第31話 二人ぼっちの世界で



 ――遅刻。


 その言葉に、一瞬最悪を想像した。

 しかし美月がいるし、朝陽も特に怪我をした様子もない。

 首を傾げる僕に、美月は静かに立ち上がり。


「……帰ろうか。もう遅いし」


 ごく普通の放課後のように、そう言った。



 ——その後。


 朝陽を駅まで送り、僕と美月は帰路についた。


 朝陽は最後まで元気がなく。

 電車に乗り込むその背中が、いつもよりずっと小さく見えた。


「……さすがに、これは洒落にならない」

「……ん」


 僕と美月、二人の帰り道。

 僕は美月から、今日あったことを聞いた。


 バスケ部の先輩に乱暴されかけていたこと。

 それを間一髪で、美月が助けたこと。


 一通りの話を聞いて、僕は悩んだ。

 暴力沙汰にまでなっている以上、教師に報告して、しかるべき処置をとるべきじゃないのか、と。


 ……だが、美月がそれに反対した。


『きっと、バスケ部も無事じゃ済まない』


 その言葉に、僕は呻いた。

 僕は朝陽を、元の生活に戻してやりたい。

 なのに朝陽が原因でバスケ部が活動休止にでもなったら、きっとあいつは自分を責める。


 ……それこそ、学校自体を辞めかねない。

 それでは本末転倒だった。


「……心配? 伊織」


 その声に僕は、横を向く。

 美月は、じっと僕の目を覗き込んでいた。


 見慣れた美しい瞳。

 見つめられ、僕はどうしてか目を逸らしていた。

 

「……そりゃ、な……美月だって、そうだろ?」

「……?」

「朝陽のこと、心配だろ? 可愛がってるもんな」


 そう言うと美月は、一瞬動きを止めた。

 そして、ああ……と小さく呟くと。


「うん、そうだね」


 少しの間をおいて、そう答えた。

 その不自然な反応に首を傾げたが、不意に美月が、するり、と腕を絡ませてくる。


 こういう恋人らしいスキンシップも、最近は増えた。

 でも、どうして今……

 

「……? おい、どこ行くんだよ。家はそっちじゃ――」


 そのまま引っ張られて、家とは違う道に誘導される。

 声をかけると、美月は小さく笑って。


「――ちょっと、寄り道。ね?」


 そう微笑む美月に、僕は困惑しながらも渋々ついていった。




 ――そうして、連れていかれた先は。



「……ここ」

「懐かしいよね。少し、間が空いちゃったかな」


 家の近くの公園。

 僕と美月が、幼い頃よく遊んでいた場所だった。


「……どうしたんだよ。いきなり」

「ん……なんとなく。伊織と来たくて」


 そう言うと、美月は公園の中に入っていく。

 僕もそれについていくと、やがて。


「――覚えてる?」


 ブランコの前。

 美月は、懐かしそうに目を細めた。


「……ああ」


 頷く。

 忘れるはずもない。

 僕達二人にとって、ここは大切な場所。


 ――僕と美月が、初めて出会った場所だ。


「……そう。よかった」


 ブランコに腰掛け、こちらを見上げる美月を見て。


 僕の意識は、過去に飛んだ。






『じゃあ伊織? お母さんが迎えに来るまで、動いちゃダメだからね?』


 ――あれは、僕がまだ五歳の頃。


 幼い僕はよく母親に連れられて、近所の公園で同年代の子たちと遊んでいた。 

 サッカーをしたり、ドッチボールをしたり。

 やることは日によって様々で。


 その日も僕は、公園で遊んでいたのだが……


『……みんな、かえっちゃった……』


 その日はたまたま、他の子達の帰りが早くて。

 一人取り残された僕は、しゅん、と肩を落とした。


 広い公園。一人になると、途端に心細くなる。

 

 母は僕が遊んでいる途中で飲み物を買いに行き、まだ戻っていない。


 下手に動けば迷子になる。

 なので渋々、ボールを蹴りながら母を待っていたのだが……


『……?』


 ふと、ブランコのところに、小さな人影が見えた。

 よくよく目を凝らしてみると、女の子だ。


 知らない子だった。

 いつからいたのかも分からない。


 でも、同じ一人の子がいて、僕は喜んだ。

 遊び相手になってくれるかも。そう思って、近くまで駆け寄る。


 ……しかし、やがてその子の顔が、はっきりと見えた瞬間——



『……っ!』



 ――僕は、言葉にならない衝撃を受けた。



 長いまつ毛に大きな瞳。

 すっとした鼻筋に、艶のある唇。

 そして、雪のように白い肌。


 今まで見た何よりも、その女の子は美しかった。

 まるで、テレビで見た天使や妖精のように……



 ――こんなに綺麗な女の子が、この世にいるんだ。

 


 それは未知の感動だった。

 幼く未熟な感性でも、本能的に直感する。

 この子はきっと——特別な子なのだと。



『……だれ?』



 その時、透き通るような声が聞こえた。

 はっと我に返ると、こちらをじっと見る大きな瞳。


 美しい宝石のような瞳が、ぽかんとした僕の姿を映していた。


(……あ……)


 その眼差しに、僕は慌てた。

 どうしよう、話しかけられた、と。


 何を話すかなんて考えてない。 

 ただつい、見惚れてただけで。


 その子は、無言のまま僕を見つめてくる。

 やっぱり綺麗な、だけど、どこか空虚な瞳。


 その感情の見えない瞳に、ただ狼狽える僕。


 どうしたら。何を言えば、と。

 あれこれ考えた挙句。結局口にした言葉は……


『……い、一緒に、あそぼ?』


 それだった。

 ついでに、手に持ったサッカーボールも差し出してみる。

 ……今思えば、もう少し何かあっただろ、と思う。


 案の定その女の子は、差し出されたボールをじっと見たまま、何も言わない。


(……う……)


 その無反応に、心が折れそうになる。


 サッカーは嫌いだったのかな。お人形とかの方がよかったのかな。でも、今持ってないしなぁ……とあれこれ言い訳を考えたが、今更どうしようもない。


 やがて沈黙に耐え切れず、いよいよ泣きそうになってきた僕に、その子は……


『……どうして?』


 小さく首を傾げた。

 

『……え』

『どうして、あたしとあそびたいの?』


 聞かれ、僕はかちん、と固まった。

 どうして? どうしてって……


 うぅ……と内心唸る。


 キレイだから? 可愛いから?

 いや、もちろんそれもあるけど……


 ぐるぐると目を回して。

 何とか答えを返そうと、彼女を見た時。


(……あ……)


 その綺麗な瞳を見て。


(なんか……)


 何度見ても幻想的で、美しい瞳。

 だけど、その瞳の奥が……


『……さ、さみしそう、だから?』


 気づけば、そんな言葉が口から出ていた。

 言った直後、なに言ってるんだろう、と再び頭を抱える。

 でも、その子は……


『……』


 ぽかん、とした顔で、僕を見ていた。

 今までの冷たい表情とは違う、確かに感情の見える顔。

 ……そんなこと、一度も言われたことがない。そんな表情。


『あ、えと……』


 怒らせちゃったのかな……と若干不安になる僕。


『い、いやだった……?』


 恐る恐る聞いてみる。

 しかしその子は、何も答えない。


(……お母さん、早く帰ってこないかな……)


 そう僕が現実逃避をし始めた頃。


 やがてその子は……ぽつり、と。


『……いいよ』

『……え?』

『一緒に、あそんでも』


 そう言って、僕の手を握ってくれた。


 呆然とする僕。

 何を言われたのか分からない。


 でも初めて握った女の子の手は、とても柔らかくて。

 少ししっとりしてて、冷たくて。

 それは僕にとって、全く未知の感覚だった。


 やがてようやく……目の前の女の子が頷いてくれたのだと。そう理解して。


『……う、うんっ!』


 嬉しさのあまり、そのままその子の手を握って、駆け出した。


 どうして頷いてくれたのかは分からない。

 分からないけど、とにかく嬉しかった。


 ……それは僕自身、自覚していなかった感情。


 ——"一目惚れ“と呼ばれる、僕の初恋だった。









「……ふふ」

「なんだよ……」


 そんな昔話をしていると、不意に美月が噴き出した。


「今も思うけど。初対面の女の子相手に、サッカーは違くない?」

「……う、うっさい。仕方ないだろ。咄嗟だったんだから」


 結局、あの後本当に二人でサッカーをした。

 でもなんか普通に上手くて、全然ボールを取れなかった気がする。


 けれどそれで仲良くなって。それからお互い隣に住んでいると分かって、次の日から一緒に遊ぶようになった。

 ……誘ってよかった。と心底感動したものだ。


「お前だってあの頃は、ほんと人形みたいだったくせに」


 今でも鮮明に思い出せる。

 初めて会った日の美月の表情。

 一瞬、本当に人形なんじゃないかと疑ったくらいだ。


 今目の前で楽しそうに笑う美月とは、似ても似つかない。


 しかしそう言うと、美月は。


「……人形、か。伊織には、そう見えた?」

「……あ、いや」


 言い方が悪かったか、と言い直そうとする。

 けれど美月は、小さく頷いた。


「……でも、そうだね」

「……え?」

「あの頃のあたしは、きっと人形だった」


 そう言うと、不意に美月の瞳が変わる。

 虚ろで無機質な、人間味のない瞳。

 ……あの頃と、同じ。


「何の感情もない。ただ息をしてるだけの……生きた人形」


 そう言うと、美月は、ブランコから立ち上がる。

 そして、愛おしそうに公園を見渡した。


「伊織がいなかったら、きっと今も」

「……?」


 公園に目を向けたまま、懐かしそうに。

 そして、困惑する僕を見て。


「……だから、ありがとう。伊織」

「……何のお礼だよ」


 唐突なお礼に、ますます戸惑う。

 そんな僕を、美月は柔らかい瞳で見つめて。


「あたしを、人間にしてくれて」


 穏やかに微笑んで、そう告げた。

 その言葉に、僕は息を呑む。


 ……人間に、してくれた?


 なんだそれは、と思う。

 人形みたいと言ったが、それは比喩だ。

 美月は美月。人間に決まってる。


 ……けれど、美月に冗談を言っている様子はない。

 きっと本心から言っている。


 感情のない、”生きた人形”だったと……本気で。


「……なに言ってんだよ、美月」


 その眼差しと微笑みに、どうしても不安になって。

 

「帰ろう……もう、いいだろ」


 そう言って手を差し出した。

 早くこの場を去りたい。そんな衝動に駆られて。


 だけど美月は、僕の手を取らなかった。

 ただ微笑んだまま、その場から動かない。

 

「ね、伊織?」

「……だから、なんだって」

 

 苛立ちが声に出るのを、必死に抑えた。

 見慣れた美しい顔。でもあの頃より、ずっと大人びている。


 ……それが、どうしてか。知らない人のように思えて。



「もしもこの世界に、あたしと伊織の二人だけになったら……どうする?」



 その問いに、僕は固まった。


「……は?」


 世界に、二人だけ?

 ……なんだその。一昔前の映画みたいな内容は。


「……なんだよ、それ」

「伊織は、それでも幸せだって、思う?」


 さっきから、美月は何を言ってるんだ。


 分からない。分からないのに……どうしてこんなにも不安になるんだろう。


「……だから、変なこと言うなって。早く……」


 早く帰ろう。そう言いたかった。

 あの家に帰れば、きっといつも通りになる。

 そう思って、再び手を伸ばした。


 ……でも美月は、動いてくれない。

 答えを言うまで、手を取らない。そう言うように。


 ……だから僕は、渋々考えた。


 もしもこの世界に、美月と二人だけになったら。

 両親や友達とも、二度と会えなくなったら。


 それでも僕は……幸せと言えるだろうか。


「……分からないよ。そんなこと」

「……そっか」

「……でも」


 考えたくはないけど。

 もしも、そうなったとしても。


「……美月と二人なら……それも、悪くないと思う」


 本心だった。

 どう取り繕っても、僕には美月が必要で。

 他の誰と天秤にかけても、僕はきっと、美月を選ぶ。


 この時僕は、そう思った。


「……ありがとう」


 小さく呟き、きゅっと僕の首に腕を回して、抱きしめられる。

 大きくハリのある胸が当たる。

 耳に吐息が触れて、少しくすぐったい。


「ね、伊織」

「……ん?」

「あたしは、伊織が好き」

「……」

「これまでもこれからも、ずっと伊織だけを想ってる」


 それは誓いのように。

 一音一音、想いを乗せるように、美月は言う。


「……っ、美月……?」

「でも伊織は……あたしとは、違うのに」

 

 きゅっと一瞬、より強く抱きしめられて。




「ごめんね。愛しちゃって」




 そう囁いて。


 美月は小さく、僕の頬に口付けた。


 

 





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る