第20話 ダーチャ

 女王とピーター・ドールの軍隊は大陸の南、ダーチャの領地内を通過することになった。


 公爵は大公に宣戦布告したものの、まだ戦闘へは向かわずに領地にいるらしい。プリシラと指揮官のドールを領主館に招待する旨を使者を遣わして告げた。


 プリシラはなだらかな道を馬に乗って進みながら落ち着かない気持ちになる。トリスタンから、曲がりなりにも結婚した相手から逃げ出すようにしてここを去ったのだ。


 どういう顔をして、彼に挨拶すれば良いのだろう?怖いのはなぜ自分のもとを去ったのか、と責められることだ。それも怒るのではなく、あの鳶色の優しい瞳を悲しそうに細めて……

 もう一度求婚を断れる自信はなかった。実際、彼もここの領地での暮らしも、とても魅力的なのだ。優しくて、美しくて、風もあたたかい……


 

 公爵は書斎に立って警告をする。ピーター・ドールについて、大公について。それから、結婚生活を放り出してピーター・ドールのもとへ行ったことについて。

 プリシラは窓辺に立って、黄色い菜の花畑の中を馬が駆けてゆくのを眺めていた。首をかしげ、微笑みさえ浮かべながら。馬と男。馬の上に乗っている彼は、ひょっとしたらトリスタンかもしれない。


「ピーター・ドールは裏切り者です、陛下。大公と通じている」

 ニコラス・カールセンはそう言いながらワインの入った杯を年若い女王に渡す。


 ワインが好きではなかった。酔っ払ってしまいそうで怖い。

 それでも断るわけにはいかず、なぜか顔を赤らめてしまう。


「ピーターがなんですか。失礼ですけど公爵殿、あなたは私より彼のことを知らないんですよ。どうしてそんなことに確信をもてるんです?」

 プリシラは威厳もズタズタになってしまいそうな、震え声で言う。


 折よく花柄の黄金色の扉が開いて、イーサンが入ってきた。大げさに宮廷式のお辞儀をしてから、なんだかゆらゆらとした足取りで公爵に近づいて隣に立つ。


 プリシラは動揺してたまるもんかと強気な笑みを浮かべて、イーサンを問うような、非難するような目つきで見た。


「イーサン・ショア、公爵につかえる騎士の一人です。女王陛下、どうかお見知りおきを」

 イーサンが自らそんなことを言って道化じみた行動をする。


 公爵は冷たい目で年下の愛人を見ていた。プリシラはというと、苦い記憶が蘇って真っ青になってしまう。

 忘れもしない、馬車の中でトリスタンと共にプリシラを縄でぐるぐる巻きにしたのはこの男なのだ。破廉恥にも、イーサンはそんな残酷なことをした相手に道化を演じてみせている。なるほど厚顔無恥とは、こういう種類の人間のことを言うのだろう。


「いや、実際にピーター・ドールは女王を裏切っていますよ。エミリーという女性と結託しているのだとか……」

 公爵はイーサンの存在をすっかり無視するかのように神妙な面持ちで、さきほどの話を続けた。


「エミリーですって」


 イーサンがいやらしい笑みを浮かべた。女王は自分の忠臣の婚約を知らなかったのだ。


 プリシラの中で不快な印象が浮かび上がってきた。公爵は、自分の知らない何かを知っているのだろうか。それともあれは単なる腹黒い中傷なのかしら。


「ピーター・ドールの兵士達は、いや、女王陛下の兵士達はみなエミリーの存在を知っていますよ……」


 プリシラの頬がカッと赤くなった。りんごのように赤い頬……

 ピーターにとって、それに公爵やイーサンにとっても、プリシラは単なるちっちゃな女の子にしか見えないのだろうか。子ども扱いして、大人の場から閉め出そうとしている。今、彼女が未熟な王女なことが証明されようとしているのだ。プリシラもトリスタンも子ども同士お似合いじゃないか。ひょっとしたら本当に彼の妻になるべきなのかもしれない。


「しかし、こういうことは陛下自らが対処なされるのが一番でしょう。私は部外者にすぎませんから。ところで弟にはお会いしましたか。あれはすっかり落ち込んで剣を捨てて修道士になると言ってるんですよ。かと思えば、女王のために大公の首を持ち帰るとも言う。おや、あいつはちょうど馬に乗っている……」


 公爵の最後の一言に、プリシラの頬はますます赤くなった。そうだった。公爵の思っていたようにプリシラはトリスタンの姿を盗み見していたのだ。女王陛下の面目は丸潰れ。


 それにしても、彼の乗馬姿は絵画のように美しかった。あたり一面は優しい黄色、馬の毛並みが昼下がりの太陽に照らされて、つやつやと光っている。花々も、彼の明るい金髪も馬の走るのにまかせて優しく揺れて……


「ええ公爵、あなたは部外者ですわ。まったくの部外者です」

 プリシラはゆっくりと振り返って言った。黒い長い髪がふわりと動いて、背中のあたりで小さく乾いた音を立てる。

「それなのに、あなたは女王陛下の名をかたって大公との戦争を始めたのです。一線をこえたんです」

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