第3話
肉体から抜けた魂は何処へ行くと言うのだろう。死後の魂はどうなるのか、一般的には死後の魂は天国や地獄へ行く。だが、それを実証できた者などいない。
たった今、一つの魂が肉体から離れた。
その魂は天高く昇り時空の間へと消えていく。いつしか開いた人の目には見えない穴。魂はその中に入っていく。光すらない穴の中。その先に何があるかなんて知りもせずに。まるでそれが当たり前で、元々決まっていた運命とでも言いうように。
どれほど穴の中を進んだのだろう。すでに方向感覚を見失い、上下すらも曖昧で、穴の中を昇っているのか、逆に落ちているのか分からない。
その時、眩い光に包まれた。それは全ての魂に等しく訪れる救いなんだと思う。魂の浄化という名の記憶の抹消。悪い行いも、善い行いも、一切の何もかもが抹消される。そこに神の使いの姿なんてない。それはただ機械的に粛々と行われていく。
浄化を終えた魂は新しい肉体の下へ送られる。
ただ、極稀に浄化を受けられなかった魂が存在する。それが新たな肉体に入った場合、物心がつくと同時に魂の記憶が呼び起こされる事となる。
長い眠りから覚めた。記憶が曖昧で自分が何時、何処で眠ってしまったのかすら分からない。
知らない天井だ。起き上がって周囲を見渡しても、ここが何処なのか分からない。部屋の中を見渡して分かるのはここは病院ではないことだけ。だって、理解できない装飾が広い部屋の中を彩っているのだから。ここが病院であるのなら院長の趣味が飛びすぎている。
寝具一つ取ってみてもそうだ。今私が寝ているベッドの上部には仰々しい天蓋がついている。
頭が重い。
「寝ている間に何処に連れてこられたんだ?」
私はそう呟いた。言葉にして一つ一つ情報を整理しなければいけないような気がしたから。だが、ボーっととしてはっきりしない意識が思考の邪魔をする。
「・・・あれ?」
私は首元に触れた。正確には喉仏。なぜそうしたのか、だって声が変なんだから。風邪とかそんな次元の話ではない。全くの別人のような・・・声変わり前に戻ってしまったような・・・。
視線を下げて自分の体を見る。
目に映ったのは小さい手。隠れて見えないけれど、寝具の膨らみから察すると足だって短い。知っている自分の体ではない。
驚きが過ぎて言葉が出てこない。
私の体は他の娘達より身長が高く、スポーツの為に生まれたような長い手足だった。街を歩いていた時にモデル事務所にだってスカウトされた事だってある。親に反対されて泣く泣く断ったけれど・・・それはさておき、今見える自分の体はどうだ。全身が縮んでいる。これではまるで子供ではないか。
ベッドから飛び降りた。そして、部屋にある中で一番大きな鏡の前に向かう。
現在の自分の体がどうなっているのか知りたかった。
鏡に映ったのは子供だった。おそらく四歳くらいの女の子。青みがかった長い髪と緑色の瞳が特徴的な、自画自賛できるほどには可愛らしい見た目をしている。
「どうなってるの・・・これ。」
頭の中が混乱して正常な判断ができない。
今するべきは何だ。情報を集める?いや、現在の自分が置かれている立場ってやつも気にはなるけれど、まずはこの体でいることで危険がないのか。そう、身の安全の確保が最優先だ。そんな訳で、とりあえず毛布に包まってみた。こうすれば誰かが入ってきたとしてもすぐに見つかることはないだろうと思ったから。
視界に映るのは小さくなった手と脚。自分の意思をは関係無く体が震えている。
未知の状況への不安と恐怖が心を支配している。落ち着け、落ち着け、落ち着け・・・頭の中で何度も同じ言葉を唱える。そうすれば多少は不安や恐怖が薄らぐと思った。でも、そうはならない。逆に不安が広がっていくのが分かる。
気持ちが空回りしている。初めて出場した試合でもこれほど心を動かされることはなかった。
落ち着け、心の中で何度繰り返したか分からない。徐々に気持ちが落ち着いていった。だが、平常心になりそうな気持ちが一気に緊張状態へ跳ね上がった。
扉が開く音がした。
部屋には誰もいなかった。子供目で見たから見落としがあるのかもしれないけれど、部屋の中は注意深く見渡したはずだ。人なんていなかった。
扉が開いたってことは、必然的に部屋の外から誰かが入ってきたってことだ。
高まった緊張が心臓の音を大きくしていく。
扉が閉まる音。心臓の音が自分意外にも聞こえているのではないかと思える程大きい。足音がゆっくり近づいてくる。一歩、また一歩。静かな足音が確かに耳に届いてくる。
今の私は幼い子供だ。見つかるとどうなるのだろうか。
最悪の事態を考えつつ毛布を強く握った。近づいてくる足音が目の前で止まる。布団の上にある毛布が膨らんでいるのだ。明らかにここに誰かいますよと言っているようなものだ。
一気に毛布が剥ぎ取られた。
怯える心を落ち着けながら、毛布を剥ぎ取った人を見た。
「見つけた。」
そう言って満面の笑みを見せたのは綺麗な女性だった。その笑顔からは悪意などの嫌なものは感じない。
「毛布に包まってどうしたの?一人で怖かったの?」
優しい声だった。まるで母親が幼い娘にかけるような、そんな声だった。
女性が私の体を抱き上げる。そして、ゆっくり頭を撫でてくれた。誰なのかも分からない人に頭を撫でられることへの不快感はない。不安すらも。それとは逆に、体の奥から湧き出てくるのは安心感だった。
おそらくこの女性はこの幼子・・・いや、今の私の母親なのだ。
私の魂がそれを認めなくても体がそう告げている。
過去の自分の事を覚えている。それならば、今の私の状態は何だろう。まるで、魂と記憶を別の体に移し替えた、そんな感じかな?ならば、これは俗に言う異世界転生ってヤツなんだろう。そうなると、女子高生だった私は・・・。
過去の自分にとって一番最後の記憶を思い出そうとした時、酷い不快感と吐き気が腹の底から湧き上がってきた。
「あらあら、どうしたの?よしよし、泣かないの。」
今の母親が小さい体を抱き寄せた。
私が泣いている?確かに涙が溢れて止まらない。いつもの私ならこんな事で泣いたりしないのに。
精神的にはある程度成熟しているつもりではいたのだが、この幼い体では先の不快感と吐き気に耐えられなかったのだ。
この状況が普通ではないと思ってはいた。その上、泣きじゃくる幼い女児の事を俯瞰で見ている自分の存在に気付いた。その事を意識してしまうと、私のいつもは失われたのだと改めて悲しい気持ちになった。
泣いている体に心が引き寄せられたのかもしれない。俯瞰で見ている女子高生だった私も女児の中で一緒に涙を流していた。
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