第2話

 ゲイバーで働き始めて5年が経ったある日。いつもと変わらない日常が一変した。私が男性に恋をし、男性が好きなのだ、と気づかしてくれた初恋の幼馴染こうたが上司と一緒に来店してきたのだ。上司の金森さんは常連だ。いつもゲイバーのママとたわいもない会話を交え、和気あいあいとして雰囲気を醸し出している。あの人は私の存在には気付かない。当たり前だ。何年も会ってないのだから。


 トイレでメイク直しをして、出ると、彼がいた。お互いビクつき、半歩後ろに下がる。お互いに頭を下げ、何事もなかったかのようにカウンターへ戻った。バクバクと脈打つ心臓。体から何か異物でも出てきそうな感じだ。彼に会った緊張の成果、身バレしてしまうのではないかと言う不安感なのか。生きている心地がしない。


 康太たち一行が帰る準備をする。やっと帰るのかという安心感と、もう帰るのかと言う喪失感が私の胸をかき乱す。上司は部下に付き添われ、出口の方へ行く。いつも昼間はきっちりしている人間が、夜になると理性を無くすのは見るに耐えない。空いている従業員も見送るために外へ出る。私はその時、ソファーに置いてあるスマートフォンに目が行った。

 (!)

 急いで誰のものかもわからないスマートフォンを片手に走る。店を出てってから、まだそこまで離れてないはず。出入り口の扉を開けると、彼がいた。思わず大きな声が出る。一旦間が空き、「これですか」と尋ねる。彼は安堵の表情で「ありがとうございます」といい、その場をさって言った。あっという間の出来事。ありきたりかもしれないが、台風が去っていくかのように速かった。後に残ったのは、なんと表現していいものかわからない、絡まったイヤホンコードのような感情だった。

 

            【気泡が上がってくる】


 帰路。新宿2丁目の朝は、生ごみの臭さと吐瀉物としゃぶつの酸味がかった匂いで充満する。それでも空は澄み切っている。

 彼といた、ほんの少しの出来事が、頭の中で何回もリピート再生されている。その度に何かアクションが起こせたのではないか、と思ってしまう。寂しい帰路。いつもの、また変わり映えのないような日常が始まる、と言った感情とは違って感じる寂しさだ。次、会うとした場合、彼になんと声をかけようか、そもそも声をかけない方がいいのかもしれない。

 (どうしたらいいのだろう)


 築25年は経っているボロアパート。私は鍵穴に鍵をさし、扉を開ける。疲れた体は、浴室へ向かい、浴槽に湯を張る。その間に郵便物を確認したり、部屋を片付けたりする。その間も康太くんのことをを考えている。湯船がハリ、私は服を脱ぎ、浴室へ入る。頭と体を洗い、湯船に浸かる。冷え切った体がじわじわと暖かくなっていく。浴槽は小さく、体操座りないと入れない。

 自分がもし女性だったら、康太くんの知らない人だったら、考えが巡る。このまま幼馴染としてではなく、ゲイバーのめいとして接したほうがいい。全く知らない人物として接した方がいい。その方がお互いに楽だ。知り合いとして接するのではなく、一からの付き合い。私はそれを望む。私は水面越しの一物を見る。

 (嫌いだ)

 一物を股の間に隠すように、挟む。この一物がなければ、私はもっと人生を楽しく過ごせたのだろうな。


            【気泡が何個も上がってくる】


 思わない出来事が舞い込んできた。昨日の今日で彼がまたやってきたのだ。花金である今日、彼らはハシゴしてきたらしい。完璧に部長は酔ってる。いつもの席に誘導し、私は自然と康太くんの隣に座った。心臓の音が異様に聞こえる。多分隣にいる康太くんにも聞こえているのかもしれない。彼の顔をチラッと見る。いつもの作り笑顔。私は勇気を振り絞り話し始めようとした時。

 「あのー。昨日はどうも」

 「あー、いいえ。スマホなくすと焦りますよね」

 「いや、ヒヤヒヤしました」

 会話を繋げるために、無難な質問をする。

 「そうだ。出身ってどこですか?」

 「誰も聞いてもわからないことところですよ」

 「聞きたいです」

 「X県のY町ってところなんですけど」

 (知ってる)

 「え! 私もそこです」

 「そうなんですか。これもなんかの縁ですね」

 「そうですね」

 さりげなく、康太くんにアプローチをするために、肩に触れる。

 「同郷の吉見で、LINE交換しませんか」

 「はい、お願いします」

 驚きすぎて、告白の返事みたいになってしまった。でもこれで繋がりができた。脳まで響く心拍音。末端冷え性の指先。浅めの呼吸。私が私としていられる場所で、『めい』として、あなたと接したい。


 


 

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