第2話「現役高校生、声優やってます」
「おーい、
声優の
そして、新人声優としてデビューして半年。
先輩方との食事会に誘ってもらっていた。
「もちろんです……って、相崎さん! 俺が注ぎます! 俺の仕事です! 俺がやります!」
未成年が多い現場だったこともあって、スタッフさんたちの計らいでアルコールを取り扱っていない店で食事会。
先輩たちとの食事会というものが初めてだから、起こるすべての出来事にいっぱいいっぱいで頭がぼーっとしていた。
「すみません、気が利かなくて」
「酒の席じゃないんだから、そこまで気にしなくてもいいんだって」
高校一年の頃の苦い記憶にまで飛ぶなんて、もしかすると自分が思っている以上に場の空気に酔ってしまったのかもしれない。誰もアルコール飲料は飲んでいないけど。
「いえ、俺は新人ですから」
「本田坂くんがいてくれて助かってるよ」
プロの声優が活躍する現場に立ったら、自分の年齢は関係なく社会人の仲間入りをしなければいけない。
そんな風にマネージャーから指導されてはいるものの、突然大人の振る舞いをしろとか言われても高校生の自分にはなかなか難しい。
成人年齢を引き下げたところで、いきなり大人の世界に心を合わせることなんてできないんだって政治家たちに申してやりたい。
「でも、なんて言うか難しいですね、食事の席って」
「ん?」
「気を遣いすぎても、ご飯が不味くなるのかなとか思ったりも……」
「でも、本田坂くんが気を遣ったおかげで、ほら。あっちの方」
先輩声優の相崎さんが示す方向を見ると、さっきまで俺が飲み物を注ぎに回っていたテーブルは大盛り上がりだった。そりゃもう、楽しそうな食事の席だった。
「あーいう場に、率先して入ってきた方がいいよ」
「勇気が出ないです! まだ勇気が出ないです!」
「あはははっ、そんなことをやってると、次々に若手に追い抜かれちゃうよー」
「うっ……」
大人の世界。
成人年齢が十八歳になったところで、高校生が大人に混ざるには学ぶことが多すぎて辛い。
「って、大丈夫ですか?」
「来年の春アニメで、主人公のライバル役やるんだってね~」
酔っ払い。
いやいや! この店はアルコール飲料を取り扱っていない。
さっきまでスタジオで凛とした演技を魅せてくれていたはずの先輩は、なぜか酔い潰れてしまっている。一体、この先輩の身に何が起きた?
「おめでと~」
事務所が同じの先輩声優、
どうして酔ってしまっているのか分からないですし、その勢いで俺にもたれ掛かってくるとか、瀬長さんのキャラではない。
「これで、我が事務所も安泰だよ! 安泰っ!」
「瀬川さん! 盛りすぎです!」
「デビューして半年で、主人公のライバルポジションなんてあり得ないもんっ! まだまだ下積みしなきいけない時期を、和生くんはパパ~ッと乗り越えて行っちゃったんだよ!」
食事の席。
こうも人を変えてしまうものとは恐ろしい。
「あったかいね~、和生くん~、ふふふ」
俺にもたれ掛かるだけでは、気が納まらなかったらしい。
「頑張って、うちの事務所を盛り上げていこうねー……」
「いや、あの! 瀬長さんっ!」
次は、俺の膝を使って膝枕。
男が膝枕をしたところで、枕が硬すぎて体も休まらないはず。
「瀬長さん! 瀬長さっ、ちょっ!」
先輩声優の、それもさっきまで普通に共演していた女性声優の胸が当たっているこの状況。
喜んでいる暇なんて一切あるはずがなくてって言いたいけど、この食事の席での誘惑っていう独特の空気に飲まれそうになっている自分がいることも自覚している。
だけど、打ち上げで先輩声優と何かあったとか。新人声優の俺にとって、あってはならない。
「和生くんはぁ、今日、楽しかったぁ?」
「楽しかったです! 凄く楽しかったです! けど!」
瀬長さんの柔らかくて、先輩声優だってことを忘れさせる女性ならではの体つきで、ますます俺に密着してくる。
「熊野さん、やっぱ代わってもらっていいですか」
「あはは、そうね。これ以上、愛がくっついたら本気でセクハラになっちゃ……」
「俺、膝かけ借りてきます。あと、水とか冷たいおしぼりとか!」
瀬長さんの衣服を緩めるのはさすがに躊躇われたので、介抱役を女性二人に頼んで一旦この場を抜ける。
「はぁー……」
冷たいおしぼりで炭酸酔いが覚めるかは分からないけれど、思い付く限りのクールダウン策を浮かべてみよう。このままではいろんな意味で身が持たない。
「女の人って狡いなぁ……」
零れる独り言。
女の人みんなが狡いってわけじゃないし、男だって決して褒められた生き物ではないけれど。
(女の人って、男が随分と単純な生き物だってことを分かってなさすぎ)
男を勘違いさせるようなことも、しないでほしい。
恋愛感情がないんだったら、尚更。
恋愛感情がないんだったら、必要以上に笑いかけないでほしい。
(男を勘違いさせるようなこと、言わないでほしい……)
男っていう生き物は単純だから。
ちょっとの優しさ、ちょっとの笑顔がきっかけで恋が始まる。
(今度からは、もっと周囲に気を遣おう)
初めての食事会に浮かれていたけれど、いきなり上手くコミュニケーションをとることはできない。
上手く世間を渡っていく人たちもいるけど、俺にとっては難易度が高い付き合い方。
だから食事の席で、闇のオタク時代を過ごしてきたことを思い出してしまったのかもしれない。
(こんなところで、へこんでられない……)
子どもでいられたときを楽だとも思うけれど、早く大人にならないと俺は目標を達成することができない。
高校三年は甘えてもいい年齢かもしれないけど、声優として仕事をさせてもらっている以上は子どものフリはできない。
「すみません、膝かけを借りることってできますか?」
「はい! 大丈夫ですよ。ただいまお持ちしますね」
高校一年のときの想い人である、声優の笹田結奈さん。
初めて彼女の演技を耳にしたのは、彼女が声優としてデビューを決めた『空に届くシーフロント』というアニメーションだった。
一瞬にして彼女の芝居の虜になってしまった俺は、笹田結奈さんに関する情報を集めに集めまくった。
ベタな出会い方だなーと思わなくもないけれど、その出会いがすべてだった。
「あと、可能だったら冷たいおしぼりと水もお願いします……。本当にすみません」
笹田結奈さんはとにかく良い人で、とにかく優しい雰囲気が伝わってくる喋りで、笑顔が可愛くて。
イベントでMCの人が笹田さんに話題を振ったときに見せてくれる、あの嬉しそうな笑み。
心から作品とキャラクターのことを愛している彼女を見ていて、惚れない男がいたら可笑しいと思う。
それだけ、作品のファンに見せてくれる笑顔に心惹かれていた。
「水はお部屋にお持ちしますね」
「ありがとうございます、お願いします」
自分の恋心と、自分のオタク心を傷つけられたあの日。
声優の笹田結奈さんを見返すために何ができるかと考えた結果、声優として笹田結奈よりも売れてやる。
彼女よりも有名になって、彼女のことを見返してやる。
彼女への復讐から始まった声優人生だったけど、現在の俺は既に声優デビューを果たしている新人声優。
更に春からは、メインに等しい役でのアニメーション出演が決まっているという奇跡的な展開を迎えている。
(しっかりしろ! 俺! 俺は、笹田結奈さんを見返すって決めたんだから!)
これから先輩やスタッフの皆さんがいる部屋に戻ると言うのに、暗い顔も落ち込んだ顔も見せられない。
(嫌われたら、声優業界では生きていけない……)
嫌われるような素振りを見せたら、絶対に干される。
新人声優なんて、そんな脆い存在。
(今はプロの顔、プロの顔! 落ち込むのは帰ってからだ!)
慣れない仕事と睡眠不足のせいで、ちょっと感傷的になってしまった。
俺は人気声優になって、笹田結奈さんよりも稼ぎまくる。
そして、あのとき気持ち悪いと暴言を吐かれたオタクは、笹田さんより稼ぎのある声優になったんだって、彼女を見返してみせる。
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