エピローグ-①

 地上に叩き付けられたエデルガルトの死体は、見るも無惨に潰れていた。

 無事なパーツを探す方が難しいほど、全身があらぬ方向へ折れている。最初に衝突した牛の体は特に原形を留めていなかった。あたりに散らばる真珠とタイガーアイも、血の海で赤く染まっている。

「う……ヴェッ」

 マーガレットたちと共に駆け付けたリリィが、その姿に耐えられず吐いた。その背中をさすってやりながら、ディートリヒたちも吐きそうな顔で目を背ける。

「わーお。えぐいね」

「そりゃあ、あの高さから落ちたからな。死んでない方がおかしい」

 ゆっくりと降りてきたパスカルがハイテンションで笑う。彼の脇に抱えられているグラウは、ぐったりとしていてされるがままだ。

「グラウ!」

 その姿を確認すると、三人はわっと駆け寄った。

「大丈夫だった⁉」

「痛いところねえか⁉」

「ああ、うん……。腕とか肩がちょっと……」

「やだ、血が出てるじゃない! 父さん、兄さん、水出して! 止血!」

 右手の怪我に気付いたマーガレットが指示を出す。

「顔色悪いけど、あとは本当に大丈夫か?」

「うん。……あーでも、今頃になって眩暈がしてる」

「気が抜けたんだろうな。肩貸してやるから、ちょっと楽にしとけ」

「うん」

 下ろされてすぐ、もたれるようにしてパスカルの肩を借りた。体力と同様、魔力の回復には最短でも一日はかかる。先ほどまで強い興奮状態にあったから、体が無理にでも動いてくれたのだろう。

 ちなみに顔色が悪いのは、魔力切れに加えて女王の死体をばっちり見てしまったから。それを言うとまた大騒ぎしそうなので言わなかった。

 深く、長いため息が零れ落ちる。

「……やっと、自由になれる」

 女王は死んだ。もうグラウを追い求める者はいない。村に帰っても、来るかもしれない刺客に怯える心配がなくなる。

「そうだね」

 球状の水で血だらけの手を包み込んだまま、パスカルはその頭を優しく撫でた。

「よく頑張った。お疲れ、グラウ」

 ゆっくりと、グラウの首が縦に振られた。

 マーガレット主導で止血作業が行われる中、おもむろにリリィがグラウに近付く。

「……グラウ」

「ん? わっ」

 ふらふらとした足取りで彼の前に立ったかと思うと、緩慢な動作で抱き着いた。心臓の音が二つ、似た場所でリズムを刻む。

「……生きてる?」

「生きてる」

「ほんとに?」

「本当」

「…………よかったぁ」

 回す腕に力が籠る。気の抜けるような、暖かい声だった。

「グラウが攫われたって聞いた時、死んじゃうかもって思った」

「別にリリィが心配するようなことじゃないだろ?」

 久々に死にかけていたことは口にせず、反論する。

「するよ!」

 リリィが勢いよく顔を上げた。目に張られた透明な膜が揺れる。

「死んだらどうしようって、まだ言いたいことあるのにって。これ以上、もう、死んでほしくないのに……!」

 瞬きの拍子に大粒の涙が流れ落ちる。グラウは不服そうに唇を尖らせた。

「……今までだって、死にたくて死んだことは一度もねえっての」

「じゃあ、その首の傷はどう説明するんだ?」

 パスカルに指摘され、グラウはとっさに左手でそこを隠した。エデルガルトが同化のために首を絞めてきたのだ。手の形の痣があっても不思議ではない。

 リリィとディートリヒがきょとんと瞬いた。

「え、どういうこと?」

「首になんかあった?」

「え、っと……」

「なに、また首を絞められたの? ……いえ、もしかして取り込まれかけた?」

「そうなの⁉」

 マーガレットの鋭い指摘に、リリィが噛み付く。そこでグラウはようやく鎌をかけられたことに気付いた。

「師匠っ!」

 グラウが睨むと、パスカルは眉間にしわを寄せてため息をついた。

「魔力の尽きたお前がどうやって女王を斃すのか考えたら、あいつの中にある悪魔の魔力を利用するだろうなって。女王が僕らの隠れ場所を見つけたのが本能にしろ偶然にしろ、あのままだと本当に死ぬところだったんだからな?」

「いや……うー……」

 実際、渡し守に突き返されていなければ、グラウはあのままエデルガルトと同化していたかもしれない。それだけ危ない橋を渡っていた自覚があるだけに、強く言えなかった。

「やっぱり死にそうになってたんじゃん! 馬鹿馬鹿馬鹿ぁー!」

 リリィがぽかすかとグラウを叩く。その一撃一撃は、ぬいぐるみを押し付けたかのような強さだ。この中で一番重傷だから手加減しているとわかる分、グラウも抵抗できなかった。

 その手が、不意に止まる。中途半端なところで停止した手が、力を失ったようにだらりと落ちた。

「……もう、誰かが死ぬのを見るのは嫌なの」

 身近な人も、よく知らない人も、たくさん死んだ。一生のうちに見るはずだったものよりはるかに多い死は、自分自身の命すら軽くなってしまいそうな怖さをはらんでいた。

 自分が死ねない呪いを受けているなら、なおのこと。

「ねえ、だから、もう死なないで」

 グラウの目を見てリリィは言った。傲慢なのはわかっている。人はいずれ死ぬけれど、これ以上彼が傷つき心身を殺すのも見たくなかった。

 空色の目にじっと見つめられ、グラウは居心地悪そうに目を逸らす。

 空いている左手が、ゆっくりとリリィに向けて伸ばされた。

「俺の生死を勝手に決めんじゃねえ」

 ばちこーん、と音が出そうなほど強烈なデコピンが炸裂する。左手だから余計に加減ができない。

 リリィが悲鳴を上げた。

「ぃいったあ⁉ なにすんのよ⁉」

「うるせー。口出しすんな、ばーか」

「馬鹿って言った方が馬鹿なんですぅー!」

「最初に馬鹿っつったのはそっちだろうが」

「はいはい、ほら、手当終わったわよ」

 言い争う二人をマーガレットが止める。血まみれだった右手は、きれいさっぱり元に戻っていた。軽く手を握って開いてみても、違和感や引っ掛かりはない。

「ありがとう、マーガレット」

「当然よ。まあ、念のため一日は安静にね」

「はーい」

「なら、今度はこちらかな」

 ディートリヒたちにグラウを預け、パスカルが女王の死体に歩み出る。

「盗み聞きなんて、趣味が悪いんじゃないですか? ハーゲンティ殿」

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