3-1 鬼類婚姻譚
武陽の街は相変わらず再開発に忙しい。
少し遠出をするだけで違う土地にやって来てしまったかのような違和感を覚えてしまう。
馬車道の為の拡張工事が通りの何処でも行われて、その隙間を縫うように今日も街は人で溢れている。
駅前や大通りは地方から仕事を求めてやってくる人々の黒波で溢れていて、石造りの建物から出てくる洋装に身を包んだ方々や、着物姿の街の方たちもその人並みに加わって、通りは信じられないほどの賑いを見せている。
維新の前後とはまた少し違う活気と熱気に、武陽の街は包まれている。
そんな目まぐるしい光景に当てられながら、住宅街の方にまでやってくると、やっと見慣れた光景に少し安心を覚える。清春様のお屋敷に戻った時には、帰ってきた、と思ってしまっていた。
自分の変わりように少し驚きながら、それでも、随分とこの暮らしに馴染んできたようだった。
清春様は相変わらずお仕事に忙しい。
息つく間もなく、また日ノ本中を駆け回っている。
それでも以前よりはお家で過ごされる時間が増えて、何度か私が作った晩食を共にすることもあった。
清春様の方が遥かに料理上手なはずのに、美味しいと、毎回感想を言っていただけて。その度に嬉しさで顔が熱くなるのだった。
あのお仕事のお陰で、春香さんからは随分なお給金を頂けた。お陰で、随分と渋られたけれど清春様に家賃をお支払いすることが出来て、通いの女中の鶴子さんからの視線にもいちいち気を揉むような事も無くなった。
お金をいただいた時、”お詫びも含まれている”と春香さんは言った。川の主との遭遇は完全に想定外のことだったとひどく謝られてしまった。
幽世に迷い込む。
本来、一生に一度も起こらないような出来事。そんな経験を私はもう何度繰り返してしまったか。
危険な目に遭わせてしまったと、深々と頭を下げる春香さんに、むしろ謝られる方が気後れする。
少し溝が出来てしまったなんて思いもしたけれど、疎遠になることはなかった。
むしろ色々と理由を作っては、春香さんがお屋敷に立ち寄ってくれる機会が増えた。
猫のようにふらりとやってきて、そしていつも決まって湯呑みに淹れた焙じ茶と、春香さんが持ってきてくれるお菓子を囲みながらお喋りに耽る。
怪異の、妖の話もする。けれど、それよりもずっと最近の流行や近況の話に耽る。何より清春様の昔話をしてくださることの方が楽しくて。いつしか私達は友達のような間柄になれた。
そうして生活は充実して、此処に置いていただいていることに負い目も少なくなってきて。むしろ楽しいと思える時間が増えたようで。
失踪して行方が分からないままの両親のことを抜きにすれば、私の生活は随分幸福なもので彩られているように思う。
そんな折に、お屋敷にある一通の郵便が届いた。
「あら? こんな時間に郵便?」
「はい。でも変なんです。切手も貼られていなくって」
遊びにいらしていた春香さんが、持参されたお菓子に手を伸ばしながら顔だけをこちらに向けている。相変わらず洋装が本当にお似合いになる人で、お菓子を口に運ぶ姿が非情に画になる。まるで絵画に見る西洋のお姫様のよう。
「よるかたな? って言うんですか?」
夜刀と、封書に書かれている文字を読み上げると、春香さんの表情が一変する。
眼差しが鋭く、険しい表情。先程のお姫様のような柔らかな様子はない。
封書は随分と古い綴じられ方をしていて。糊で綴じられているのではなく、紙の端を折り畳んだ綴じ方をしている。一目で古式の綴じ方と理解るもので、少なくとも私は始めて見るものだった。
「……ヤト、と読むのよ。これで」
短く、冷たく、春香さんが言った。
それから1つため息を付いた後に、またいつもの朗らかな笑みを造られる。
「あのバカは本当に数奇な星のもとに生まれたようね。さて、ちょっと出掛けましょうか舞香ちゃん。電報で清春を呼び戻さなきゃ」
春香さんに促されるままに郵便取扱所に伺い、電報を送る。春香さんは随分と慣れた様子で職員の方に朗らかに対応していたけれど、瞳の奥はずっと険しいままで、その横顔がどこか思い詰めた表情のように見えるのだった。
翌日、血相を変えた様子で清春様が戻られた。
帰宅の挨拶もそこそこに届けられた手紙に目を落とす。何度も読み返して、その度に感情の消えた無表情な表情に変わって、そして最後には項垂れて青ざめた表情に変わってしまった。
そんな清春様の姿は始めて見る。
「ま、観念なさいな」
手紙を読んでもいないのに、内容を知っている様子で春香さんが落ち込んでいる清春様の肩を叩かれる。
私だけが事情を飲み込めていない様子で仲間外れのようだった。
それが嫌で。思わず尋ねてしまう。
「何だったんですか、その手紙の中身というのは?」
私の問いに春香さんがどうしたものかと思案顔を浮かべて、清春様に答えを促される。清春様が言いづらそうに、仕方なく、といった様子で答えられる。
「……まぁ端的に言うと結婚式の招待状、ですかね」
「端的に言い過ぎだけどね」
間髪を入れずに春香さんが指摘する。
清春様が後手でぼりぼりと髪を掻く。少し困った時の清春様の癖が浮かんでいる。
「……少し説明すると、清春の家と親交がある気難しい一族がいるのよ。”幻”と呼ばれる程貴重な絹の生産を行いながら、外界とはほとんど接触しない、直系の一族ごと山奥の里で引き籠もっているような偏屈な連中がね。このドレスも絹だけれども、”影杜”製の絹と比べれば明らかに格が劣るわ。そんな訳で誰もが影杜と繋がりを持ちたがるけれども、誰も彼らの集落の場所すら掴めない。でもね、”夜刀”という一族だけは古くから交流を持っているの。それで、結婚式には必ず参加してくてはならない訳」
言い淀む清春様を見兼ねて、春香さんがそうして説明してくれる。
”影杜”という家から”夜刀”という家に結婚式の招待状がやってきた。
ただ違和感がある。
妖を生業とする家業の総本山を自負する鴉宮家の春香さんが詳しいのは理解る。同じ鴉宮家なのに、何故清春様の元にこの招待状が届いたのだろうか。
「その様子だと言っていないみたいね、このへっぽこは。……清春は、元は”夜刀”と呼ばれる一族の末裔なのよ。鴉宮に引き取られたけれど、その血を引いている事に変わりはない。彼らにとってもね」
春香さんが疑問に答えてくれる。けれど声音は穏やかで笑顔を浮かべていても、瞳の奥は険しいあの表情のままだから。あまり深入りすべきことではないのだと言われているみたいだった。清春様が行かなくてはならない、という事情だけを納得する。
嘆息されながら清春様が喋る。
「なぁ義姉さん……」
「いやよ、お断り。というか無理よ」
にべもなく、取り尽くしまもなく春香さんが断った。そして清春様に気づかれないように私にぱちりと目配せをしてから続ける。
「影杜の祝言は、必ず妻帯者が参加しなくてはならない。そんな面倒な風習に私を巻き込まないでほしいわ」
「まだ何も言ってないだろ。誰か頼める人はいないか聞こうとしただけだろ」
「だからそれが無理だって言ってるのよ。本気にされて地の果てまで追いかけ回されてもいいなら、鴉宮の子を紹介してあげるけれど」
「う……」
お話の流れからは、ご親族の方に代わってもらう訳には行かないようだ。
清春様が隠れ里の結婚式に参列するために、妻役の女性を探している。それが、清春様が表情を青くしたり白くした理由。
清春様と春香さんなら、美男美女のお似合いの夫婦の様に見えるのに。まるで私の背中を押してくれたみたいに、春香さんはその事情を教えてくれた。
”それなら”と”もしかしたら私が”なんて言葉が頭が過って。
そんな筈がないのに、心臓の鼓動が早く鳴り始めて、清春様の事を見つめてしまっている。
「と言うか、目の前に最高の女の子が居るというのに、どうしてアンタはそうなんだか」
「そんなこと出来るわけ無いだろ」
ぴしゃりと強い清春様の拒絶の言葉。期待をしていた訳ではないはずなのに、「え?」と生返事がこの口から溢れてしまっていた。春香さんの深い溜め息。少し遅れて、慌てて清春様が取り繕おうとされる。
「あ、いや、すみません舞香さん。今のはただの言葉の綾でして」
「いえ、そんな、全然。気にしてませんから」
とても申し訳無さそうになさっている清春様に、手をバタつかせながらそんな事を言っている。自分にも言い聞かせるように。
けれどもお優しい清春様は、本当に申し訳無さそうな顔をなさっている。
それから、絞り出すように言葉を紡がれた。
「……あまり気持ちのいい場所ではないんです、この里は。それに俺の個人的な事情に巻き込みたくないんですよ」
清春様は自嘲の様な笑いを、浮かべている。
思うことは幾らもある。
ただ此処に置いていただいている居候が、あまり込み入った話を伺うのもどうかと思って聞けないでいる事が沢山ある。
この広いお屋敷のこと、清春様以外のご家族のこと。お仕事のことも、今回の夜刀のことも。私を此処に置いてくれる本当の理由も。
私に何も教えてくださらないのは、私を面倒事に巻き込まない為にという気遣いなのは知っている。けれど、それは私が清春様にとっては何でもない人間であることだからなのも確かで。
彼にもっと近づきたいと思う。
春香さんの目配せはただのきっかけ。清春様がここまで感情を露わにされる事情に、私も関われたらと思う。
桜の怪異のことも、川の主のことも。助けてくれたお礼に、なんて言い訳もある。
だから。普段なら絶対に言葉にならない思いが口からついて出た。
「私では駄目ですか?」
言葉は上ずることなく発せられていた。
清春様が驚いて目線をこちらに向けて、春香さんは嬉しそうに口角を上げている。
自分でも驚くくらいにすらすらと続く。
「お話を伺っていると、本当の夫婦ではなく、離れ里にいる間そのように振る舞えばいいのですよね。そのくらいなら私でも力になれると思うんです」
じっと清春様を見据えている。彼の目には当惑の色が浮かんでいて、しかしすぐに鋭意な瞳に戻る。
「危険な目に遭うかもしれないので」
「結婚式に参列するだけなのにそんな目に遭うんですか?」
清春様の冷たい目にめげずにじっと見据えている。彼の瞳は再び当惑の色を強くしている。私自分驚いているくらいなのだから、聞き分けの良い娘がここまで食い下がっているのは清春様にとっても驚きだろう。
そうして無言で見据え合っていると、傍にいた春香さんが吹き出して、それから笑い声を上げた。
「あっはは。……あら、ごめんなさい。まるで夫婦の喧嘩そのものなんだもの。何だか笑っちゃった。ふふ、女の子にここまで言わせてるのにアンタは無碍にする訳? あんまり強情だと鴉宮命令で舞香ちゃんを雇ってアンタの妻役にするよ」
「なっ! それは卑怯だろう」
「だったら覚悟を決めてお願いしなさいな。朴念仁で仕事中毒のアンタに、他にまともな伝手があるならね」
涼しい顔で春香さんが言って、唇を噛み締めていた清春様が、諦観に表情を緩められる。
清春様の背後で春香さんが片目を瞑って目配せを浮かべていた。
我に返ると、自分から妻役を申し出ていることに顔から火が出そうになっている。どこにそんな勇気があったのだと。
けれどもそれは、彼が私を何度も助けてくれているからで。だから彼の力になりたいと思うのはきっと自然な事で、恥ずかしいことでは無い筈で。
顔を真赤に染めながら、清春様の言葉を待った。
「……申し訳ない。舞香さん、俺の妻役を演じてはもらえませんか」
「はい、勿論です。お受けします」
申し訳ない、なんて思う必要がないのに。清春様は毅然とされながらも少し眉を潜めておられた。
きっと清春様に何か思うところがあるのだろうけれど。
私は彼の力になれることに、嬉しく思うのだった。
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