2話-①:日本の外交官

 廊下の先に本日の同席相手の執務室が見える。少し緊張しながらも、落ち着いた足取りで執務室に向かい、ドアをノックした。中から聞こえる「どうぞ」の声に促され、ゆっくりとドアを開けた。


「レヴィーン少佐ですね? 私はリチャード・グレイヴス、国務省、安全保障担当次官です」


 五十代後半だろうか。少しばかり皺の入った整った顔立ちに薄く銀色が混じった髪は短く整えられ、清潔感とともに完璧に仕立てられたスーツを身にまとい、仕草のひとつひとつに気品がある。


 彼は優しい声で挨拶しながら、執務室の奥へとエイダを招き右手を差し出してくる。エイダは軽く微笑みを浮かべ、彼の手をしっかりと握り返した。


「統合参謀本部所属『魔法参謀』、エイダ・レヴィーン少佐です。 お会いできて光栄です」


 グレイヴス次官はエイダの自己紹介を聞きながら、椅子を勧めてから彼自分も腰を下ろした。彼の口調は穏やかで、エイダに対して親しみやすい印象を与えていた一方で、目元はあまり笑っていない。


「こちらこそ、少佐。 かねてよりご活躍は伺っています。 今日は日本の担当者からマナシンクロナイザーについて詳しい説明を聞く予定です。 少佐のご経験を頼りにさせてください」


 グレイヴス次官は教師のようなやわらかい口調で語りかけてきた。


「かねがね、お話しする機会があればと願っていました。 この後の会談まで、まだ少し時間がありますので、軍と少佐の見解をお伺いさせていただけませんか?」


 グレイヴス次官が穏やかな口調とは対照的な視線を向けてくる。その眼差しには鋭い洞察が光り、エイダは即座に彼の意図を察する。表面的な準備だけではなく、エイダがこの技術の背景や政治的影響をどれだけ深く理解しているかを問うているのだ。


 彼が日本の外交官との会談を気にかけているだけでなく、外交武官として経験の浅い自分のことも見極めようとしていることを感じ取った。エイダは自然と背筋を伸ばし、グレイヴス次官の鋭い視線に応えるように、極力自信に満ちた表情を浮かべる。


「マナシンクロナイザーは間違いなく革新的です。 まず、魔法使いと非魔法使いの格差是正を目指せる可能性を持っている。 しかし、技術がどう応用されるか次第で、世界情勢を劇的に変える可能性もあります。 特にこれが軍事利用されれば、単なる技術革新では済まされないでしょう」


 言うまでもない前提ではあるが、地道に共通認識を作ることは重要だ。エイダは真剣な表情を作りつつ続ける。声が上ずっていないだろうか、少し心配になった。


「日本の外交官との会談は、アメリカの東アジア戦略にとって非常に重要な意味を持ちます。 米日安保条約の重要性は言うまでもありません。 日本との協調を抜きにして、我々アメリカの軍事プレゼンスを東アジアで発揮しえないことは、軍が一番よくわかっているところでもあります」


 日本列島を不沈空母として、東アジア地域におけるアメリカ軍の即応体制を維持することは、アメリカの安全保障戦略における重要な柱の一つだ。その意味において、日本との同盟関係を損なうことは避けなければならない。


「現在のところはその通りでしょうな」


「我々は、この技術がもたらす可能性を最大限に活かしつつ、同時にその潜在的なリスクを最小限に抑える方法を見出さなければなりません。 結論としては、日本との緊密な協力関係を築き、技術の共同開発や管理に関する明確な枠組みを構築することが不可欠だと考えます」


「少佐の懸念するリスクについてお伺いしても?」


「私自身が魔法軍に属する魔法使いであるため、よく知るところではあるのですが、魔法軍は基本的に少数ではあります。 しかし個人で見たときの魔法使いと非魔法使いの戦力差はあまりにも大きい。 その魔法使いの絶対数を増やす可能性のあるマナシンクロナイザーは脅威です。 一方でその脅威は大きな可能性とも言い換えられます」


「つまりは日本が単独で軍事力の強化を図る動きがリスクであると?」


「同時に、隣国の中国やロシアといった軍事強国の動向も考慮に入れる必要があります。 中国と小競り合いの絶えないインドも同様でしょう。 それら軍事強国が即座に過激な行動に移すことは考えづらいですが、圧力を高めてくる可能性はある。 一方で、彼らがこの技術を入手するため日本への接近を試みる可能性もある。 彼らがこの技術を入手すれば、地域の軍事バランスが一変する可能性があります。 そのため、日本との協力関係を強化し、技術の管理と適切な運用について綿密な協議を行うことが不可欠です」


「素晴らしい見解です、少佐。 聞いていますよ、アフガンでは一分隊を率いて、数百人の武装勢力と対峙したことを。 少佐のような英雄の言葉ですと、説得力が違いますな」


「……過分な評価をいただきありがとうございます」エイダは恥ずかしさで内心顔を赤くしてしまった。


「少佐のおっしゃられた軍事面に付け加えると、マナシンクロナイザーはエネルギー面においても重要な意味を持つことになるでしょう。 原子力を含めた化学エネルギーの利用が主流とはいえ、魔法使いにより運用される、魔粒子によるエネルギー発電も馬鹿にならない割合を占めている。 昨今のAIの発展や大量のデータを扱う世の中になったことで、電力需要の増加はとどまることを知らない。 エネルギー需要の解決のため、マナシンクロナイザーは福音となる可能性を秘めている。 資源面でめぐまれていない日本にとっては特にそうでしょうが、我々アメリカだけでなく、中国やロシアにとっても同様でしょう」


「エネルギー、ということは中東も良い顔をしない可能性が高いですね」


「マナシンクロナイザーの技術開発において、我が国が他国に後れをとったのは非常に残念なことですが、開発に成功したのが日本だったのは不幸中の幸いでした。 アメリカによる世界の安定に向けて、私たちはすぐにでもマナシンクロナイザーを手に入れる必要があります。 それは輸入だけでなく、ライセンス生産、ひいては独占まで視野に入れるべきでしょう」


 エイダはうなずきつつも、内心では違和感を感じ取る。グレイヴス次官の言葉は、長期的に良好な関係に基づくマナシンクロナイザーの獲得というよりも、強硬姿勢も辞さない構えを示唆しているように思えたからだ。エイダもマナシンクロナイザーを入手する重要性は理解しているし、その方向性は同じだ。


 しかし、それは時間をかけた合意形成の上、良好な関係構築で達成を目指すべきだし、軍人であるエイダにとっては、強硬姿勢が日本との協力関係を損なうことを懸念してしまう。何せ日本は同盟国なのだ。


 グレイヴス次官が優秀な外交官であり、愛国者であることに疑いの余地はないのだろう。しかし、有事の際には最前線に配置される可能性のある私のような軍人とあくまで外交官であるグレイヴス次官との間には、明確に優先順位の違いがあるように思えてならない。


「私のような軍人の視点から見ても、マナシンクロナイザーの重要性は無視できません。 しかし、だからといって東アジア地域の安定に不可欠な米日同盟は、かけ金として大きすぎると言わざるを得ません」


「ありがとうございます、少佐。 マナシンクロナイザーについて、一定の認識共有ができたのではないかと思います」


 グレイヴス次官は会話をひとまず切り上げようとしている。エイダ個人として、まだまだ議論し足りない欲求に駆られるが、確かに時間がなくなってきている。


「国際魔法安全保障会議(IMSC)で締結に向けて進行中の『マナ抑制条約』も重要な議題となるでしょう。 ご存知の通り、この条約は、魔粒子の軍事利用を制限し、平和を促進することを目的としています。 少佐のような軍人にとって、そもそも全くありがたくない条約でしょうが。 そしてマナシンクロナイザーは『マナ抑制条約』が目指す先と矛盾もはらんでいる。 そのあたりも焦点となるでしょうな」


 エイダは困ったような微笑で頷いた。軍事面のことばかり気にしていたが、確かに『マナ抑制条約』のことも忘れてはならないことだった。しかし、諜報将校になりたてのエイダにとって、IMSCと『マナ抑制条約』を取り巻く国際情勢は専門外で言えることがあまりない。世界平和に向けた世界的な軍事力抑制自体は、達成できるのであれば素晴らしいことだとエイダは思うのだが、余計なことを個人の意見として述べることはできなかった。(予算の削減につながってしまうので、一般的な高級将校は良い顔をしない)


「少佐、あなたの軍属魔法使いとしての専門知識は、この複雑な状況を乗り越えるために不可欠です。 日本側との会談において、技術面と戦略面の両方から適切な意見を期待しています」


「承知いたしました。 私の知識と経験を最大限に活用し、日本側との会談が実りあるものになるよう尽力いたします」


 すべてのことに完璧である人間などいない。しかし軍人魔法使いとして生きてきた自分にも必ず役に立てるシーンは来るはず。誰からでも必要とされることは嬉しい、そう思った。


「少佐、知的で有意義な時間でした。 このまま議論を続けたい気もしますが、時間です。 会談に向かいましょう」


「ええ」


 エイダはグレイヴス次官の言葉に頷き、立ち上がった。二人は執務室を出て、会議室へと向かう。廊下を歩きながら、エイダは今後の会談の重要性を改めて実感した。


 マナシンクロナイザーが世界に与える影響は計り知れない。しかし、あくまで軍人としての外交武官である私と外交官であるグレイヴス次官の優先順位は決定的な違いがありそうだ。


 いまのエイダはあくまで諜報将校。独断でマナシンクロナイザーの獲得を目指す交渉はマンデートになく、任務はあくまで日本の立場を探り、上層部の意思決定に必要な情報収集に徹することであった。


 マナシンクロナイザーのために米日同盟を天秤に乗せる権限はなく、エイダ個人ももってのほかだと考えている。しかし、グレイヴス次官にとってはそうではないかもしれない。つまり、目指す先は同じかもしれないが、その道のりに大きな違いがあるかもしれない。そして、その点において一致点は見いだせなかった、そう懸念している。


 日本からの説明をしっかりと受け、技術的な可能性やリスクを見極めることが求められている。これまでの任務が求めるそれとは別種の判断力が必要になると感じていた。


「少佐、心配はいりません。 あなたの知識と経験を信頼しています」


 グレイヴス次官が、エイダの沈黙を察してか、穏やかに声をかけてくれる。外交部官としての経験の浅さから来る緊張感を見抜かれ、リラックスのため声をかけてくれたのかもしれない。


「ありがとうございます」少し気まずさを感じながらも、エイダは軽く微笑み返す。


 二人は会議室の前で足を止めた。扉の向こうには、日本から派遣された外交団が待っている。ドアの前で一瞬立ち止まったエイダは、深呼吸をして気持ちを整えた。


 これから始まる重要な会談に向け、エイダは落ち着きと集中を取り戻すよう努める。グレイヴス次官が、ドアを開けて一歩を踏み出した。

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