2話-③:日本の外交官

「貴国が主導してこの薬剤を管理するのであれば、その管理体制が国際的な信頼を得るために、どのような具体的な措置が取られる予定なのでしょうか? 薬剤の軍事利用を避けるために、どのようなガイドラインを設定されるおつもりですか?」


 鈴木局長はエイダに微笑みかけた。エイダの問いは、まさに核心をつくものであり、答えるべき質問だ。管理体制(生産体制と派生する利用態勢)と軍事利用に軍人である自分が触れることで具体的な情報を得られるかもしれない、そういう狙いだった。


「非常に重要なご質問ですね。 日本としては、まず国内での法的枠組みを強化し、薬剤の利用範囲を厳格に制限します。 さらに、IMSCとの連携と査察団の受け入れを視野に入れながら、平和的な目的にのみ使用されることを保証するための透明性を確保を目指します。 そして日本の法的枠組みをモデルにしながら国際的なガイドラインを整備していく予定です。 私たちは、マナシンクロナイザーが誤って悪用されることのないよう、万全の対策を講じるつもりです」


 現段階では非の打ちどころのない回答に思える。効果、副作用が証明されきっていない薬剤の治験や運用を自国内のみで行い、運用モデルを確立した上で国際的な展開を図る動きは責任ある主権国家としては当然の振る舞いのように思えたからだ。その上、国際的な監視を受け入れる意思があるという万全の姿勢だ。


 グレイヴス次官にとっては、この会談の流れは日本にとって有利に進んでいるように感じられていることだろう。なにせ、アメリカ以外の国や国連を除外して初期運用の段階から一枚噛むことができれば、マナシンクロナイザーの独占、その実現が現実味を帯びてくるが、今のところはうまくかわされてしまっているからだ。


 エイダの任務はあくまで情報収集だ。しかし情報とは単に集めれば良いわけではなく、目的のために集めるものだ。米日同盟を維持しつつ、マナシンクロナイザーの獲得に必要な情報の収集、それがエイダのマンデートだった(グレイヴス次官の意図には沿わなそうだが)。しかし、このままではエイダの上司であるコールマン大佐(ひいては国防総省)として適切な判断を下すための情報は出てこなそうに思える。何か一歩踏み出す必要があった。


 エイダは、戦場における国際法を除いて、法的な知識はあまり得意ではない。現在勉強中だが、日本の法関係だけは、ここ数年の動きを頭に叩き込んできた。自信はないが、腹をくくってまずはこの点から攻めてみよう。


「貴国では、一年ほど前に、憲法九条の修正を行ったと記憶しています。 具体的には、『前項の目的を達するため、陸海空魔法軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない』の部分を削除したと認識していますが、間違いはなかったでしょうか」


 エイダは意識的に微笑みを維持し、表面的な自信を装う。国家の主権侵害を問われかねない微妙な議論を、不確かな知識で展開しようとする自身のクソ度胸に驚いた。


 正直内心はヒヤヒヤなのだが、鈴木局長は、「ええ、認識に間違いありません」と簡潔に答える、こちらに発言が回ってきた。


「ありがとうございます。 この項目は、貴国では、『自衛のための必要最小限度の戦力しか保持しない』という解釈がなされていたかと思います。 この項目を削除したことと、マナシンクロナイザーは、何か関係があるのでしょうか?」


 憲法改正は、マナシンクロナイザーによる自衛隊強化を行うための布石だったのではないかと匂わせる。鈴木局長はニコニコしながらずっとこちらの話を聞いている。


「良いご質問ですね。 日本のことをよく知ってくださってとても嬉しく思います」


 とりあえず自分の勉強不足を露呈せずに済んだものの、鈴木局長の真意を測りかねる。この読めなさこそが、今の自分に欠けているものなのかもしれないと考えているところで、鈴木局長は話を続けた。


「それでは、質問に質問で返して恐縮ですが、『必要最小限度の戦力』とは、いったい何に対しての『必要最小限度』と言っているのでしょうか?」


 回答を待つ姿勢でいたら、質問が飛んできた。想定になかったやりとりに内心の焦りが急激に増していくのを感じる。


「それは、貴国と我が国で安全保障条約を締結している目的を考えれば自明でしょう。 すなわち、安全保障を議論する上で対象となる仮想敵国、中国やロシア、北朝鮮といった国に対する『必要最小限度の戦力』と言えるでしょう」


 当たり前のことを言っただけかもしれないが、うまく回答できたのではないかと自分を褒めたい。しかし、鈴木局長に目を向けるとまったく笑みを崩していない。


「おっしゃる通りです、少佐。 しかし、少佐はいま複数の国を挙げられました。 すなわち『必要最小限度の戦力』というのは、どの国を敵国として対象とするのかによってその定義が変わる、曖昧な解釈の上に成り立っていた一文とも言えるのです」


 エイダはハッとする。これは知っているだけでは意味がない、理解して初めて意味があるというヤツだ。付け焼き刃の知識で得意げになっていた自分を消してしまいたい。見当違いな指摘はもう消せず、鈴木局長はなおも続ける。


「このような曖昧な憲法のままで、貴国を含めた国際関係上の安全保障の議論を続けたとしても、我が国は他国から見たときに信用に値する国ではないと考えられると長年懸念されていました。 憲法改正はこのような懸念を払しょくするためのものであり、むしろ貴国と力を合わせて東アジア地域の安定を強化するための一歩であったと受け取っていただければ幸いです」


 非常に筋が通っており、完璧な回答だ。先ほどまでのマナシンクロナイザーの解説と違い、エイダは今、鈴木局長に授業をされてしまった。


 このような場で、お勉強不足を指摘されてしまったような気分になり、恥ずかしい気持ちが湧いてくる。グレイヴス次官の方を見ると、彼もまた笑みを崩していないが、それが逆に不気味である。『やれやれ』と思われているに違いない。


 一時は、感情と状況の整合性が合わず、気持ち悪さを感じた感情調整魔法のありがたみを痛感してしまう。あれは作戦行動中のみにしか許可されない魔法なのだった……。


 エイダは深呼吸をして気持ちを落ち着ける。やってしまった失敗は仕方ない。どう挽回するかが重要なのだ。そう思いなおし、攻め手を変えるべく、恥ずかしさを打ち消すように思考をフル回転させた。


 要は、知識の浅い分野で勝負しなければいいのだ。最初からそうすればよかったと自省するが、エイダの専門である軍事の面でも難しいことには難しいのである。


 自分の不用意な発言は、アメリカ軍の見解として受け取られ、誤った印象を与えてしまう可能性があった。


 自分自身の立場とプロフェッショナルを意識して、今日はあくまで情報収集にとどめるべきだろうとは思うが、相手から情報を引き出すために、国防総省から派遣された諜報将校としてどのような情報を開示するべきか難しい。エイダは再度深呼吸をし、落ち着いた表情で鈴木局長に向き直った。


「ご丁寧な説明、誠にありがとうございます。 貴国が我が国と協力して地域の安定維持に多大な尽力を払っていることに、心より感謝申し上げます」


「ご理解いただけて幸いです、少佐」


「ミス鈴木、もう一点確認させてください。 マナシンクロナイザーの発表以来、中国軍機の日本領空侵犯が増えていることは、あなた方もご存じでしょう。 その点についてはどのようにお考えですか?」


「中国の動向については、我々も注意深く監視していますが、具体的な情報はまだ十分ではありません。 とはいえ他国の圧力に屈し、マナシンクロナイザーの扱いを変えることはないと言っておきましょう」


 中国の圧力はもちろんのこと、アメリカの圧力にも屈しませんよ、そう言っているように思えた。エイダの攻めに痺れを切らしたのだろうか、グレイヴス次官が鋭い声を発した。


「確かに、平和的な利用を前提にしているとのことですが、中国がマナシンクロナイザーをどう捉えるかが問題です。 彼らにとって軍事的な脅威と映れば、軍事的反応を招くことも視野に入れねばなりません。 我々としては、中国のこうした動きに対して、より強固な連携が必要だと考えますが、貴国のお考えは?」


「我々も中国の動きに警戒しています。 先ほども申し上げたように、貴国は最も重要なパートナーであり、同盟国だと認識しています。 ただ、今のところマナシンクロナイザーについては、独自の管理が最も現実的だと判断しています。 東アジア、引いては世界の安定のため、日本が主導的にその枠組みを築く必要があると考えています」


 一貫して独自管理の主張だ。鈴木局長の姿勢はまさに鉄壁ともいえるようなもので、何が彼女の自信となっているのか、はなはだ検討がつかない。いっそのこと、「日本がマナシンクロナイザーを譲ってくれるとしたら、何が必要ですか?」と聞ければ楽だが、あまりにも直接的すぎるだろう。下手に出すぎて足元を見られかねない。


 エイダは軍事面で意図を露骨に示すつもりはなかったが、少しだけ情報のカードを切ることにした。アメリカの偵察衛星が日本海で人民解放軍由来の魔法エネルギーの異常を観測しているという情報は、現在国防総省内の機密情報だ。しかし、その一部をほのめかすことで、反応を引き出せるかもしれない。人民解放軍由来とは言えないのだが。


「アメリカ軍の偵察活動の一部で、日本海で微弱ですが、人工的な魔法エネルギーの増加が観測されています。 特にこれもまた領空侵犯が増え始めた時期と一致しており、断定はできませんが、偶然ではない可能性を感じています」


 エイダはその言葉を投げかけ、鈴木局長の反応を観察した。断定こそ避けたが、注意を引くには効果的だったようだ。鈴木は一瞬、微かに眉を動かしたものの、すぐに実務的な表情に戻す。ようやく表情に変化が現れた。


「興味深い情報です、レヴィーン少佐。 その『微弱で人工的な魔法エネルギー』がどのような性質のものか、貴国では詳細を掴めているのでしょうか?」


「いえ、あくまで観測したということだけでして。 しかし場所が場所ですので、貴国と我が国で綿密な連携が必要ではないでしょうか?」


「申し訳ありませんが、その情報だけでは具体的な判断は難しいと思います。 ただし、我が国の自衛隊でも、日本海周辺での活動を常にモニタリングしていますので、もし具体的な脅威が確認された場合は、同盟国である貴国と適切な情報共有を行う用意があります」


「承知しました」


 食いついてこなかったか……。おそらくこれ以上粘っても今日はもう何も得られないだろう。グレイヴス次官のほうを見ると彼もまたこちらに目を合わせる。エイダが発言を終えると、部屋には一瞬沈黙が漂った。グレイヴス次官は視線をエイダから鈴木局長に戻し、ゆっくりと椅子に体を預けた。そしてやわらかな口調で締めくくる。


「本日の会談は非常に有意義でした。 マナシンクロナイザーの概要と、貴国の主張について理解が深まりました。 アメリカとしては、引き続き貴国との協力を重視していくつもりです」


「こちらこそ、グレイヴス次官、レヴィーン少佐、本日の議論は非常に有意義でした。 日本としても、今後とも貴国との協力関係を強化し、マナシンクロナイザーが平和的に利用されるための枠組みを共に構築していきたいと考えています」


 坂本も同様にうなずきながら、付け加える。


「技術の進展とともに、平和と安定を守るための責任を果たしていくことが重要です。 本日はその一歩となる有意義な議論ができたことを、非常に嬉しく思います」


 それぞれが軽く一礼し合い、会談は形式的に終結のムードを帯びた。グレイヴス次官が立ち上がり、鈴木局長と坂本に向かって再び握手のために手を差し出す。エイダも同様に立ち上がり、改めて鈴木局長と坂本に手を差し出した。


「ありがとうございました。 今後とも、よろしくお願いいたします」エイダは精一杯、実務的な微笑を作りつつ、しっかりと握手を交わしながら言った。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」鈴木局長はエイダよりもさらに実務的な微笑みを浮かべながら、礼儀正しく返してきた。


 グレイヴス次官とともに、日本の外交団が会議室を退室するのを見送りながらエイダは思った。


 勝手があまりにも違う、外交というところは。


 コミュニケーションの取り方が軍隊とは別世界であった。軍隊では、理不尽な命令であっても 威厳を持って受け入れ、それを実行に移すのが常である。意見の対立があっても、一度下された命令は絶対だ。ゆえに、命令は疑問の余地なく明確に下すことを旨とされる。あいまい、かつ解釈の余地が残る命令を下す指揮官は嫌われるし、そのことを上官に確認して明らかにすることができない士官もまた嫌われた。つまり責任回避する上司に命を預けられない、そういうことだった。


 しかし、この場の空気は明らかに異なっていた。下達された命令に対し、威厳と名誉を持って部下を率いる軍隊とは勝手が違いすぎる。自身の意図や狙いをあいまいにしつつ、しかし主張すべき箇所は主張する。 そして相手の出方を見ながら、自分の立場を少しずつ明確にしていく。これは軍人であるエイダにとって、まるで新しい戦場のようだった。言葉の一つ一つが武器となり、沈黙さえもが戦術となるのだ。そういう雰囲気がここにはあった。そう、ここは外交という戦場なのであった。


「色々ありましたが、本日はありがとうございました。 鈴木局長は意図が読めず、なかなか強敵のようですが、最低限の日本のスタンスはわかりましたね」会談の内容とは裏腹に、グレイヴス次官は少し意地悪く笑って言った。


「いえ、あまりお役に立てませんでしたので」


「十分でしたよ。 レヴィーン少佐は、この後のご予定は?」


「この後、すぐにペンタゴンに戻らなければならないのです」


「そうですか、この近くに美味しいコーヒーを出すカフェがあるので、良ければコーヒーでも、と思ったのですが、わかりました。 それでは、また別の機会にでも」


「はい、また別の機会に。 それでは失礼します」


 日本側がマナシンクロナイザーの管理を独自に進めようとしている限り、グレイヴス次官の思惑である、アメリカが主導権を握るための戦略はこれからさらに複雑になるだろう。


 恥ずかしい失敗をしつつもこの会談で得たマナシンクロナイザーの概要と日本のスタンスに関する情報は確実に役立つはずだという感触はある。それら以上の情報は得られなかったわけだが……。


 最低限の仕事はこなしたはずだという微かな達成感を感じつつ、同時に少しばかり嫌な予感も抱きながらエイダはゆっくりと会議室を後にした。

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