第5話 銀と紅のハイウェイバトル その1


 会津若松市、日曜日、早朝――。


 月美家の家長、【月美つきみ 夜子よるこ】には毎日毎朝、欠かすことのない日課ルーティンがある。



「……亜里沙」



 毎朝、夜子が手を合わす仏壇には、写真が飾ってあった。


 長い銀髪を三つ編みに結わえた少女が、その中で笑っていた。



「亜里沙、紗々が……お前の妹が無事予選を突破したよ……。お前に似て……可愛い顔でシブい走りをしやがる……!」



 夜子は、写真の横に置かれた、純白のNSX-Rのミニカーを指先で転がした。



「どうか紗々を見守ってやってくれ……。そして、もし予選こないだみたいなムチャな走りをした時は……どうか叱ってやってくれ」



 夜子は寂しげに、御りんを一回、鳴らした。



「スピードの世界はヴァルキリーの領域……私ら一般人の声は遅過ぎて届き辛い……。指示は出せこそすれ、聞こえるのは同じヴァルキリーヤツらの声か……【スピードの向こう側】に行ったお前たちか……」





 ※※※※





 朝靄に霞む、磐越自動車道……。


 銀灰のNSXタイプSが静かに、それでいて颯爽と、朝のハイウェイを疾走していた。



「……予選の時はブンブンギャンギャン言ってたのに、今は随分静かに走るなぁコイツ」



 助手席に座る義弟、小次郎の間延びした声に、運転席の紗々はクスリと笑った。



「今のこの子はクワイエットモード……バッテリーとモーターだけで走ってるの。本格的に走る時はスポーツモードからスポーツプラスモード。エンジン全開のフルパワーよ」

「器用なヤツだなぁ」



 感嘆しながら、小次郎は大きな欠伸をした。


 それを傍目に見て、紗々は眉をハの字に曲げた。



「コジロー、寝てて良いからね……?」

「へっ!?」

「ママが昨晩きのうブレーキキャリパーを新しいのに取り替えたから、ついつい嬉しくて慣らし運転に誘っちゃった……。まだ6時だもん、ゴメン……」



 哀しげな顔をする、義姉あね――



「いやいやいやいや!」



 小次郎は慌てて、千切れんばかりに首を振った。



「ぜ、全然眠くねーし!ねーちゃんとの早朝ドライブ!余裕でバッチコイだし!ねーちゃんの運転が上手過ぎて、快適で欠伸が出ただけだし!」



 必死で弁明をする今の小次郎に、学校での大人びた硬派な面影は、無い。



「そんなに私、運転上手い?」

「上手くなかったらブリッツ・ヴァルキリーになんて出れねぇだろ」

「……そっか」



 紗々が、顔を綻ばせた。


 小次郎は、ホッと胸を撫で下ろす。


 ふと、視界の端……トイレと自販機だけの小さなサービスエリアにポツンと一台、鮮やかな赤い車が停まっているのを、小次郎は視認した。



 ――あれは……確かフェラーリ……?



 以前、何処かで見た気がして、小次郎は首を傾げた。


 しかし――



「コジロー、本当に暫く見ない間に格好良くなったよね。背丈なんて、私越されちゃった」

「へアッ!?」



 クスクス笑いながらの紗々の言葉に、小次郎の顔面はたちまち紅潮する。


 赤い車の存在など、忘却の彼方へ吹き飛んでしまった。



「そ、そんっ……!?」



 そんなことない。小次郎はそう言おうとしたが、緊張のあまり、上手く口が回らない。



「……お姉ちゃんの夢を叶える為……お姉ちゃんに匹敵する運転技術を会得するために、私一人でドイツに留学したけど……」



 寂しげに語る紗々の横顔を見ながら、小次郎は無言のまま頷く。


 小学校卒業と同時に、紗々は単身ドイツへ飛び、全寮制のジュニアレーシングスクールに入学したのを、小次郎は覚えている。


 当時、小次郎は八歳。


 空港で「行かないで」と泣き叫んで、紗々を困らせたのを、小次郎は、恥ずかしいが……覚えている。



「留学に悔いは無かった……。けど……あんなに小さくて可愛かったコジローの成長を間近で見ることが出来なかったのは……それだけはしょうじき……悔しいと思ってる」

「……ねーちゃん」

「コジローが辛い時、側にいてやれなかった……」



 ふと、紗々の顔に光が差す。


 小次郎が前を見ると、山あいから太陽が顔を出そうとしているところだった。


 陽が昇る。


 光がNSXの先を照らす。



「……全然悔しがるコトなんかねーよ、ねーちゃん」



 呟くように、小次郎は淡々と言った。



「え?」



 紗々は日除けを下げながら、驚いた顔をした。



「ドイツにいる間も、月イチで連絡くれたじゃないか」

「家族なんだから、当然でしょ?」

「俺、ねーちゃんの連絡に凄く元気貰ってたんだぜ?テストの点数が悪かった時も、友だちとケンカした時も、紗々ねーちゃんが海の向こうでたった独りで頑張ってると思うと、めちゃくちゃ元気勇気湧いて来たんだ……!」

「…………」



 そして、小次郎は、思いきって――



「紗々ねーちゃんは俺の自慢のねーちゃんだ!俺はそんなねーちゃんが好――」



 !!!!!!



 突如、NSXが豪快なエンジン音を轟かせた。


 ぐんぐんと加速し、一世一代の告白をしようとしていた小次郎の身体は、加速Gによって助手席のシートに抑え付けられた。



「ねーちゃん!?」



 小次郎は驚いて、紗々を見る。



「……!」



 運転席の紗々は、小次郎が今まで見たことの無いような険しい表情で、前方を……時々バックミラーを睨み付けていた。


 小次郎は咄嗟に、助手席側のサイドミラーを見た。



「あれはっ……!?」



 小次郎は戦慄した。


 赤い車が、ピタリと張り付くようにNSXを追走していた。


 先ほど通過した、サービスエリアに停まっていた車だ。


 フェラーリだ!


 紗々がウインカーを出して、NSXは滑らかに車線変更をする。


 すると、フェラーリは威嚇するように、車体を左右に荒々しく揺らしながら、NSXの車線に滑り込む。


 チカチカと、フェラーリがヘッドライトを二度点滅させる。


 明らかな、挑発行為だ!



「フェラーリが煽り運転だとォ!?」



 小次郎の絶叫に、紗々はステアリングを小刻みに操作しながら、静かに頷いた。



「あれは……ラ・フェラーリ……!乗っているのは、多分ヴァルキリー……!」



 紗々の瞳孔が細長く引き締まり、眼光が鋭さを増す。



「コジロー!しっかり掴まって!」

「お、おう!」

「法定時速内でだけど……飛ばすよ!」



 取っ手を慌てて掴みながら、小次郎は確と頷いた!



っちまえ!ねーちゃん!!」





 ※※※※




「ク、ククハハハッ!」



【フェラーリ・ラ・フェラーリ】の運転席なか……。


 黄昏色のポニーテールを振り乱し……。


 真知恵ジーニアスの妹、【志奈村 しのぶ】は獰猛な高笑いを以て、前方のNSXを睨み付けた。



「早起きは三文の徳って子どもの頃に姉貴が言ってたけど……中々ラッキーな巡り合わせじゃないか!」



 NSXが、再び車線変更をした。



「逃がすかァ!!」



 しのぶの卓越したアクセルワーク、ステアリングテクニックにより、ラ・フェラーリも跳ねるように素早く車線変更をし、NSXを猛追する。


 勿論、ウインカー表示も忘れない。



「まさか姉貴を送り出した帰りに会えるなんて!ホントにアタシはツイてる!そのS型のNSX!見逃すモンかよ!!」



 昂ってどうしようもない闘志に、しのぶの瞳孔が細長く引き絞られる。


 見間違える訳がない。あの銀灰のNSX!


 あの女……月美 紗々!


 自分を、自分の絶好タイムを脅かしたヴァルキリー



「ハイウェイバトルと洒落込もうか!?月美 紗々チョコレートおんなァ!!」





 続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る