯を食べるなんてあり得ないくらい凄いお方。


「鈴音さん、今日のお昼も素敵ですね」

「お昼だから……ちょっとカフェっぽい雰囲気もいいかなって」


 十色といろさんに負けず劣らず、鈴音さんもかなり料理ができる女性。

 普通にランチメニューとして出てきそうなメインのおかずプレートには、外食のときに食べるような味付けのフライドチキン。小鉢にはアサリの出汁が滲み込んだ豆腐と中華クラゲと茹でたエビの和え物。赤シソとベーコンの塩分が効いた野菜サラダに、彩り豊かなピラフと小松菜の入ったスープ付き。

 完璧すぎる品揃えというだけでも感嘆の声を上げてしまうほどなのに、これがすべて手作りだというのだから驚かされる。


「この食事付きの生活がある限り、森村荘生活はやめられませんね」


 笹田さんの言葉が、胸に突き刺さる。

 森村荘に滞在するためには、現役声優っていう肩書を維持しなければいけない。

 見えてこない未来のことを考えるだけで、食事の味がしなくなってくる。


「昨日のお夜食も美味しかった……?」

「それは、もう食べすぎちゃうくらい和生くんお手製のパンケーキは絶品でした」

「それは、夜食……?」

「ですよねー、鈴音さん! 笹田さんのことを注意してあげてください」


 俺が上京した日と、笹田さんが森村荘に入居する日が重なって早数か月。

 毎日のように俺が作るパンケーキを食している彼女だけど、びっくりするほど体型が変わらない。

 太ることができなくなったというわけではなく、健康的に摂取カロリーをきちんと消費するからこその体型維持。プロ意識が高すぎて、益々尊敬する。


「……二人は今日、打ち上げないんだよね? お夕飯どうする?」

「和生くんと外食しようって、お誘いしているんですけど……」

「変装しない人とは無理です」

「人気声優は打ち上げ以外で、外食をするなって言うんですよ」


 森村荘に住んでいると、食事の面で物凄く助けてもらえる。

 規則正しい生活を送っていれば香耶乃さんとご飯を共にすることができて、つまりは食費の完全免除へと繋がる。


本田坂ほんださかくん……それは酷い……」

「一緒に食事する俺の身にもなってください!」


 そして規則正しい生活を送っていなくても、一声かけておけばリビングキッチンに食べ物を用意してもらえる。

 月末に食費の追加徴収は取られるものの、独り暮らしをするよりは遥かに食費を安く済ませることができている。


「和生くんは、私たちを高く評価しすぎ」

「しすぎってことはないです。笹田さん含め、みんな冬からのレギュラー本数多すぎですよ?


 個人名義で音楽活動をやっている人は森村荘にいないとは言っても、森村荘に住んでいる面々の仕事量は凄い。

 それだけの仕事があるのに、どうして森村荘に住んでいるかって言ったら、みんながみんな不安なんだと思う。

 いつ、仕事がなくなるか分からない世界。

 声優業界は、毎日がオーディションという名の就職面接の毎日だから。


「そんな気遣い屋さんの和生くんが好きだけど」


 笹田さんの好きという言葉に、深い意味はない。

 けれど、その好きの言葉に心躍らされてしまう自分がいるから、本気で笹田結奈この人を見返したいと意気込みも新たに生まれ変わる。


「優しい和生くんは、声優業界でモテモテになっちゃうのかな」

「はいはい、どうもありがとうございます」

「彼女さんのことを考えると、毎日がやきもちの嵐で大変なことになりそう」

「…………はい?」


 この人は可愛らしい声で、一体なんの話を持ち掛けてきた?


「だから、和生くんの彼女さんが大変そうだって……」

「なんで架空の彼女を設定するんですか」

「……………………え?」


 物凄く間が空いた。

 笹田さんは俺が言ったことを理解しようと頭の中を整理させていたのだろうけど、それにしても長い長い間があった。

 そして少し落ち着いただろう笹田さんは、『え? その年齢で彼女がいないんですか?』みたいな表情で俺のことを見てくる。

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