第5話「元想い人の相手役を務めることになりました」

「すみません、俺どこでお会いしたか覚えていなくて」

「あ、お会いするのは初めてですよー」


 アイドル声優を思い起こすような可愛らしい特徴的な声をしていても、どこの誰かは存じ上げず。

 大きな薄い桃色のリボンで髪をまとめているその女性は、ぱっちりした瞳で俺を見た。


きらカノの原作じゃなくて、イラストの方を担当している甘塚陽菜里あまつかひなりですっ!」


 嫌カノ。

 嫌いなカノジョを好きになる三つの法則。

 ライトノベルが原作のそのアニメに、俺はモブキャラクターの声で参加させてもらっている。

 原作者の先生はスタジオに来たことあるけど、イラストレーターの方にお会いするのは初めてだった。


「ヴォイクス所属の本田坂和生ほんださかかずきです。お会いしたことないのに、何で俺のこと知って……」


 養成所に通っている身分ではあるものの、名前のないキャラクターの声を何度か担当させてもらっている。

 春には、名前のあるキャラクターでのアニメ出演も決まっている。

 だけど、まだデビューして間もない。

 お会いしたことのない方に名前を覚えてもらえているほど、自分に知名度があるわけがない。


「今後、同人ゲームの音声ドラマを配信するんですよー」

「あ、えっと……『君を失った世界で、もう一度向日葵の花を咲かせよう』、通称『ひま咲か』って作品」


 笹田結奈ささだゆいなさんからのアシストを受けて、数日前にマネージャーと話した内容を思いだす。

 世界は広いようで狭いというのは本当だった。

 収録終わりの食事会の場所で笹田結奈さんに会ったのはもちろんのこと、初めて主役を務める作品の製作者さんにこんなところで会えるなんて。


「こっちの、だらしなく酔いつぶれているおじさ……戸辺とべさんは、音楽担当なんですよ」


 ネットで作品を検索したとき、音楽だけでも泣けるって評判があったことを思い出す。

 炭酸飲料で酔い潰れていたって、人は見かけによらない。

 それは、この戸辺さんのためにある言葉だと思った。


「で、こちらの可愛い可愛い笹田結奈さんは、産休で作品に参加できなくなった声優さんの代理を務めてもらうことになりました!」


橘柚花たちばなゆのかさんの代わりを務める、アテンドプロモーション所属の笹田結奈です」


 あまりにも笹田結奈さんが深々とお辞儀をするものだから、俺も一緒になってお辞儀をした。

 高校時代の俺が今の状況を見たら、そりゃあもう見事なくらい感動に打ちひしがれていることだろう。


「本田坂さんに演じていただいた、嫌カノ第一話の学生Aくん! 本気の本気で良かったです!」


 嫌カノ第一巻に登場する学生Aは、学生Aってレベルじゃないほど強烈な印象を残して去っていく。

 原作ファンからの期待が高すぎると言われていた、その役を演じさせてもらったのはほかの誰でもなく俺だった。


「あれ、個性が強すぎてアニメ化で抹消されるかなーとか原作の先生と話していたんですよ」


 オーディションのときに受けたのはまったく別の役で、そっちの方は残念ながら落ちてしまった。

だけど、本命を落ちたおかげで、俺は新しい縁というものを手に入れた。


「めっちゃくちゃ良かったです! あれがなかったら、今回主人公に指名しませんでしたもん!」

「ありがとうございます!」


 縁って、本当に巡るものなんだなって思った。

 収録スタジオに原作に携わっている先生方は顔を見せてくれなかったから、アニメ化自体期待されていないと思い込んでいた。でも、ちゃんと努力した分、ちゃんとしたものが返ってくるんだってことを、甘塚さんから教えてもらう。


「出演を決めてくれてありがとうございますねー」

「いえ、こちらこそ起用もらえて、本当に感謝して……」

「どうかしましたかー?」


 何かが、心に引っかかる。

 何か重要なことを忘れているような気がする。


「確か、純愛が売りの作品でしたよね」

「小説業界だと、ライト文芸っぽい作風となってますね!」


 あれ? と思うのも無理はない。

 だって、隣に並ぶ笹田結奈さんには大きな欠点がある。

 笹田結奈オタクなら、誰もが知っているだろう大きな欠点が。 

 

「オタク層をターゲットにした純愛ものは流行らないと言われている、この時代で! ありがたくもヒットしちゃったのですよね~」


 笹田結奈さんが、どんな作品に出演したとしても俺には関係ない。

 作品の中身で幻滅するとか、何がなんでもあり得ない。

 でも、人気声優の笹田結奈さんが、純愛を売りにした作品に出演するという点には引っかかる。

 元ファンだからこそ、非常に引っかかる。


「あの……笹田さん……純愛ものの作品には……」

「和生くん! 良い作品になるように頑張りましょうね!」


 頑張りましょうね、と意気込んだ彼女の頬は赤く染まっていた。

 頑張りましょうねという意気込みと、笹田結奈さんの表情は一致していない。


「あの……頑張りますは頑張りますけど! 笹田さんは棒読……」

「よろしくお願いしますっ」


 俺が大好きすぎる、その笑顔。

 満面の笑みで、それ以上何か喋ったら許さねーぞ的なオーラを放つ笹田さん……。


「こちらこそ……宜しくお願いします」


 俺が大好きだった声優の笹田結奈さん。

 ラブコメ作品に出演することはあるものの、純愛がテーマと言ってもいいような恋愛作品にはほとんど出演したことがない。


「久しぶりのメインヒロインで緊張しちゃってるんだけど……」

「いや……あの……いろいろとツッコミどころが……」

「優しくしてくれると嬉しいな」

「…………」


 なぜなら笹田結奈さんは、ラブコメ以外の恋愛物では開いた口が塞がらなくなるほどの棒読みになってしまうという欠点がある。

 そんな彼女の相手役を、俺が務めることに……なった?


「ではでは~、本田坂さん、またねでーす」

「じゃあ、また後でね。和生くん」


 笹田結奈さん恋をしていた身としては、非っ常に複雑な現実を迎えることになった。

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