第3話


              【大きめの気泡が出てきた】


 買い出しの帰り。最近康太くんが来ない。どうしたのか。どうしているのか。気になる。忙しいのはわかるし、部長のその時の気分で、行くゲイバーが変わるのもわかっている。でも私が働いている中で、1週間も間が空いたことはない。両手にいっぱいの荷物を持ち、螺旋階段を降りていく。

 (誰かいる)

 開店準備前なのに、ママと誰かが会話している。私はドアを押し、中に入ろうとした時。


 「唐突なのですが、『真島心』と言う方をご存知じゃ––」


 鼓膜が振動し、脳に入ってきたのは、私の本名だった。全身の力が抜けるような感覚。両手に持っていた荷物は、ドサっと落ちる。この空間に居続けたら、細胞ごと壊れる気がして、逃げた。康太くんが走ってくるのが聞こえる。

 (来ないで)


 なんで? ……なんで? どうしてこうなるの? 神様、私が何か悪いことでもしましたか? めいとして生きたいのに、……なんで?

 マグマのように吹き出しそうな感情。でもどうしたらいいのかわからず、何かが事切れたかのように、パニックになり、私は走った。この場から、空気から、康太くんから逃げたい。逃げ切れるだけ逃げ切ってやろう。私は全力で走った。いつの間にか履いていたヒールは両足とも脱げていた。行くあてもないからとりあえず、家まで走った。振り返りたくはない。ただ前だけを見て走り続けた。後ろを振り返りでもしたら、確実に死ぬ。走って、走って、走って、足の裏が血まみれになるが構わず走った。アパートが見えた。アスファルトを蹴る足裏は、ものすごく暑く、ぬべっとしていた。勢い余って、扉に激突。痛かったがそれよりも優先して、部屋に入り、鍵を閉めた。狭い玄関で、しゃがんで泣いた。

 「めいさん!」

 気を遣って私の名前を呼んでいる。私のことを詮索してしまったことに、謝罪をするように。もう終わりだ、幼馴染がトランスジェンダーだなんて。

 冬場の色白の部屋は、刺すような寒さを帯びている。


 薄っぺらい扉が、今日に限っては、ものすごく薄く感じる。ほんの数センチの扉が、発泡スチロールほどの薄さと、弱さを感じさせる。

 「ま。真島くん! 真島くんだよね? 久しぶり。なんかごめんなさい。こんな形になってしまって……。俺、ずっと謝りたかったんだ。

 ……今までずっと後悔してた。真島くんが、ずっと何かに苦しんでいて、そこに手を差し伸べなかった自分に。でも言い出せなかった。なんでか分からないけど、怖気付いて何もできなかった。しかも中学に上がる頃になって、俺が引っ越すことになって、なおさら言えなくなって。ずっとそれが心残りで、寄り添ってあげていたらって。もし会う機会があったら、必ず言おうって思ってた。今更なんだよって思うかもしれないけど、言えてよかった。……もう帰るから」

 「待って」

 私の中にある空気がいっぱいの風船が、破裂した気がした。思わず、声が出る。

「苦しんでるように見えたのは、女としてみんなと接するのが怖かったからだと思う。どう見られるのかが怖くて。なんで男で産まれたのかって、自分を責めたりして。大切な幼馴染を傷つけてしまいそうで、それが嫌で……。せめてお互いお関係に日々が入らないようにしよう、と思って、無理矢理でも男でいようとしたの、たぶんそれが康太くんには、苦しんでるように見えたんじゃないかな。……ただそれだけ。別にあなたは悪くないよ」

 

 私はなぜか、康太くんのことを抱きしめたくなってしまった。扉が開け、私は力強く康太くんの腕を掴み、強引に部屋に連れ込む。狭く小さな玄関。私と康太くんの距離はほとんどない。

 (近い!)

 私は言おうか悩んでいた。初恋の相手が、あなただってことを。いった瞬間気持ちがられないだろうか。心臓が脈打つ音が、脳まで響いてくる。全身に汗が噴き出てくる。

 「……引かない、でね」

 「はい」

 「実は、ずっとあなたのことが好きだった。私の初恋の相手が、あなたでした」

 「そうだったんだ」

 「うん」

 恥ずかしさで、吐きそうだ。

 「真島くんはさ、その––」

 これ以上喋らないように、キスで口を塞ぐ。。

 「真島くんじゃなくて、めいって呼んで」


 熱い一夜。私は、康太くんと同化しているのを感じる。ズボンをパンツごと下ろし、まだ勃っていない一物を、口の中でこねくり回す。肥大化していく一物。セックスは激しくなり、私は唾液を潤滑剤の代わりにし、康太の一物をアナルの中へ。粘膜が一物を包み、細胞同士が擦れ合い、その刺激が神経を通り、脳に訴えかけ、オキシトシンがドバドバと出ている感覚になる。血液が、鼓動が速くなっている。激しく揺れるベッド。お互いの息が荒くなり、汗ばむ。暗い部屋。喘ぎ声とベッドの軋む音だけが聞こえる。

 月光が指す部屋が次第に暗くなり、徐々に日が差し始める。シングルベッドに添い寝する。

 「気持ちよかった」

 「うん。……実は俺、EDだったんだ」

 「そうだったの! でも勃ってたじゃん」

 「うん。なんか勃っちゃた」

 「私に興奮したってこと?」

 「そうかもしれない。なんか、ありがとう」

 「気持ちよかったんだったら、嬉しい」

 「また、会えますか」康太くんが訊いてきた。

 「いつでもいいよ」 


 

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