エピローグ-②

 そう呼びかけると、死体が一気に炭化した。真珠とタイガーアイも、弾けるように次々と割れる。身構える一行の前で黒い粒子がひとりでに動き出した。

 意思を持つかのように粒子が宙に集まり、少しずつ質量を得て形が作られる。

「人聞きが悪いな、竜の子よ」

 暗雲の中で轟く雷鳴のような声がした。煙の向こうから現れたのは、黒く艶やかな牛の体。その背には猛禽類の翼が一対。白磁のような角が高く伸び、金色の瞳が五人を捉える。

 知恵と錬金術の悪魔ハーゲンティだった。

「死体の前でどのような言葉を交わすか、調査していただけだ」

「物は言いようですね」

 パスカルは毒づく。

「で、愚王の中は居心地が良かったんですか?」

「悪くはなかったな。我の予想を超える行動で幾度も楽しませてくれた」

 兄妹の予想がおおむね当たってしまった。頭を抱えたい衝動をこらえ、パスカルはなんとか頬を引きつらせる程度に留める。

「……では、満足いただけたようなので、そろそろ魔力の返還、そして楔を外す準備に取り掛かります」

「よかろう」

 ハーゲンティも鷹揚に頷いた。

 楔。それは魔女が悪魔を召喚した際、竜族の殲滅が叶うまで彼らをこの世に縛る強固な契約。作戦の成功に加え、特定の呪文がなければ冥府への帰還が叶わない二重の安全策だ。そのせいで悪魔たちはこの世に留まり続け、ほとんどが真鍮の瓶の中で眠り続けている。

「グラウ、いいかい?」

「うん」

 振り返ったパスカルにグラウが頷く。

 エデルガルトへの初手でほとんど使ってしまったが、魔力が完全になくなったわけではない。

 ハーゲンティは目の前に立つ子どもに対し、にたりと口を歪めた。

「良いのか? 我の力があれば、そこの竜たちと互角に渡り合えるぞ。貴様には魔法の才能がある。悠久の時の中、それを花開かせるなら、我の力を譲ってやっても良いが?」

「いらない」

 グラウは断言した。

「これは人間には過ぎた力だ」

「……そうか」

 ハーゲンティの目がすっと細められる。

「惜しいな。ああ、実に惜しい」

 口で言うのとは裏腹に、その目はまるで親が子を慈しむかのようだった。

「では、魔力を返してもらうぞ。他の者は下がれ」

 パスカルたちが言われた通りに離れると、グラウとハーゲンティ、それぞれの上下に魔法陣が展開された。八つの円環が互い違いに動く。

 グラウは目を閉じて魔力の流れに意識を向けた。魔力は底を尽きかけているが、まだ小川程度には感じられる。それが魔方陣を通じて抜けていき、ハーゲンティへと収束していく。

 それは外からも知覚できるほどの濃さだった。

 グラウの頭上にある魔方陣からハーゲンティの頭上にあるものへ、光の糸が束になって流れていく。

 同時に、グラウの髪色がどんどん明るくなっていった。夕焼けのように赤かったのが、赤髪と呼べるほど明るい茶色へと変わる。

 やがて毛先まで色が変わると、光の束も魔方陣も消滅した。

 がくん、と重力に従ってグラウの体が落ちる。

「「「「グラウっ!」」」」

 呆然と見ていたパスカルたちが同時に動いた。崩れ落ちたグラウをディートリヒが支える。いくらか明るくなった青い瞳が、ぼんやりと地面を見つめていた。

「おいグラウ、大丈夫かっ⁉」

 ディートリヒが体を揺すって呼びかけると、グラウは眠そうに呻く。

「う~……。なんか、ふわふわする」

「我の魔力がその身の大半を占めていたからな。貧血のようなものだ」

 ハーゲンティがそう答え、次いでパスカルを見た。

「さて、これで我の魔力は満たされた。そろそろ楔を外してもらおうか」

「ええ。みんなはちょっと離れてて」

 グラウを抱えた彼らを再び下がらせ、今度はパスカルが前に出る。

「他の同胞もきちんと還すのだぞ」

「もちろん、承知しておりますよ」

 最後に釘を刺されて、パスカルは苦笑する。

 ハーゲンティがこうべを垂れ、パスカルがそこに手をかざす。

 手の平から魔力が溢れる。その余波がパスカルの銀の髪を揺らした。

「――ウオイス、オヒア、コクィズナニ、ロイバスキセラ、タグイニイトノ、コイジアケ、チネロカフカ、イエク」

 聞き慣れない言葉に四人は顔を見合わせる。

 それは、この世の言語ではない。親から子に伝わった冥府の言葉だった。

 ハーゲンティとパスカルの間に交差する鎖が浮かび上がる。一瞬ののち、音を立てて鎖が弾け飛んだ。

「――契約は果たされた」

 ハーゲンティがゆっくりと目を開ける。

「同胞の帰還を待っているぞ」

 その言葉を最後に、悪魔ハーゲンティは羽ばたきを残して消えてしまった。

 舞い散る羽が灰のように消えていくのを最後まで見送って、パスカルは振り返る。

「お待たせ。……帰ろうか」

 誰からともなく頷き、パスカルが起こした風に乗った。

 グラウはディートリヒに支えられながら、眠そうな顔であたりを見回す。

「どうしたんだ? グラウ」

「んー……。なんでもない」

 ゆるく首を振る。

(最後に、お礼くらい言いたかったな)

 今際の際でしか会えなかった、黒いローブとしゃれこうべの知人。何度も折れそうになったグラウの心を繋ぎ合わせ、復讐の時まで傍にいてくれた人たち。

 きちんと感謝を伝えられるのは、今度こそグラウが天寿を全うした後だろう。

(それまで覚えていてくれるといいな)

 体が結界に包まれる。パスカルの風に導かれ、夜でも構わず色を変える霧が迫る。

 誰も振り返ることなく、屍竜山脈の向こうへと消えていく。

 それを見送るしゃれこうべの存在に気付く者は、ついぞいなかった。

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