4-5 異国の花の精

 舞香さんが失踪をして、もう三日という時間が流れた。

 ほうぼうを探して手を尽くしているけれど、その消息は掴めない。時折、武陽の街をあてもなく歩き回る趣味があったようだけれど、姿を消した日以降その目撃情報はなく、駅を使った形跡もなく、まさかと思った色街にも彼女の情報はなく、何も分からないという結論ばかりが積み上がる。

 その日、忽然として消息を絶った。

 まるで神隠しみたいに。


 それがただの探し人の仕事ならば一笑する結論で、何か手がかりを見落としているだけという結論に至るのだけれども。彼女の事情を鑑みれば”神隠し”という超常が途端に現実を帯びてくる。

 俺自身が、彼女が忽然とした現場を目撃した事があるのだから。


 だから手がかりは一つだけ。

 彼女の部屋に落ちていたこの一輪の小さな花だけが手がかり。

 

「まだやっている訳? 根を詰めすぎると死ぬわよ」


 部屋に義姉が入ってくる。呆れ返った様子で、盆の上に握り飯を携えて。

 ちゃぶ台に盆を置くと、彼女は勝手に部屋の中を掃除し始める。女中に勝手に片付けられ、再びひっくり返していた文献の山。探偵業者や鴉宮の関係者からの目撃情報の報告書や請求書の山、古今東西の植物図鑑。そういうものを無造作に片付け始めている。


「……愛想を尽かされただけなんじゃない」


 義姉の無遠慮なものいいに短気が走りそうになる。

 それが凄むだけで終わるのは、心当たりが多すぎるから。

 彼女の厚意に甘えて、彼女の境遇を慮ることが出来なかった。


 帰る場所も頼る場所もない状態で、唯一の宿り木だったこの場所が、事前に何の相談もなく取り壊されることになった。

 不信感に、見限られたとしても当然だった。


 がりがりと頭を強く掻くクセが出て、義姉から差し入れを引ったくる。がつがつと握り飯に貪り付く。


「本当に妖が関わっていると思っているの?」


 古い植物図鑑を手に義姉が言う。淹れてくれた茶で米を流し込む。


「現実的な全ての可能性を潰していって、残った答えがそうならば、信じるしか無いだろう」

「……やっぱりその辺がズレているのよね。視えない貴方は」

「どういう意味だ」


 義姉の真剣な相貌が目の前にある。貼り付けた薄ら笑いではなく真剣な瞳。

 鴉宮で初めてあった時、一際凛とした雰囲気だった少女の、意志の強い瞳。昔の彼女の片鱗が覗く。

 小さく、静かに息を吐いた後。諭すような義姉の声。


「家族が皆視えていて、自分だけが視えない。そんな境遇に育った貴方には受け入れるのは難しいかもしれないけれど。本来”妖”なんてものは視えてはいけないものなの。彼等は理を超えた超常のもの。鮮明に視えれば視えるほど、視る者もまた理を外れている。……決して人の手に収まることはない存在よ」

「何が言いたいんだよ」

「妖の仕業だったとして、貴方に何が出来るの?」


 静かな宣告が、資料に溢れた部屋に響く。

 分かっていたことだけれども、言葉にして認識するのを恐れていた現実。


 俺に出来ることはなにもない。

 そんな現実を突きつけられる。


 ぎちり、と奥歯が強く鳴る。強く握りしめた拳が震えている。

 だが義姉の言うことはもっともで。俺に出来ることは、本当は何も無いのだった。

 

 思い知らされるのは、彼女の両親たちのこと。

 淡々と話す傍ら、悔しさに強く拳が握りしめられていた。

 四十年という時を経て再び出逢った我が子を、また手放さなくてはならなかった。

 彼等の苦しみはきっと俺の比ではない。


「まさかとは思って新浜の貿易商を当たらせたわ。そして、この花は異国の花だという事が分かったわ。シクラメンというそうよ。死と苦を名前に持つなんて因果な花ね」


 義姉が更に追い打ちをかける。


「鴉宮は……、鴉宮に限らずこの国の妖怪退治屋は、幾年月と数多の犠牲の上に妖との折り合いをつけてきた。祀ったり、生贄を差し出したり、討伐したり。手段はいかようにもね。それが異国の妖精が相手となると、対処方法を探るところから始めなくてはならない」


 これで本当にお手上げね。


 最後の言葉は、本当に小さく義姉の口から漏れただけだった。

 けれども呆然とする俺の頭と耳は、その言葉を拾ってしまう。


 幾日もの徹夜の疲労が、途端に身体にのしかかる。

 戊辰の、俺達の最後の戦場だった場所を思い出す。

 敗戦に敗戦を重ねても、それでも戦い続けていた。それなのに本隊が勝手に降伏をしていた。

 帰る場所のない敗残兵ほど惨めなものはない。

 仲間が一人、また一人と脱走し。ずっと戦ってきた仲間が倒れても見捨てなくてはいけない。

 自分の命だけを守るために。

 信念は失せて、目的は失せて。己の境遇を呪いながら戦い続け、追手から逃げ続ける日々。

 

 あの惨めな時間を、何もかもがへし折れていく絶望の無量感を。思い出す。

 やっきになっていたのは、姿を消した彼女の姿に皆を重ねたから。

 戦友も、仲間も、家族も、身内だと思っていた人も。


「……人と違う特別な力は、呪い、なのかもしれないわね」


 もう一度、義姉の言葉が小さく溢れる。

 今度はこの場所に、この屋敷に、小さな波紋を立てるように広がって、湛えられている。

 言いようのない静けさに、やるせのない諦観に、この場所は包まれている。

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