1-3 季節外れの桜

 不思議な娘だと思う。

 鴉宮本家からは、曰く付きの妖を視る娘だと彼女を紹介された。

 実際に会ってみると、少し幼い印象を受ける他は至って普通の娘で、とても妖を視るような娘には見えなかった。

 妖を視る。

 その特異がいかに呪われた力であるかを、妖狩りの一族に生まれた俺は嫌と言うほど思い知らされている。

 死んでしまった姉という人も、両親たちも、皆視える人だった。そしてそれ故に、いつも情緒が不安な人達だった。

 視えない俺には到底理解が出来ない世界の話だが、いつ妖が目の前に現れるかに怯え、いつ妖が襲ってくるかに怯え、ずっと結界の札やお守りに囲まれた部屋で、妖怪除けの呪詛を唱え続けながら魔除けの香を絶やす事が出来ない人間が、俺の家族だった。

 

 何でもない通りを歩いているときでさえ、急に顔を真っ青にし脱兎のごとく家に帰らざるを得ない様な人達を、幼い頃の俺は哀れとしか思えなかった。

 多少は物事を見聞きした今ならば分かる。

 凄惨な、気が狂ってしまいそうな光景を、あの人達は視続けていた。

 だからこそなのだろう。きっとこんな脳天気な娘のほうが、妖なぞ視えてもまともに生きてこれた事に得心がいったのは。


 今回、俺が請け負った仕事はあの季節外れに咲き乱れる桜が、悪しきものなら退治すること。

 視ることが出来ず、妖を斬る刀だけを受け継いだ俺には、それが良いも悪いも判別がつかない。だから斬るしか無かったのだがそれを彼女が判別してくれるというのは僥倖だった。

 俺にはあの光景がただ雪原に満開の桜が咲いているだけにしか見えない。この地に住まう村民達の様に、薄気味悪いとも、何だか近寄り難いとも感じることも出来ず、ただ季節外れに桜が咲いているだけにしか見えない。

 こんな事を仕事にしているのが不思議なほどに、俺には霊感というものが無いのだった。

 

 しかし本当に不思議な娘だと思う。

 あの桜を前にした時、彼女の様子は明らかにおかしかった。顔を青くし、表情が消え、声に張りもなく、その様子だけであれがただの狂い咲きではないことは判断がついていた。

 彼女自身、きっと姉たちと同じ様に悍ましい経験もあるのだろう。桜を見た後すぐに引き返すと口にし、その後の食事もほとんど無味無乾燥に口に運んでいるだけの様子だった。

 それなのに、妖を斬る話をちらつかせると、妖と話をしてくると言うのだから。肝が座っていると言うか、怖いもの知らずと言うか、命知らずと言うか。

 俺には生涯垣間見ることもない世界を見つめているのだと思わされるのだった。


 

 宴会場のまだ残っているお酒を一瓶拝借して、桜へと続く道を昇っていく。

 夜遅くという時間帯と、宴のお陰で村人は皆静かに寝静まっている。溶けずに残っている雪達も私達以外の音を消してくれているようで、足元を照らす提灯の他は深夜の暗闇で、清春様と私の足音だけがずっと続いた。

 そうして丘の上の桜の前にまでやってくる。

 焚かれていた篝火はもう燃え尽きてしまったようで、清春様が炭を入れて火を興そうとする。


「すみません清春様。篝火は焚かないでください。提灯の灯りも消してくださいますか」


 そう告げると、何も言わずに清春様がそうしてくれた。

 暗闇で彼の表情は見えない。曇り空で新月の夜だから、辺りは本当に真っ暗で目が慣れることもない。

 けれども提灯の灯りを消した瞬間に、あの季節外れに咲き乱れる桜だけがぼおっと淡い光を帯びる。

 薄紅色の桜の花がほのかに風に揺れながら満開の咲き盛りで。散って、白い雪の上に落ちた花びらは途端に深紅の色に染まって。雪原に赤い痕を作っている。

 まるで血の色のように見える赤い雪原、遊郭の緋毛氈の様な紅色で、桜の下で物憂げに佇む女の妖が、来るはずもない馴染みを待つ遊女の様に淋しげにも見える。


「清春様。清春様にはあの桜がどのように見えますか?」

「……すまない、俺には暗がりで何も見えない」


 その言葉ではっきりと、あれが人ならざるものだと覚悟が決まる。

 はっきりと形が見える妖精ほど高位の存在で、気位が高くて常識が通じない。あれは相当に融通が利かない類。

 桜の花びらが散るあの赤い雪の上から先は明確に分けられた幽世で、人が立ち入ってはならない異界。震えそうになる足を、それでも進めなくてはならない。

 ずっと昔に、妖精たちに拐かされた異界に、幽世に、自分から進まなくてはならない。


「それでは清春様。あの妖に話をしに参ります。もし、危ない目に遭いそうになったらこの体に括った縄を強く引っ張りますので、どうか引き上げてください」

「……えぇ。わかりました」


 そうして全ての段取りが済んで、後はあの妖に向かうだけとなる。

 何でこんな事をしているのだろうと、急に我に返り現実逃避をしようとする自分もいて。その度に、少しでも清春様のお力になって気に入られたいからだと言い聞かせる。初めて気味悪がらないでくれた人、もしかしたら夫になるかもしれない人。そう何度も言い聞かせて、震えそうになる足を止める。

 

 最後に清春様のお顔を見納めようとして、上目遣いに覗く。ぼおっと薄紅の妖光にちらつく清春様は、不安げに私とあの桜とを交互に見比べていた。この暗がりでは、私が顔を見上げていることにも気づいていない様子だった。

 そんな様子を見届けて、視えない彼の力になりたいともう一度心を決めて、一つ深呼吸の後、本当に覚悟を定めた。

 一歩踏み出せばもう後戻りは敵わない。そうして恐ろしくも懐かしい妖の世界へと踏み入れた。

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