第8話「声優同士が暮らすって楽でもあるけど、苦しくもある」

「初めての食事会デビューはどうだった?」


 夜食の準備を放り投げてしまった十色さんに代わって、ダイニングテーブルの上にお茶漬けやおにぎりを並べる。

 大翔ひろとはおにぎりが出てくるのを待っていたらしく、俺に話題を振るのと同時におにぎりの乗っていた皿へと手を伸ばした。


「楽しかったけど……疲れた。正直」

「それにしては上機嫌って感じの顔だよ、和生かずきくん」


 笹田ささださんの相手役を担当することなんて一旦は端に置いておきたい話題のはずなのに、喜びの感情を隠せなくなってしまっている自分にがっかりする。

 失恋相手の恋人役を担当で着て嬉しいとか、そんなことを思うなんて異常だ。


「そんなに俺って、顔に出やすい?」

「和生くんは、多分素直なんだと思うよ」

「ありがとう?」

「なんで疑問系」


 こじれてしまった関係を修復したいと思っていたって、一度こじれてしまったものなんて修復しない方がいいに決まっている。


「和生くんは声優なんだから、感情表現豊かな方が得じゃない?」

「楽しんでるだろ?」

「いやー、森村荘に住んでいるとネタが尽きなくていいよねー」

「大翔! ネタにすんなよ! 頼むから!」


 俺が笹田結奈ささだゆいなさんと知り合いという関係に発展できたことに喜びを感じていたって、肝心の笹田さんは俺のことは一切覚えていない。

 笹田結奈さんを見返すための気力が生まれてくるのはいいけど、いつかの再来が起きてしまったらってことを考えると、さすがの俺でも怖くなってくる。


「先輩の女性声優さんたちと、あんなハプニングやこんなハプニングがあったりしたら教えてほしいな~」

「俺なんかより、大翔の方が打ち上げとかの経験回数が多いだろ」

「俺、そういう場では大きな猫をかぶっているから」


 自分で自分のことを猫かぶりだと自覚しているってところは、ある意味かっこいい生き方をしているのかもしれない。

 世渡り上手というか、この業界で食べていくための知恵というか。


「俺も打ち上げに呼んでもらえるくらい仕事したい……」

「真面目だね」


 俺のことを褒めているようで、肩をゆったりと下げて、どうでもよさそうな態度をとる大翔。


「だって、こういうところでコネは生まれるんじゃん!」

「俺は打ち上げに参加するくらいなら、その分、仕事をしたい」


 大翔は十色といろさんが作ったおにぎりを口に含みながら、何かの台本を読み進めていく。

 食べ物を口にしながらも、こうしてきちんと会話もしている。更に台本を読み込む作業にも手を抜かない。彼の頭の中は、今日も休み知らず。


「大翔と共演できるようになりたいなー……」

「あはは、気持ち悪いけど、そう言ってもらえるのは嬉しいよ」


 食事中に仕事をするのは行儀が悪いって言う人もいるだろうけど、大翔からすれば食べ物を口にする時間すら惜しいということ。


「いつ仕事がなくなっても可笑しくない世界だからね」


 大翔にとっては台本を読むことを休んでまで、食事をする必要はないということなのだと思う。

 だけど、休まなかったら休まないでいずれ体は使い物にならなくなってしまう。

 食事をしなかったらしなかったで、生きていくことさえできなくなる。

 必要最低限だけ休んで、あとは延々と芝居のことを考えていたい。同い年の彼は出会ったときから、そんな姿勢を崩さない。


「声優志望者の多さには驚かされるよなー……本当に……」

「和くんの影が薄くなっていくねぇ」


 俺の思考が暗くなっていきそうになると、十色さんが明るい声を発して俺のことを元気づけようとしてくれる。


「ひま咲かの主人公とヒロインを託したいのに、そんなんだと託せるものも託せなくなるんだけど」

「嘘っ! ひま咲かって、あのひま咲か?」


 エロゲーを中心に活躍している十色さんは、まるで宝物を発見したときのように輝きに満ちた表情で関心を示してきた。


「和生くんが主人公のボイスと、笹田さんが産休の方の代理を務めるって発表があったんですよ」

「あー……それはちょっと荷が重いわねぇ」


 大翔が振ってきた話題に十色さんが乗っかると、恐らく話は留まることを知らなくなる。

 俺は笹田結奈さんに関わる話をなるべく避けたいけれど、この二人はまるで俺の元恋心すべてを悟っているかのように会話を進めていく。


「森村荘からカップルが誕生かぁ」

「十色さん、違います……。全年齢で出す音声ドラマの仕事です……」


 あー、ヤバい。

 十色さんがからかっているって分かっていても、そのからかいの材料となっているすべてが嬉しすぎる。

 笹田結奈さんへの元恋心を悟られてはいけない状況だというのに、顔が自然と綻んでいきそうで非常に困る。


「主人公役を新人声優にしたんだねぇ」

「新人声優が主人公の音声ドラマなんて、どこに需要があるって感じですけどね」


 大翔が酷いことを言っているかのように感じる、この場面。

 だけど、俺は落ち込むことも何することもなく、淡々と現実を受け入れた。


「だよなー……。下手くそだって叩かれるのがオチだよなー……」

「収録はまだなんでしょ? 大丈夫、希望はあると思うよぉ」


 十色さんが一生懸命励ましてくれるけれど、人気作品の主人公を務めるのが俺って時点で世間がどう騒いでいるか想像ができてしまう。

 それくらい、大人気作品の『ひま咲か』に、自分は出演することになったということ。


「俺は、俺に与えられた役の人生をまっとうするだけ……」


 アイドル業界を舞台にしたゲームが大量生産されている昨今、キャラクターの数だけ新人声優がいると言っても過言ではないくらい新人声優戦国時代。


「ひま咲かユーザーのみなさんの信頼を裏切らない芝居……頑張ってきます」


 出演しているアイドルゲームくらいしか仕事がないのに、芝居が上手くなるはずもない。芝居の経験値が上昇するわけがない。

 そんな人たちで溢れ返っている若手声優業界だから、世間の誰もが、新人声優には期待をしていない。


「あー、もう! 和くんはかっこいいなぁー! 将来有望の和くんが主人公をやれば、ひま咲かは安泰だよぉ~」


 笹田結奈を見返すために、声の役者を続けるって決めた。

 いつまでも作品を支持してくれている方々の期待を裏切っていたら、俺は声優業界に必要とされなくなってしまう。

 だから、一日でも早く信頼というものを勝ち取りにいかないといけない。

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