第2話 生誕のアイドル①
目が覚めると木製の天井が広がっていた。いつもは見飽きた白い天井なのに。飲み過ぎたみたい。最後にどこで飲んでいたか全く覚えていない。帰ってきた記憶もない。でも、アイドル時代はスキャンダルがあってはいけないと遅くまで飲むこともなかったしなあ。たまにはいいかな。
眠い目をこする手がやけに小さくてもっちりしているように見える。飲み過ぎて浮腫んだ?とりあえず水でも飲もう。
「・・・」
起き上がれない。別に二日酔いって感じの体ではないんだけどな。むしろここ最近で一番体が軽く感じる。でも立つことができない。
「・・・」
首なら動く。あたりを見回したいのに、なぜか木製の柵で視界が遮られる。どんなベッド?生まれたての赤ちゃんが使いそうなベッドみたい。知り合いで誰か使ってたっけ?ジャーマネの家とか?いや、確かジャーマネは布団派だったはず。とにかくほんとに見たことない場所だ。隙間から覗くかぎりかなり広々とした家だ。都内にこんな広い木造住宅に住む友達なんていたっけ。
「あうあー?」
寝起きでまだ体が起きてないみたい。この家の主を呼ぼうとしたら、赤ちゃんみたいな滑舌になっちゃった。声も上ずっちゃって。まあもう滑舌なんてどうでもいいか。アイドルじゃないんだし。
「あうあー?」
おかしい。まったくうまく喋れない。これでもボイトレとか滑舌の練習とかしてたんだけどな。
「・・・」
手、小さかったな。クリームパンみたいだった。
ベッド、狭かったな。てか、狭すぎるわ。まるで赤ん坊用。
声、高かったな。上ずったにしては幼く聞こえた。
夢かドッキリか飲み過ぎか。それとも、ね。
ここまで条件が揃えば嫌でも分かる。ちょっと前にファンにおすすめされたライトノベルのあらすじと一緒だ。その作品の主人公も言っていた。まさか自分とは。案外嬉しくないものだわ。でも、ちょうどアイドルをクビになったタイミングだからか、もうなんでもいい気がしてきた。でもやっぱりそれはそれとして、視界が歪んでゆく。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああん!?!?」
私は泣いた。それはもう赤ん坊のように泣いた。もし電車内とかだったら、これを聞けば一回はそっちの方を見て、その主を見て癒されること間違いなしだろう。ていうか、えほんとに?そんなことあるの?ほんとに赤ん坊になってるの?あ!そうだ。これ多分明晰夢だわ。昔ドームでライブする夢が見たくて明晰夢の練習したなあ。今になってできるようになったんだきっと。よし、試しに空を飛ぶ夢にしよう。目を瞑り意識してみる。
「あ」
なぜかじわじわとおしりに温もりを感じ始めた。これは、まさか・・・。
悲劇的出来事に少し頭が冷静になった。どうやら夢などではないらしい。転生ねえ。喜ぶ人もいると聞くけど。だけど私にとっては不都合以外の何物でもない。せっかく暇ができたから前にいたグループの後輩たちを愛でたり、溜まってた月九見ようと思ってたのに。
てかもしほんとうに赤ん坊に転生したとしたら、前の私はどうなってるの?死んだの?急アル?だめだ。考えても疑問だけが湧いて何一つ解決しない。
そんな風に少し硬く感じるベッドに身を任せ現実逃避をしていると、ドタドタと足音が近づいてくるのがわかった。誰が来るのか全く分からず、ただすすり泣きをしながら小さい体で身構えて待つ。
「Catharine!! icet iests migcunonte thqueat shellee iests!! thmenrksi bd’eeintreg bonern!」
ガチャリと勢いよく開いたドアの音と共に、一人の女性が私の方に何か喋りながら近づいてきた。
英語をちゃんと勉強しとけば。何を話しているのかさっぱり分からない。そもそも英語ですらないかもしれない。見た目は日本人にはとても見えない。どこら辺の人なんだろ。
まじまじとその女性を見ながら考えを巡らしていると、私の脇腹を抱えてきた。
「chtaerll!! chtaerll!!」
何をされるか分かんなくて怖かったけど、たかいたかいだった。この年でしてもらっても意外と楽しいそれに、思わず笑みが零れた。
きっとこの人が赤ちゃんである私のお母さんなのだろう。私を見つめる顔を見返すと、なんとなく安らぎのようなものが内から湧き上がるのを感じた。
その母らしき女性と戯れていると、また誰かが部屋に入ってきた。
「Catharine!・・・!→$=○2」|」=」
屈強な体躯の男が、頬の緩み切っただらしない顔で私の方に駆け寄ってくる。男はそのまま私を抱っこして、愛おしそうに見つめてくる。
何を言っているかさっぱり分からないけど、発せられた言葉は私の不安な気持ちを和らげてくれた。
自然と笑みが零れてきて、そのまましばらくこの両親と思われる二人と戯れた。徐々に眠気が襲ってきて、私は父と思しき男の腕の中で静かに目を閉じた。
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ふと目を開けると広がっていたのは、百人にも満たない私のグループのファン達が、各々の仕方で、各々の推しを全力で応援する姿だった。曲が終わり、今はMCの時間のようだ。
そうか。これまでのはやっぱり夢だったんだ。ライブ中に疲れて、意識が曖昧になっていたんだ。集中しすぎると周りが見えなくなる癖があるとよく言われるし。だいたいアイドルをクビになって、そのまま赤ん坊になっているなんて、誰が信じるだろう。
「みんな今日はありがとう!」
リーダーがファンたちに呼びかける。少ないながらもその声援は重なって一つの大きなものになってかえってきた。
「新体制になってから初めてのライブで、すごく緊張してるけど、みんな楽しんでる?」
「わああああああああああ!」
ファンたちがいっそう大きな歓声で答える。リーダーのMCはいつもお客さんから好評であった。
「改めて、わたしたちの自己紹介をします!」
グループにはメンバーカラーがある。私は黒色の担当だったから、いつも最後だった。
「まずは!リーダーの私から!・・・」
大きく身振りをして自分をアピールする。それぞれが順番に自己紹介を終えて、ついに私の番が来た。
「それじゃあ、次は!」
慣れたこととは言え、一度自分がアイドルを辞めた姿を見ると、この自己紹介にも大事にしようという気持ちが入る。
「わ」
「みんなで行くよ!パーフェクト・スマイル!」
瞬間、目の前の光彩がひとつひとつ消えていく。鮮明に見えた笑顔が闇に吞まれていく。際限なく広がる闇が口を開けてステージを、私を呑み込む。
「なにこれ!?ねえ、みんな!大丈夫!?」
私の叫びなど聞こえていないように、メンバーはライブを続ける。徐々にライブの音もファンの声もくぐもったものになっていく。
「みんな!私もいるよ!ここに!」
ステージまで完全に黒に染まりかけても、ライブは止まらない。
すべてが黒く染まる瞬間、誰とも分からない声が聞こえた。
「もう、アイドルじゃないんだから」
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気持ち悪い感覚と共にふと目が覚めた。私はあのベッドにいた。変わらず小さく、声も出ない体に戻っていた。部屋は静まり返り、窓からの月の光だけが少し部屋を照らしていた。夜に目が覚めてしまったみたい。嫌な夢だったわ。
さっきの夢も相まって、私はどうしようもない無力感に襲われた。このまままたあの闇が私を飲み込むんじゃないか。落ちていくような浮遊感と実感のない体は、もうすでに私が闇の一部なんじゃないかという絶望感すらある。
初めて一人暮らしを始めた時の夜のような静けさが、もう戻れないことと赤ん坊になったという事実を受け入れ難くしている。
「・・・」
耳を澄ませば隣のベッドで寝ている、この赤ん坊の両親の寝息だけが聞きこえる。だけど今の私にとって、赤の他人の寝息なんてむしろ恐怖が増すばかりだった。ふと外を見たくなって試しに体を横にする。
「・・・」
柵越しに見る窓から覗く月は、雲もかからず青みがかった輝きを放っている。私の知っている月とは違うそれに、この世界が地球じゃないどこかかもしれないという疑念は確信に変わっていった。
どれくらいの時間が経ったのか、また小さい体を徐々に眠気が襲ってきた。このまま目を閉じ、夢に落ち、この夢のような出来事が覚めることはあるのだろうか。しかし、覚めたところであの生活に戻るのか。夢であったはずのアイドルを、いつからか捨てることができなかった重荷のように感じていたあの生活に。純粋に輝くアイドルになりたかったと胸を張って言えることが、あの時の私はできただろうか。
このまま闇に溶けて消えることを小さく願いながら、私はまた眠りについた。
異世界アイドル james tlewin @misosiluo
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