第32話 カリスマと呼ぶには、あまりにも。
「……美月?」
翌日。
朝起きると、美月は隣にいなかった。
リビングに向かうと、テーブルに一枚の書置き。
【先に学校行ってるね。朝ごはん、ちゃんと食べてね】
見ると、ラップを被せてあるサンドイッチ。
僕は首を傾げつつ、ひとまず洗面所に向かい、手と顔を洗った。
美月は基本早起きだが、今はまだ六時過ぎ。
学校までは一時間半ほどかかるが、それでも出るには早すぎる時間だ。
(……普段から登校は別々だけど)
美月が早めに家を出ることは、別に珍しいことじゃない。
でも今回は、なんだかいつもと……
(……いや、気のせい、だよな)
そう自分に言い聞かせた。
気を取り直して、作り置きしてくれたサンドイッチを一口かじる。
「……うん、美味しい」
いつもながら、美月の作る物は美味しい。
たまによく分からない実験的料理が出てくるが、それも極端にひどいものじゃない。
ずっと食べ続けてきた美月の手料理。
当たり前に用意されるそれを、今はどうしてか、味わって食べようという気になっていた。
「……ご馳走様」
手を合わせる。
いつもありがとう。と心の中で幼馴染に頭を下げた。
そして歯を磨き、身だしなみを整えて。
「――行ってきます」
返事の返ってこない家に向かって、挨拶を口にして、家を出た。
「――おう伊織」
学校に行くと、蓮二が軽く手を挙げてきた。
それに僕も適当に手を振って、自席に向かおうとした時。
「悪い、ちょっといいか」
やけに真面目な顔をした蓮二に肩を掴まれ、そのままずるずると教室の外に連れていかれた。
「……なんだよ」
人気のない廊下の端。
そこで声を潜めるように、蓮二は周りを見渡しながら。
「……いや、朝陽ちゃんのことなんだけどな……バスケ部の知り合いに聞いたんだが、そろそろ本格的にやばいぞ」
「……やばい?」
「女バスの三年連中が、そろそろ何かしそうってな」
「……ああ」
つい漏れた一言。
それを蓮二は、耳聡く聞きつけて。
「お、おい伊織? なんだよ。なんか知ってんのか?」
慌てて詰め寄ってくる蓮二。
それに僕は、話すべきか、少しだけ考えて。
「……実は……」
こいつなら大丈夫か。と判断し、昨日起きた一連の出来事を話した。
「……マジ、か」
聞き終えた蓮二は、呆然としていた。
「美月がいなかったら、どうなってたか分からない」
「おいおい……そんなんもう未遂でも警察沙汰じゃねーか。今すぐ教師に言った方がいいって」
「いや、それは……」
「バスケ部のことか? 雪村さんの言うことも一理あるけどよ……もうそんな段階じゃねえだろ? 朝陽ちゃんに何かあってからじゃ遅いぜ?」
柄にもなく必死な様子の蓮二に、僕も言葉に詰まる。
……実のところ、それが正しいと僕も思う。
でもそれをやってしまえば、もう朝陽は元の生活に戻れない。
対外的にも、心情的にも。
朝陽の中に、きっと消えない傷が残る。
……それが僕には、どうしても許せなかった。
黙り込む僕に、蓮二は、深いため息を吐いて。
「……まあ、今すぐ言わねえにしてもだ。対策はいるだろ? 俺もちょっとバスケ部の先輩に頼んで、見張ってもらうわ」
「……ああ」
がしがし、と頭をかく蓮二に、僕は頷いた。
今はそれぐらいしかできない、か。
できるなら、全て丸く収めたい。
……そう願うのは、甘いだろうか。
「……じゃ、戻るか」
「ん」
そう言って歩き出す蓮二に、僕も続いた。
しかし、そうして教室に戻ると、どこかざわついていた。
「……あん? なんだ?」
僕と蓮二は、教室の端に目を向ける。
そこは学園のマドンナ、雪村美月の席。
クラスメイトの女子達が群がっているのが見えた。
……それだけなら、別にいつものことなのだが……
「——ゆ、雪村さん? その子……井上さん、だよね? どうしたの?」
戸惑ったクラスメイトの女子の声。
見ると、美月と、その傍にちょこん、とした人影。
(……朝陽?)
美月の隣に、隠れるように立っている小柄な女子。
つい今まで思い描いていた顔……井上朝陽の姿だった。
僕と蓮二が、呆気に取られてその姿を見つめる中。
クラスの女子に囲まれた美月は。
「うん。この子最近、ちょっと学校で上手くいってないみたいで……」
怯える朝陽の頭を、軽く撫でて。
「みんなにも、気にかけてもらえないかなって思って、連れてきたの」
その言葉に、クラスの女子や、男子も戸惑いを浮かべる。
……恐らく、みんな知っているのだろう。
朝陽が今、どんな立場にあるか。
”あの子、あれだよね? 今バスケ部で……”
”おいやめとけって。聞こえるぞ”
クラスがざわつく。
萎縮したように体を縮こまらせる朝陽と、表情一つ変わらない美月。
「――あの、雪村さん」
そこで、一人の女子が声を上げた。
(……あの子は)
クラスの中でも、特に美月への信仰心の強い子だ。
その視線はどこか冷たく、鋭い。
「なに?」
「雪村さんと、その子……そんなに仲良かったの?」
棘のある声音。
睨みつけられた朝陽が、一層怯えた様子を見せた。
しかし美月は、全く動じた様子もなく。
「――うん」
小さく、頷いて。
「あたしの、妹みたいな子だよ」
当たり前のように言われた、その言葉に。
……周囲にいた女子から、一斉に悲鳴が上がった。
――そこからの展開は、概ね想像通り。
”雪村美月の妹”というパワーワードは、瞬く間に学校中に広まった。
よくも悪くも、周囲と一定の距離を置いてきた美月。
その高嶺の花が一人の後輩を贔屓にするという事実に、周囲(主に女子は)は驚愕と渇望を持って迎えた。
”う、羨ましいっ……! あたしも雪村さんに”妹”とか言われたい!”
”分かる。守ってもらいたい! お姉様って呼びたい!”
”ってか井上さんってなんでイジめられてるの? そんなタイプに見えないけど”
”ほら、関谷先輩に告られたじゃん? それで森下先輩がさぁ……”
"うわ、嫉妬ってこと!? サイテーじゃん! 井上さんかわいそー"
嫉妬半分、同情半分。
女子の反応は、概ねそんなところだろうか。
……一部過激派が暴走しかけたものの、それは美月が上手く宥めていた。
一方男子も。
”後輩との百合……なるほど素晴らしい”
”柏木さんとのカップリングもよかったけど、こっちも全然いける”
”いや待て! ここで井上さんを上手いことフォローすれば、雪村さんの好感度上がるんじゃね……?”
”それだ! 待ってろ朝陽ちゃん! お兄ちゃんが今行くぜ!”
”誰がお兄ちゃんだキモい死ね”
と、男子も(動機はともかく)朝陽のために動く人間が出始めた。
今までは朝陽の現状を知りつつ傍観していた人間が、徐々に朝陽の側につき始める。
(……たった一言で、これか)
ため息をつきたくなった。
分かっていたつもりだ。だがそれでも、まだ認識が甘かったらしい。
雪村美月。
その名が持つ、規格外の影響力を。
「——朝陽ちゃんのこと、守ってあげてね」
たったそれだけで。
……朝陽を巡る天秤が、確かに傾いた。
――そして、その日の放課後。
「……いや、やっぱチートだわあの子」
疲れたような顔で、蓮二はぐったりと自席のテーブルにぐだっと倒れた。
「たった一言でいじめられっ子を人気者にするとか……どんな影響力だよ。怖えってマジで」
――その一日で。
朝陽の一件は、驚くほどあっさりと収束した。
美月が朝陽との仲を周知することで、朝陽の学園カーストは強制的に高まった。
『――守ってあげてね』
ただそれだけ。
その言葉だけで、朝陽を取り巻く環境は一変した。
”井上さん! どうやって雪村センパイと仲良くなったの!?”
”めっちゃ羨ましいー! 今度紹介してくれない!?”
下級生も、みんな憧れる雪村先輩。
そんなマドンナのお気に入り。
その事実は、女バス先輩連中の圧力など容易く吹き飛ばした。
……いやむしろ、これまで圧力を受けて朝陽を無視していた子達が、若干怯えていたくらいだ。
『あ、朝陽ちゃん……その、ごめん。謝って済むなんて、思わないけど……』
『奈央ちゃん……ううん、いいから。また、一緒に練習してくれる?』
『……っ、う、うん!』
様子を見に行ったら、そんな会話が聞こえてきた。
わだかまりは消えないだろうが、それでも、朝陽の状況は確実に改善していた。
「……」
今もちょこちょこ、と美月の後ろを歩く朝陽を眺めていると、蓮二は魂の抜けたようなため息をついた。
「……俺もさ、これでも色々動いてたんだぜ? なのに、こんな一撃で解決されるとなぁ……」
「……女バスの先輩達は?」
「大人しくしてる。つか、なんか怯えてるっぽかったぞ」
……怯えてる?
少し気になったが、まあ大人しくしてるなら。と一旦放置することにした。
「とりあえず、もうあからさまにハブられたり、嫌がらせを受けることはなくなるだろうな」
「……そか。良かった」
うん……本当に良かった。
結局僕は何もできなかったけど。朝陽の問題が解決されるならそれでいい。
……それでいい、はずなんだけど。
「……けど、なんか朝陽ちゃん……」
「……ああ」
僕と蓮二は、同じ違和感を抱えていた。
状況は確かに改善している。
全てが理想的な形で収まりつつある。
なのに、当の朝陽は。
(なんで、そんな顔してるんだよ……)
まるで抜け殻のように、生気のない表情をしていた。
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